今日、五時の虹について、珍しく、日記を書こうと思う。
五時過ぎに、思い立って外へ出かけた。
近所のスーパーまで水を入れに出かけただけなんだけれど。
特に何か余分なものを持って行こうとは思わなかった。
それでも一応、電話と財布だけはポケットに入れて出た。
外は晴れていたけど、何か細かいものがさわさわと降っていた。
あまり気にせずに歩いていたら、眩しい暖かさのある強い光に照らされながらも
何故か霧雨が小雨に、小雨から雨に、だんだんと大粒の水滴へと変わっていった。
僕は空を見上げて、天気を確かめようと思った。
天気と言うよりは、天候、と言うべきだろうか。
青い空に、灰色の雲に、虹がかかっていた。
まぁいいや、傘なんかいらねぇ、と思いながら歩いていたのが
功を奏したというか、なんだかラッキーだな、と思った。
そしてこないだ話した友人が虹について語っていたのを思い出した。
二重の虹を生まれて初めて見た!
と喜んで話していた。
もしかして、と思いながら
歩を進めて景色を覗き込んでみれば。
そこに広がっているのは、彼の言っていた二重の虹だった。
なんだか不思議な気分になりながら、
僕はそのことについて考えた。
彼が言ったから、
僕には今日、虹が見えたのだろうか。
あのとき彼が二重の虹について話さなかったら、
僕は虹が二重かどうか、確かめようと思っただろうか。
いや、先とか後とか運命っぽいとかそういうことではないのだ。
今、僕の見ているアレが、
というよりは、僕が今見ているコレが、
彼のいわんとしていた虹そのものなのだ、と、
そう思った。
彼に話す為のリアリティについて考えた。
あるいはそれを見たという証拠について。
そして僕はそれを観察しようと思った。
虹の赤っぽい方は外側にある。
そして紫っぽい方は内側にある。
逆ではない。
虹は影の伸びる方向に出来る。
太陽と反対側の景色にしかその姿を確かめたり拝んだりすることは出来ない。
内側の虹は、非常にくっきりと色鮮やかに映っているが、
外側の二番目に発見した虹は何故かぼんやりとしている。
内側の虹から外側の虹へは、視直径で3~5㌢ほど離れている。
数百㍍に感じるが、数㌔㍍のような気もする。
二重虹の左側はややハッキリとしていて、右側はかなりぼんやりと薄くて見えづらい。
そして一番重要なコト。
虹の色は、赤色から始まっているのではないということ。
そして七色では無いということ。
七色インコというのが七色なのかどうかはよく知らないが、
一般的に僕の住んでいる文化圏では虹は7色だと言われている。
だけど僕が見たそれは、
僕が今日、空に描くように確認したその虹は、
およそ10色くらいはあった。
すごく適当に数えて、だけど。
赤色の外側には桃色のような色が見えていた。
赤ピンクというか、なんというか。
紫色の内側には、茶色や灰色が見えていた。
そして赤紫というか、紅色のような色も。
虹の端っこはとても曖昧でぼんやりぼうっと浮き染み出るかすかな色がある
その色は、きっと紫外線の色であり、赤外線の色であると思う。
僕らが見ている虹の光は、そしてその色は、たぶんそれぞれの世界によって
きっと色んな風に違うんだと思う。
そして僕は、紫外線や赤外線の色を知る。
いや、紫内線や赤外線というべきか。
可視光線の範囲は、人によってどれくらいの差があるのだろう。
可聴域でさえ、20Hz~20kHzという範囲には、かなりアナログ的な曖昧さと、
いい加減でへんてこな個人差がある。
隣のテレビのリモコンの音を聞き分ける人間が居るように。
僕はなんだか、その虹を見たことを少しだけ幸せだと思った。
あるいは別な言い方をすると、じつはほんの少しだけ、
誰かを許そうと思った。
あるいはこの世界の事を、少しだけ許してもいいんじゃないかと思った。
たぶん、美しかったんだと思う。
僕にとって、その景色が。
歩きながら空を見上げる人間はどれくらいあるだろう。
そして雨の日に傘をささない人は、どれくらいあるだろう。
つまりそのような不思議で不幸な景色の確率は、どれくらいあるだろう。
「確率」と、呼ばない方がいいのかもしれない。
確率とは言えないような気がする。
ほんの少しの気まぐれで、
ほんのひとにぎりのヒトだけが 短い時の中で光を見る。
そういった偶然は、はてしなくいい加減でどしゃぶりの不幸の中で
不幸を味わった数だけ通り過ぎていく
雨の日に、目を合わそうともせず、通り過ぎる人の数だけ、
そこには瞳の水滴が降る。
僕が今日、ぼぅっと光浮き出る強いスペクトラムから受け取った何かは、
はたして幸運と呼べるものなのかどうかはわからない。
だけど僕はその景色を美しいと言おう。
そしてその景色を、その景色を見て美しいと思ったことを、
忘れないようにここに書いておこう。
やがて薄く薄く忘れられていく、
僕の中にある強い光とともに。
五時過ぎに、思い立って外へ出かけた。
近所のスーパーまで水を入れに出かけただけなんだけれど。
特に何か余分なものを持って行こうとは思わなかった。
それでも一応、電話と財布だけはポケットに入れて出た。
外は晴れていたけど、何か細かいものがさわさわと降っていた。
あまり気にせずに歩いていたら、眩しい暖かさのある強い光に照らされながらも
何故か霧雨が小雨に、小雨から雨に、だんだんと大粒の水滴へと変わっていった。
僕は空を見上げて、天気を確かめようと思った。
天気と言うよりは、天候、と言うべきだろうか。
青い空に、灰色の雲に、虹がかかっていた。
まぁいいや、傘なんかいらねぇ、と思いながら歩いていたのが
功を奏したというか、なんだかラッキーだな、と思った。
そしてこないだ話した友人が虹について語っていたのを思い出した。
二重の虹を生まれて初めて見た!
と喜んで話していた。
もしかして、と思いながら
歩を進めて景色を覗き込んでみれば。
そこに広がっているのは、彼の言っていた二重の虹だった。
なんだか不思議な気分になりながら、
僕はそのことについて考えた。
彼が言ったから、
僕には今日、虹が見えたのだろうか。
あのとき彼が二重の虹について話さなかったら、
僕は虹が二重かどうか、確かめようと思っただろうか。
いや、先とか後とか運命っぽいとかそういうことではないのだ。
今、僕の見ているアレが、
というよりは、僕が今見ているコレが、
彼のいわんとしていた虹そのものなのだ、と、
そう思った。
彼に話す為のリアリティについて考えた。
あるいはそれを見たという証拠について。
そして僕はそれを観察しようと思った。
虹の赤っぽい方は外側にある。
そして紫っぽい方は内側にある。
逆ではない。
虹は影の伸びる方向に出来る。
太陽と反対側の景色にしかその姿を確かめたり拝んだりすることは出来ない。
内側の虹は、非常にくっきりと色鮮やかに映っているが、
外側の二番目に発見した虹は何故かぼんやりとしている。
内側の虹から外側の虹へは、視直径で3~5㌢ほど離れている。
数百㍍に感じるが、数㌔㍍のような気もする。
二重虹の左側はややハッキリとしていて、右側はかなりぼんやりと薄くて見えづらい。
そして一番重要なコト。
虹の色は、赤色から始まっているのではないということ。
そして七色では無いということ。
七色インコというのが七色なのかどうかはよく知らないが、
一般的に僕の住んでいる文化圏では虹は7色だと言われている。
だけど僕が見たそれは、
僕が今日、空に描くように確認したその虹は、
およそ10色くらいはあった。
すごく適当に数えて、だけど。
赤色の外側には桃色のような色が見えていた。
赤ピンクというか、なんというか。
紫色の内側には、茶色や灰色が見えていた。
そして赤紫というか、紅色のような色も。
虹の端っこはとても曖昧でぼんやりぼうっと浮き染み出るかすかな色がある
その色は、きっと紫外線の色であり、赤外線の色であると思う。
僕らが見ている虹の光は、そしてその色は、たぶんそれぞれの世界によって
きっと色んな風に違うんだと思う。
そして僕は、紫外線や赤外線の色を知る。
いや、紫内線や赤外線というべきか。
可視光線の範囲は、人によってどれくらいの差があるのだろう。
可聴域でさえ、20Hz~20kHzという範囲には、かなりアナログ的な曖昧さと、
いい加減でへんてこな個人差がある。
隣のテレビのリモコンの音を聞き分ける人間が居るように。
僕はなんだか、その虹を見たことを少しだけ幸せだと思った。
あるいは別な言い方をすると、じつはほんの少しだけ、
誰かを許そうと思った。
あるいはこの世界の事を、少しだけ許してもいいんじゃないかと思った。
たぶん、美しかったんだと思う。
僕にとって、その景色が。
歩きながら空を見上げる人間はどれくらいあるだろう。
そして雨の日に傘をささない人は、どれくらいあるだろう。
つまりそのような不思議で不幸な景色の確率は、どれくらいあるだろう。
「確率」と、呼ばない方がいいのかもしれない。
確率とは言えないような気がする。
ほんの少しの気まぐれで、
ほんのひとにぎりのヒトだけが 短い時の中で光を見る。
そういった偶然は、はてしなくいい加減でどしゃぶりの不幸の中で
不幸を味わった数だけ通り過ぎていく
雨の日に、目を合わそうともせず、通り過ぎる人の数だけ、
そこには瞳の水滴が降る。
僕が今日、ぼぅっと光浮き出る強いスペクトラムから受け取った何かは、
はたして幸運と呼べるものなのかどうかはわからない。
だけど僕はその景色を美しいと言おう。
そしてその景色を、その景色を見て美しいと思ったことを、
忘れないようにここに書いておこう。
やがて薄く薄く忘れられていく、
僕の中にある強い光とともに。