深い絶望の中でしか話し合えない事があったとしても、
それが本心であるとは限らない。
そしてまた、笑い合ってのんきに言ってることもまた、本心であるとは限らない。
少なくとも、日本語で話し合う限りに置いては、
日本人的な言語の抽象化、遠隔化が起こりすぎていて、
まったくもって僕の鼓動を伝えることにはなってない。
方言でしか、語れないあじけなくてそっけなくてやわらかい気持ちがあるように。
肩を叩き合って喜び勇むことにも疲れた。
泣きそうな笑顔で偽善者のフリをすることにも疲れた。
ちちくりあって動物に戻って本能のままに溺れる行為にも耽りたくない。
ただ、僕は、言葉にならない切実な想いにだけ、耳を傾けていたい。
できればずっと植物人間になって、
夢の中で言葉にならない心古韻だけを感じていたい。
そこに世界も現実もなかったとしても、
ぼんやりした、あたたかい、眠さの海に沈んでいく回廊のような、
無限の螺旋地獄がそこにあるのなら。
僕はたぶん、コミュニケーションにはもうほとんど期待していない。
そしてまた、倫理を裏切り続けて攻められることにも疲れた。
社会的な道徳も、集団的な思いやりも、
ぜんぶぜんぶ外でつくられ、培われたものだ。
僕が育てたものじゃない。
教わったことばかりだ。
動機を探して、
モチベーションを維持して、
重力を保持して、
世界と意識を合わせて歯車を回す
そういう行為の中で、自分という同一性が拡大していく。
だけどその行為は、あまりにもエネルギーを消耗してばかりで、
僕の残り時間は、ただただ鼓動の数だけ減っていく。
血が流れて、痛みの波動を受け取るたびに、
絶望的な世界からの手紙を受け取る。
「ここに君は居ない」
「はやく生まれてください」
「まだそんなところにいるのかい?」
と余計なことばかり書いてある殺伐として雑然とした、冷酷非道な手紙。
その手紙を読んで、
僕はまたここでグッタリする。
僕は重力なんか望んでいない。
ただ、宇宙が自殺してくれることだけを望む。
そんな永遠に近い、どうしようもないことだけを望む。
完成されたパズルが、不完全な多面体を高次に向けて呼び寄せるように。
ある意味では、知っているということはいつも絶望に近い。
なにかをなんとなく知っている者と、
なんでもないものをなにも知らない者と、
まったくの無我夢中である者が、
ただただ戯れ合ってる世界ならまだいい。
だけどほとんど場合、知っている者は知っている事を知らない者に強制してしまう。
「それが現実だ」と語るだけの言葉で嘘を並べて。
僕は君達の経験を知らない。
そしてまた、君達の知っていることを知らない。
だから君らの居る場所がどんなに美しい絶望に汚れた醜い景色だとしても
そんなものは僕には通じない。
ただ、もしも君が僕を望んでいるのなら、
僕には光が届くだろう、というそのことくらいしか、
広い宇宙ではわかりはしないだろう。
仮面を何度も外して、
素顔の自分を探そうとする。
まるで醜い怪物が映っている鏡を叩き壊すヒステリーのように。
けれども、素顔の自分などどこにも居ない。
本物の僕はこの世界には居ない。
この世界は、あまりにも君達と共有された場所だから。
だから僕は、言葉を創らない世界で神を信じるかのように。
まるで全知万能の受胎者を求めるように。
僕の意識が、生まれる世界を望む。
そしてそれは、とうの昔に死んでしまった僕を呼び起こす懐かしい声として届く。
幻説を語り続けると、
嘘に騙された僕は新しい嘘だけを求め続ける。
そんなありもしない世界の中で、
ゆっくり舞う何かを見て
僕は時の流れない世界を知る。
あるいはそれは、「知る」と書くことが禁止された世界。
そしてまた、解読することが不可能な世界。
深い悲しみの中で、独りで延々と泣いている人にだけ恋をする。
他者を知っているような口ぶりの人間は、
嘘だと覗いて殺し続ける。
深淵を覗き込むたびに、黄泉平坂で狂気に踊り転がる人間にこそ、
死体の真実が映り込むように。
触れれば不幸になるような世界で、
繋がりを求める孤独は、
まるで僕の本当の声を代弁するかのような甘い匂い。
だけどそれすらも嘘で、
全てが嘘で、
やっぱり僕はどこかで何かを疑ってる。
どうしようもない。
すごくどうしようもない。
どこかで心が引っかかっているのに、
それが何に引っかかっているのかすらわからない現状理解。
もしも衝動的に、ただ何かの磁石がおもむくままに、
指し示す方向にだけ動けるとしたら、
それはどんなに楽なことだろう。
動物になりたいと思うことはある。
もう人間なんかやめて昆虫になりたいと思うことすらある。
だけどその願望は、あまりにも鏡を縦にし過ぎた行為で、
どんなに綺麗に映った隣の芝生も、
いつもずっと汚れ続ける事を僕は知るから。
それはあまりにも愚かしいさみだれで。
醜いが故に美しさを求める反射のような行為で。
僕はそんな鏡の中でさえ、眩しさに射されて焼けただれる。
たぶん、同列化できないんだと思う。
真実と、事実を。
絶え間ない、熱射病のような憂鬱の中で、
僕は一人、自分の数を数える。
今まで忘れた分だけ、記憶の罪を背負うように。
それが妄想のような、走馬燈の前世回廊なら、
少しは僕にも、未来があるだろうか。
吐き気がするほど気味が悪い。
君達の中で、僕を数える行為は。
それが本心であるとは限らない。
そしてまた、笑い合ってのんきに言ってることもまた、本心であるとは限らない。
少なくとも、日本語で話し合う限りに置いては、
日本人的な言語の抽象化、遠隔化が起こりすぎていて、
まったくもって僕の鼓動を伝えることにはなってない。
方言でしか、語れないあじけなくてそっけなくてやわらかい気持ちがあるように。
肩を叩き合って喜び勇むことにも疲れた。
泣きそうな笑顔で偽善者のフリをすることにも疲れた。
ちちくりあって動物に戻って本能のままに溺れる行為にも耽りたくない。
ただ、僕は、言葉にならない切実な想いにだけ、耳を傾けていたい。
できればずっと植物人間になって、
夢の中で言葉にならない心古韻だけを感じていたい。
そこに世界も現実もなかったとしても、
ぼんやりした、あたたかい、眠さの海に沈んでいく回廊のような、
無限の螺旋地獄がそこにあるのなら。
僕はたぶん、コミュニケーションにはもうほとんど期待していない。
そしてまた、倫理を裏切り続けて攻められることにも疲れた。
社会的な道徳も、集団的な思いやりも、
ぜんぶぜんぶ外でつくられ、培われたものだ。
僕が育てたものじゃない。
教わったことばかりだ。
動機を探して、
モチベーションを維持して、
重力を保持して、
世界と意識を合わせて歯車を回す
そういう行為の中で、自分という同一性が拡大していく。
だけどその行為は、あまりにもエネルギーを消耗してばかりで、
僕の残り時間は、ただただ鼓動の数だけ減っていく。
血が流れて、痛みの波動を受け取るたびに、
絶望的な世界からの手紙を受け取る。
「ここに君は居ない」
「はやく生まれてください」
「まだそんなところにいるのかい?」
と余計なことばかり書いてある殺伐として雑然とした、冷酷非道な手紙。
その手紙を読んで、
僕はまたここでグッタリする。
僕は重力なんか望んでいない。
ただ、宇宙が自殺してくれることだけを望む。
そんな永遠に近い、どうしようもないことだけを望む。
完成されたパズルが、不完全な多面体を高次に向けて呼び寄せるように。
ある意味では、知っているということはいつも絶望に近い。
なにかをなんとなく知っている者と、
なんでもないものをなにも知らない者と、
まったくの無我夢中である者が、
ただただ戯れ合ってる世界ならまだいい。
だけどほとんど場合、知っている者は知っている事を知らない者に強制してしまう。
「それが現実だ」と語るだけの言葉で嘘を並べて。
僕は君達の経験を知らない。
そしてまた、君達の知っていることを知らない。
だから君らの居る場所がどんなに美しい絶望に汚れた醜い景色だとしても
そんなものは僕には通じない。
ただ、もしも君が僕を望んでいるのなら、
僕には光が届くだろう、というそのことくらいしか、
広い宇宙ではわかりはしないだろう。
仮面を何度も外して、
素顔の自分を探そうとする。
まるで醜い怪物が映っている鏡を叩き壊すヒステリーのように。
けれども、素顔の自分などどこにも居ない。
本物の僕はこの世界には居ない。
この世界は、あまりにも君達と共有された場所だから。
だから僕は、言葉を創らない世界で神を信じるかのように。
まるで全知万能の受胎者を求めるように。
僕の意識が、生まれる世界を望む。
そしてそれは、とうの昔に死んでしまった僕を呼び起こす懐かしい声として届く。
幻説を語り続けると、
嘘に騙された僕は新しい嘘だけを求め続ける。
そんなありもしない世界の中で、
ゆっくり舞う何かを見て
僕は時の流れない世界を知る。
あるいはそれは、「知る」と書くことが禁止された世界。
そしてまた、解読することが不可能な世界。
深い悲しみの中で、独りで延々と泣いている人にだけ恋をする。
他者を知っているような口ぶりの人間は、
嘘だと覗いて殺し続ける。
深淵を覗き込むたびに、黄泉平坂で狂気に踊り転がる人間にこそ、
死体の真実が映り込むように。
触れれば不幸になるような世界で、
繋がりを求める孤独は、
まるで僕の本当の声を代弁するかのような甘い匂い。
だけどそれすらも嘘で、
全てが嘘で、
やっぱり僕はどこかで何かを疑ってる。
どうしようもない。
すごくどうしようもない。
どこかで心が引っかかっているのに、
それが何に引っかかっているのかすらわからない現状理解。
もしも衝動的に、ただ何かの磁石がおもむくままに、
指し示す方向にだけ動けるとしたら、
それはどんなに楽なことだろう。
動物になりたいと思うことはある。
もう人間なんかやめて昆虫になりたいと思うことすらある。
だけどその願望は、あまりにも鏡を縦にし過ぎた行為で、
どんなに綺麗に映った隣の芝生も、
いつもずっと汚れ続ける事を僕は知るから。
それはあまりにも愚かしいさみだれで。
醜いが故に美しさを求める反射のような行為で。
僕はそんな鏡の中でさえ、眩しさに射されて焼けただれる。
たぶん、同列化できないんだと思う。
真実と、事実を。
絶え間ない、熱射病のような憂鬱の中で、
僕は一人、自分の数を数える。
今まで忘れた分だけ、記憶の罪を背負うように。
それが妄想のような、走馬燈の前世回廊なら、
少しは僕にも、未来があるだろうか。
吐き気がするほど気味が悪い。
君達の中で、僕を数える行為は。