考え方の違い、
構え方の違い、
だけどもっとあるのは
未来に対する絶望感の違い?
こんにちは。
ゲゲゲのア太郎さん。
暗いところの入り口へようこそ。
この先には何にもないですよ?
天気予報の話をしようか。
天気予報の的中率は、8割くらいだと言われています。
まぁ、短期予報での話。
なんでか。
気象衛星という「カメラ」が
マクロ方向での「遠く」にあるからなんだけど、
これについて、僕は「近く」にあると思ってる。
何から近いかっていうと別に僕に近いわけじゃない。
「天気」に近い。
だから短期予報ではかなり当たる。
けど、長期予報はまず当たらない。
これはミクロ方向でのカメラが、
あまりたいした精度をもっていないからだと思われる。
じゃぁ、ミクロ方向のカメラの精度をあげるため、
天気観測用ナノマシンを大気圏に大量散布、地表にも大量散布、
地殻を掘って地核にも埋めてみる?
それで壱年後の天気がわかるだろうか。
おそらく、わからないだろう。
もちろん、予測を立てることは出来るだろう。
予測の正確さというのは、収集した情報の量に大きな比重がかかっていると思われる。
で、君の「会う」について。
君が何と出会ったのか、
それについては君の話だから詳しくは書かないし、
たぶん書けない。
だから適当な事を書くんだけど
君がもし{嘘の吐き方}という場で
何者かに出会うことが出来たのだとしたら、
それはここにある記号達が、君の知っている言葉達と
とても親しい、側にある、近しい、関係にあるからではないかな?
や。
もちろん違うかもしれんのだけどさ。
僕の言っている会いたい、会いたくない
というのは主に自意識と他意識についての話です。
例え君が物理的に側に居たとしても、
君がマンガやらゲームやらに熱中し、
全く僕の方に見向きもしなかったら、
それを「会う」に含めても良いのだろうか?
よいでしょうかね?
世間一般的には、どうなんでしょうねぃ?
まぁ、しったこっちゃないんだけどさ、一般論なんて。
僕はそれが僕自身の態度の問題、
姿勢の問題ではないかと疑って色々考えたりはするし、
したことはあるし、
まぁ半分くらいはそういう要因があるのかもしれない。
けど、もっと大きなウエイトを占めてる何かがあるんじゃないかな?
例えば目の光、例えば心臓の鼓動、例えば明日の天気、
例えば脳の形状、形質、やわらかさ、硬さ、電気、物理構造、
血流、風、細菌、背後霊、自縛霊、超能力、前世、来世、運命、
金、孤独、思想史、情報、物理法則
こういったものは、僕の周りをとりまく要因たちだね。
だけど、カメラの位置はどこにある?
僕が死んだ位置は、どこにある?
僕が生まれた領域は、場は、点は、世界は、僕を創った神は、どこにある?
誰が僕を造ったかではなく、何が僕を創った?
僕は本当に生まれた?死んだ?
心はどこに?記憶はどこに?形はどこに?
存在という観念の話はだいぶ飽きてきた。
おそらく、存在とは抽象概念としてうまれ、抽象概念として死ぬだろう。
だけど僕は?
どこに?
君は、どうやって僕と会ったの?
君は「できるぜ?」「できるんだよ。」と言ったね。
その意味を聞こうか。
君が出会った何かと、対話が『出来る』のだとしたら。
今、僕が消滅しても君の世界は気付かない。
どうやって会話するのか、何と会話するのか、
そしてそれは対話となりうるのか。
君の思うところを、少し聞いてみよう。
そこに何か驚きがあるのなら、
君は何かと出会えるかもしれない。