7月20日はハンバーガーの日です!
ハンバーガーは、牛肉のパティをバンズと呼ばれるパンに挟んだ食べ物で、アメリカ合衆国を代表する国民食とされています。
このハンバーガーは、1940年代にマクドナルド兄弟がカリフォルニア州に開いたドライブインでメニューに出され、評判になったことで、アメリカを中心に各国に広まりました。
日本には第二次世界大戦後に長崎県の佐世保に駐留した米軍を通じて、本格的に持ち込まれたとされています。
そして、1971(昭和46)年の今日(7月20日)、東京の銀座三越の1階にマクドナルドの日本第1号店がオープンしました。 この第1号店の店舗は面積129平方メートルと非常に小さな持ち帰り専門店で、客席はありませんでした。
値段は、ハンバーガー80円・チーズバーガー100円・ビッグマック200円・フィレオフィッシュ100円・マックフライポテト70円などで、当時の物価からすると少し高めでしたが、それでもオープン初日だけで1万人以上の客が銀座店につめかけ、1日で100万円以上の売り上げを記録したそうです。
この第1号店をオープンするまでには、日本マクドナルドの創業者である藤田 田氏の大変な苦労がありました。
まず、この1号店を開く場所については、「流行の情報発信基地である銀座で話題になれば、商売も必ず成功するはず」と考えて銀座に絞り、そして交差点角という絶好の立地条件にあった三越百貨店に決め、交渉に入ります。 交渉は難航しますが、最終的に銀座三越店店長の岡田 茂(後の社長)は、条件付きで許可しました。 その条件というのは、銀座三越の日曜日の閉店時間である18時から定休日の月曜日を挟んで火曜日の開店時間の10時までの40時間の間に改装工事を終えるのであれば出店を許可するというものでした。
藤田氏はこの条件を呑んで、突貫工事を行い、通常であれば1ヶ月半もかかるものを39時間で完了させ、見事開店にこぎつけたのでした。
その後、同年7月24日に第2号店である代々木店をオープンさせ、この年に5店舗を出店し、5年後の1976(昭和51)年12月には100店舗を達成し、11年後の1982(昭和57)年には年商902億9,300万円となり、外食産業売上高日本一になったのでした。
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