大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄鍛冶屋線 鍛冶屋駅!

2016年03月21日 | 

兵庫県多可郡中町(現・多可町中区)にあった鍛冶屋駅は、加古川線の野村駅(現在の西脇市駅)と鍛冶屋駅とを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった鍛冶屋線(13.2km)の終着駅でした。
もともとは播州鉄道の一般駅として1923(大正12)年5月6日に開業し、その後、播丹鉄道を経て国鉄鍛冶屋線の駅となりましたが、1990(平成2)年4月1日に鍛冶屋線が廃止されたことに伴い廃駅となりました。

廃止時は単式ホーム1面1線のみを有する有人駅でした。
開業時に建てられた木造駅舎が最後まで健在でした。

鍛冶屋駅が属していた鍛冶屋線は、1923(大正10)年5月6日に播州鉄道が全通させました。 播州鉄道はこの地方の特産品である酒造米の山田錦の輸送を主たる目的に、加古川を起点にして高砂・谷川・三木・北条・鍛冶屋と5方向へ路線を開業させましたが、やがて経営不振に陥り、1923年12月21日に播丹鉄道へ譲渡します。
しかし、その播丹鉄道も太平洋戦争中の1943(昭和18)年6月1日に戦時体制の国に買収されて、国鉄鍛冶屋線となりました。

この鍛冶屋線も昭和40年頃からモータリゼーションの普及とと地場産業の変化に伴い、旅客・貨物輸送量共に年々減少していき、1984(昭和59)年の営業係数(100円の収入を得るのに必要な費用)は1026にまでなっていました。
こうしたことから、1980(昭和55)年12月に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)により、鍛冶屋線は1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されます。 地元では鍛冶屋線特定地方交通線対策協議会を開いて、第3セクター鉄道への転換やバス転換などいろいろ協議した結果、1988(昭和63)年12月に全線を廃止してバス転換することに決定しました。

そして鍛冶屋線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された後、1990(平成2)年4月1日に廃止され、それに伴い鍛冶屋駅も廃駅となりました。

現在、鍛冶屋駅の跡地には当時の木造駅舎が整備・保存されて鉄道資料館の鍛冶屋線記念館として使用されており、キハ30形気動車1両も保存されています。

 <鍛冶屋駅の年表>

 ・1923(大正12)年5月6日:播州鉄道の一般駅である終着駅として開業
 ・1923(大正12)年12月21日:播州鉄道が播丹鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
 ・1943(昭和18)年6月1日:播丹鉄道が国有化されて国鉄鍛冶屋線となり、同線の駅となる
 ・1974(昭和49)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1990(平成2)年4月1日:鍛冶屋線の廃止に伴って廃駅となる

 
(駅 名 標)

 
(駅 構 内)

 

 
(鍛冶屋駅駅舎)


 撮影年月日:1989(平成元)年4月9日 


今日はランドセルの日!

2016年03月21日 | 今日は何の日

3月21日はランドセルの日です!

小学校6年間の思い出をいっぱいつめ込んだランドセルに感謝の気持ちを、とランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」が提唱しました。

日付は3+2+1が小学校の修業年数の6になることから3月21日になりました。

ランドセルは、日本の多くの小学生が通学時に教科書やノートなどの学用品を入れて背中に背負う鞄です。

<ランドセルの起源>

江戸時代の末期に幕府が洋式軍隊制度を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品としてオランダからもたらされた背嚢(はいのう)がランドセルの起源で、この背嚢がオランダ語で「ransel」と呼ばれていたことから、これがなまって『ランドセル』になったとされています。

そして、明治時代以降も日本陸軍では下士官用として革製の背嚢が採用されていました。
通学鞄としての利用は、官立の模範小学校として開校した学習院初等科が創立間もない1885(明治18)年に「教育の場での平等」との理念から馬車や人力車による登下校を禁止し、学用品を入れて生徒が自分で持って登校するための通学鞄として背嚢を導入しましたが、これが通学鞄としての利用の起源だとされています。

ところで、ランドセルの製作の大部分は手作業で行われており、1個のランドセルに用いられる部品は金具も入れて100個以上となるそうです。
また、ランドセルの色については、以前は男子が黒で女子は赤が主流でしたが、2000年代に入ってからはピンク・茶・紺・緑・青などカラフルなものも売れ始めました。

 


函館本線 江部乙駅!

2016年03月19日 | 

北海道滝川市江部乙町にあるJR北海道の江部乙駅は、函館駅から長万部駅、小樽駅、札幌駅を経由して旭川駅までを結んでいる函館本線(423.1km)の駅です。
もともとは北海道官設鉄道の一般駅として、1898(明治31)年7月16日に開業しました。

単式ホームと島式ホームの2面3線を有する無人駅です。
1953(昭和28)年2月に建てられた駅舎が単式ホームに今も健在で、島式ホームの2・3番のりばへは跨線橋を渡ります。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は41人です。

この江部乙駅は、1988(昭和63)年3月13日のダイヤ改正で廃止された急行「かむい」の停車駅でした。

 <江部乙駅の年表>

 ・1898(明治31)年7月16日:北海道官設鉄道の一般駅として開業
 ・1905(明治38)年4月1日:国鉄の駅となる
 ・1953(昭和28)年2月27日:駅舎改築
 ・1955(昭和30)年2月1日:跨線橋改築
 ・1964(昭和39)年8月:複線化に先立ち、下りホームの増設と跨線橋拡張
 ・1982(昭和57)年11月15日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年11月10日:運転要員を除いて駅の無人化(出札業務は継続)
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1997(平成9)年12月19日:運転要員の無人化 出札業務の簡易委託化
 ・2003(平成15)年4月1日:駅の完全無人化

 
(駅 名 標)

 
(跨線橋から札幌方面を望む)

 
(旭川方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(江部乙駅駅舎)


 撮影年月日:2003(平成15)年6月22日


山陽電鉄 中八木駅!

2016年03月17日 | 

兵庫県明石市にある中八木駅は、西代駅から山陽姫路駅までを結んでいる山陽電鉄本線(54.7km)の駅です。 もともとは神戸姫路電気鉄道の駅として、1923(大正12)年8月19日に開業しました。

4両分の有効長をもつ相対式ホーム2面2線を有する無人駅です。
駅舎は下りホーム(姫路方面行きホーム)の神戸寄りにあり、上りホームとは地下道で繋がっています。

2009(平成21)年度の1日の平均乗降人員は2,757人です。

 <中八木駅の年表>

 ・1923(大正12)年8月19日:神戸姫路電気鉄道の駅として開業
 ・1927(昭和2)年4月1日:神戸姫路電気鉄道が宇治川電気と合併し、同社の駅となる
 ・1933(昭和8)年6月6日:宇治川電気の鉄道部門が分離独立して山陽電気鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・1970(昭和45)年6月:上下ホームの連絡地下道を設置

 
(駅 名 標)

 
(姫路方面を望む)

 

 
(中八木駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2013(平成25)年12月23日


名松線 伊勢奥津駅(旧駅舎)!

2016年03月16日 | 

三重県津市美杉町にあるJR東海の伊勢奥津駅は、紀勢本線の松阪駅と伊勢奥津駅とを結んでいる全線単線非電化の国鉄名松線(43.5km)の一般駅として、1935(昭和10)年12月5日に開業しました。

かつては単式ホーム1面2線を有していましたが、新駅舎の建設に伴い単式ホーム1面1線のみになりました。
開業時に建てられた木造駅舎は、2005(平成17)年2月に八幡地域住民センターとの合築駅舎に建て替えられました。

伊勢奥津駅が属する名松線は、もともとは名張と松阪を結ぶ計画で建設が始まりましたが、松坂~伊勢奥津間が開業したにとどまりました。
そして、名松線は1968(昭和43)年9月1日に国鉄諮問委員会が提出した意見書にも名を連ね、1980(昭和55)年12月の国鉄再建法施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、1985(昭和60)年8月2日に沿線の代替道路未整備を理由に廃止対象から除外されました。

この名松線は、2009(平成21)年10月8日の台風18号の被害によって家城~伊勢奥津間が不通となり、列車の運行が休止されてバスによる代行運転が行われていましたが、3月26日のダイヤ改正で列車の運行が再開されます。

 <伊勢奥津駅の年表>

 ・1935(昭和10)年12月5日:国鉄名松線の一般駅として開業
 ・1965(昭和40)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる
 ・1990(平成2)年4月:駅の無人化
 ・2005(平成17)年2月:新しい駅舎が竣工
 ・2009(平成21)年10月8日:台風18号の被害により、名松線が全面運休
 ・2009(平成21)年10月5日:家城~伊勢奥津間がバス代行により列車運行休止

 
(駅 名 標)

 
(かつての駅構内)

 
(旧駅舎・ホーム側)

 
(旧 駅 舎)


 撮影年月日:2000(平成12)年9月10日