(藤袴)
「薄き鈍(にび)色の御衣 なつかしきほどにやつれて
例に変わりたる色あひにしも、容貌(かたち)いとはなやかにもてはやされておはするを・・」
「宰相の中将、同じ色の今少しこまやかなる直衣(のうし)姿にて、
纓巻きたまへる姿しも、またいとなまめましうきよらにておはしたり」
「薄き鈍(にび)色の御衣 なつかしきほどにやつれて
例に変わりたる色あひにしも、容貌(かたち)いとはなやかにもてはやされておはするを・・」
「宰相の中将、同じ色の今少しこまやかなる直衣(のうし)姿にて、
纓巻きたまへる姿しも、またいとなまめましうきよらにておはしたり」
大宮が亡くなって、孫にあたる玉鬘も喪に服し、弔事に使用される鈍色の衣服となった。
いつもより変わった色合いの衣服がかえって大変はなやかな彼女を引き立てる。
いつもより変わった色合いの衣服がかえって大変はなやかな彼女を引き立てる。
鈍(にび)色とは喪に使用する色。墨色。薄い色から濃い色がある。
現代ではグレーと思う。
現代ではグレーと思う。
夕霧が同じ色でも少し濃い色を着たのは、同じ孫でも大宮と関係が深い血族だったからか。
同じ色は光源氏も葵上が亡くなった時に着用している。
「にばめる御衣たてまつれるも、夢のここちして
われ先立たましかば、深くぞ染めたまはしとおぼすさへ」(葵)
われ先立たましかば、深くぞ染めたまはしとおぼすさへ」(葵)
昭和天皇崩御の際に、皇族がグレーの洋装だった事が印象的だったが、
皇室では正式な喪の服装と説明していたように思う。
現代では黒色を喪に使用する。
どちらも、つるばみ・矢車(やしゃ)などの樹の実を煎じた汁で染めた後、
鉄分のある液につけて発色させる。鉄分のバイセン液を使用すると暗い色に染まる。
皇室では正式な喪の服装と説明していたように思う。
現代では黒色を喪に使用する。
どちらも、つるばみ・矢車(やしゃ)などの樹の実を煎じた汁で染めた後、
鉄分のある液につけて発色させる。鉄分のバイセン液を使用すると暗い色に染まる。
黒豆を煮る時に、更に色を黒っぽくさせるため錆びた鉄クギを入れるのと同様である。
吉岡幸雄氏によれば、<鈍>という字に刀が錆びて切れが鈍いという意味で、
おそらく錆びた刀を木酢などの液につけて鉄分を出したのではないかと推測されている。
鈍色
http://www.studio-mana.com/ippuku/dentousyoku/shikisou15.html
おそらく錆びた刀を木酢などの液につけて鉄分を出したのではないかと推測されている。
鈍色
http://www.studio-mana.com/ippuku/dentousyoku/shikisou15.html
巻纓については弔事にも使用。
纓を下に垂らさず、巻いて冠の中に纓を入れる。
弔事には無紋の冠で巻纓にする。
写真は<源氏物語図典>より。
纓を下に垂らさず、巻いて冠の中に纓を入れる。
弔事には無紋の冠で巻纓にする。
写真は<源氏物語図典>より。