源氏物語と共に

源氏物語関連

桂(かつら)

2007-10-19 09:12:54 | 

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(藤袴)
柏木頭の中将が父の代理で玉鬘へ訪れる


  「月の明き夜、桂の陰に隠れてものしたまへり」


<桂>が気になったので調べてみた。
すごく大きな木のようだ。


以前の檀(マユミ)やオギなどの植物からもわかるように、
玉鬘の屋敷は非常にうっそうとした所にあるという事になる。
この点について、
六条院の玉鬘邸は昔玉鬘の母夕顔が死んだ河原院かもしれないという
村井利彦教授説にも当てはまるかもしれない。


村井利彦 「檀の木の下でー源氏物語篝火巻管見ー」
 2004・12 神戸山手短期大学紀要 47号   参照


そして桂は中国の伝説では、月の中にある理想の木とされる。
月明かりと桂。式部はこういう事も知っていて、この場面を描いたのかもしれない。


ウィッキぺディアによれば、
「桂」は「月の中にあるという高い理想」を表す木であり、「カツラ(桂)を折る」とも用いられる。しかし中国で言う「桂」はモクセイ(木犀)のことであって、日本と朝鮮では古くからカツラと混同されている(万葉集でも月にいる「かつらをとこ(桂男)」を歌ったものがある との事。


写真は <季節の花300>より。京都下鴨神社の桂の木



鈍(にび)色、巻纓

2007-10-17 08:38:07 | 

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(藤袴)
 
「薄き鈍(にび)色の御衣 なつかしきほどにやつれて
 例に変わりたる色あひにしも、容貌(かたち)いとはなやかにもてはやされておはするを・・」
 
「宰相の中将、同じ色の今少しこまやかなる直衣(のうし)姿にて、
 纓巻きたまへる姿しも、またいとなまめましうきよらにておはしたり」  


大宮が亡くなって、孫にあたる玉鬘も喪に服し、弔事に使用される鈍色の衣服となった。
いつもより変わった色合いの衣服がかえって大変はなやかな彼女を引き立てる。


鈍(にび)色とは喪に使用する色。墨色。薄い色から濃い色がある。
現代ではグレーと思う。


夕霧が同じ色でも少し濃い色を着たのは、同じ孫でも大宮と関係が深い血族だったからか。


同じ色は光源氏も葵上が亡くなった時に着用している。


「にばめる御衣たてまつれるも、夢のここちして
われ先立たましかば、深くぞ染めたまはしとおぼすさへ」(葵)


昭和天皇崩御の際に、皇族がグレーの洋装だった事が印象的だったが、
皇室では正式な喪の服装と説明していたように思う。
現代では黒色を喪に使用する。
どちらも、つるばみ・矢車(やしゃ)などの樹の実を煎じた汁で染めた後、
鉄分のある液につけて発色させる。鉄分のバイセン液を使用すると暗い色に染まる。






黒豆を煮る時に、更に色を黒っぽくさせるため錆びた鉄クギを入れるのと同様である。


吉岡幸雄氏によれば、<鈍>という字に刀が錆びて切れが鈍いという意味で、
おそらく錆びた刀を木酢などの液につけて鉄分を出したのではないかと推測されている。
鈍色
http://www.studio-mana.com/ippuku/dentousyoku/shikisou15.html



巻纓については弔事にも使用。
纓を下に垂らさず、巻いて冠の中に纓を入れる。
弔事には無紋の冠で巻纓にする。
写真は<源氏物語図典>より。



葡萄色(えびいろ)、今様色、青鈍(あおにび)色、落栗色

2007-10-13 17:26:44 | 
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=葡萄色=

  葡萄と書いて<えび>と読み、<エビカズラ>をさす。

  <エビカズラ>は山葡萄の古名。
  吉岡幸雄氏によれば、葡萄色は王朝の人々に愛された色。
  清少納言の枕草子にも記述がある。

  枕草子83段「めでたきもの」に葡萄染の織物をあげ、
   <六位の宿直(とのい)姿のをかしきも、紫のゆゑなり>
  葡萄色の指貫の紫ゆえに6位の縹色(青系)姿が魅力的とある。

  又、長崎盛兼氏によれば、染色では、紫根による赤味の淡い紫。
  織色は経紅または赤、緯紫で、重ね染め織の色には多少の違いがある。
  「源氏物語」の他に、「うつぼ物語」に<えびぞめかさね>、
  「紫式部日記」に<葡萄染の織物の小袿>など、この時代の日記物語での所見が多い   

=今様色=
 
  紅花で染めた濃い赤色。
  今様とは、今流行の色。吉岡氏によれば、当時の人がいかに紅花染の赤系色を好んだ
  しかし長崎氏によると、
  今様色はゆるし色ゆえ、濃い色は禁制にして、
  ゆる(聴る)色と、ためし色(様色、標準色)があると
  <源氏物語男女装束抄>に記述されている    
  
  <源氏物語男女装束抄>とは、
  享保時代に源氏物語の中に記された男女装束・色目を考証した有職故実書。

  同じ色でも微妙に違っているのですね~

=青鈍色=

  青色に墨系の色となる染料をかけ、鉄分で媒染した薄く墨がかった青色。
  
  平安時代は近親者が亡くなった場合、鈍(にび)色と呼ばれる黒系の色の衣服で
  喪に服していることをあらわす。平安時代では喪の色。
  
  葵の上が亡くなった時に、六条御息所から濃き青鈍の紙で弔問の手紙が来たり、
  空蝉の尼君に源氏が青鈍色の織物を送っている記述がある。

  これでは、おめでたい色といえず、末摘花の感覚を疑いますね^^

=落栗色=

  実り落ちた栗の色。暗い赤褐色。
  <花情余情>には、<落栗トハ、濃紅ノ黒ミ入タルホドニ染タルヲ云ベシ>
  とあります。
  この点について吉岡幸雄氏は他の注釈本により、王朝人の落栗色は現代の色と違って
  かなり赤味に映ったようだと指摘されていました。
 

葡萄色(えびいろ)、今様色、青鈍(あおにび)色、落栗(おちぐり)色(1)

2007-10-12 10:32:28 | 

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行幸(みゆき)


 葡萄染(えびぞめ)の御指貫(おんさしぬき)、桜の下襲(したがさね)、
 いと長く裾(しり)引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、
 あなきらきらしたまえるに、六条殿は、桜の綺の御直衣(おんなほし)、
 今やう色の御衣(おんぞ)ひき重ねて、しどけなきおほきみ姿、
 いよいよたとへむかたなし。
 


光源氏が葵の上の母、大宮の所へお見舞いに行く場面。
太政大臣である光源氏が来て内大臣に話があるという。
てっきり夕霧と雲居雁の結婚話かと思った(内大臣)頭中将は
何人かの息子達を引き連れて、下襲を長く引いて現れます。
内大臣のオシャレした立派な登場~


葡萄染とは山葡萄(やまえび)古くは葡萄(えび)かずらで染める紫の色の事です。
<新潮日本古典集成>には<薄い紫色>と注釈がありましたが、
今回はそれより吉岡幸雄さんの普通の紫色で見ました。
桜色と紫色の衣服はキレイでしょうね~上着は何だったのか?直衣?
ちょっとわかりません。


その内大臣対して、光源氏はちょっとくだけた直衣で<おおきみ姿>
これは、皇子クラスに許された装いです。
ここでも内大臣は光源氏にはおよばないと描かれています。


今様色は私のイメージでは赤の濃い色でしたが、吉岡氏は少し濃いピンク色。
桜と今様色。ピンクと赤でこれまた美しいイメージです。


玉鬘が内大臣の娘であると打ち明け、裳着の腰結(こしゆい)の役を頼みます。
感激する内大臣。
今は政治のライバルとして疎遠になってしまった二人ですが、
会えば昔の須磨などの思い出話にくれるのでした。


そして玉鬘の裳着のお祝にと、あちこちから贈り物が送られます。


あの末摘花からお祝いにと、とんでもない歌と贈り物が届きました!


青鈍色の細長(ほそなが)一襲(ひとそろえ)、落ち栗とかや、・・
紫のしらきりみゆる霰地(あられじ)の御小内袿(おんこうちぎ)・・


青鈍色は青系の色。しかし<鈍(にび)色>という名の色は喪に服した時に使用する墨がかった色です。
落栗色も地味な色で、2月という季節に合わず、
色も名もおめでたい時に贈るものではありません。


もし現代に例えるのなら、お祝いの風呂敷や袱紗に喪用の色を贈るという事でしょうか?


あいかわらず感覚が変な末摘花は笑われます。
(源氏に引きとられてからは、まわりの女房に気の利いた人はいなかったのでしょうか?)


現代でもお祝いの贈り物はおめでたいものをと気を遣いますね^^
色見本は吉岡幸雄氏の<日本の色事典>より。
写真最後は風俗博物館。朱雀院五十の賀試楽より。下襲を欄干にかけて流しています。


装束
http://park17.wakwak.com/~tatihana/onmyou/yougo_folder/isyou.html
山葡萄「やまぶどう。古くは葡萄(えび)かずらといった」
http://plaza.rakuten.co.jp/planthokkaido/diary/200609070003/