よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

けまりの庭-奈良県桜井市:談山神社

2024年12月22日 | 奈良(奈良市以外)
Tanzan Shrine, Sakurai City, Nara Pref.

さてさて、「談山神社」で紅葉を楽しむワタクシですが、十三重塔から石段を下ってきました。
すると、ちょっと開けた場所にたどり着くんですよ


ここは「けまりの広場」というのですが、置かれてあるのは蹴鞠の鞠を表すオブジェでしょうか。
そうそう、ここ談山神社って「蹴鞠」とゆかりの深い場所なんです


というのは、談山神社の祭神である藤原鎌足は、飛鳥で行われた蹴鞠の席で中大兄皇子と出会い、意気投合して親交を深めます。
その故事に基づき、談山神社では春と秋に「けまり祭」が斉行され、蹴鞠保存会による蹴鞠奉納が執り行われているんです


そもそも藤原鎌足という人は何をした人なのでしょうか。ちょっとまとめておきたいと思います。
天皇中心の国づくりを目指した「聖徳太子」が622年に死去すると、大臣を務める蘇我氏が権勢を振るい、
皇位継承における人事にも大きな発言力を持つようになるんですね。
後に、蘇我氏の中心人物となった蘇我入鹿は、人望があり皇位継承権のある聖徳太子の息子である山背大兄王が邪魔でした。
そこで蘇我入鹿は、643年に挙兵。山背大兄王のいる斑鳩宮に攻め入り、自害に追い込んでしまいました


この蘇我氏の横暴に憤りを感じていたのが、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)でした。
2人は蘇我入鹿の暗殺計画を練り、645年、朝鮮三国(高句麗、百済、新羅)の使者が朝廷を訪れて貢物を献上する
「三国の調の儀式」が執り行なわれる日に蘇我氏暗殺を実行しました


三国の調の儀式が始まると、中大兄皇子は自ら蘇我入鹿を殺害します。
蘇我入鹿の父である蘇我蝦夷は息子の訃報を聞くと自邸に火を放って自害しました。栄華を誇った蘇我氏はあっけなく滅びてしまうわけです。
蘇我入鹿暗殺のわずか2日後、中大兄皇子を皇太子とし中臣鎌足を天皇の最高顧問で政務の機要を掌握する内臣とする新政府が樹立され、
これまで無名だった中臣鎌足が事実上のナンバー2として歴史の表舞台に躍り出るわけですな


こののち中臣鎌足は、中大兄皇子の腹心として活躍し、日本史上初の官僚機構を築き上げ、国政の改革に乗り出します。
この一世一代のクーデター「乙巳の変」以降、中大兄皇子や中臣鎌足らによって行なわれた改革が「大化の改新」と呼ばれています。
中臣鎌足と中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼしたという出来事だけを大化の改新という訳ではないのですよ


この日は「紅葉まつり」ということで、いろんなイベントが行われていました。
猿回しのお猿さんは休憩中で、リラックスした表情を見せてくれていました


長きにわたって続けてきた「紅葉シリーズ」も今日で終わりです。長いお付き合い、ありがとうございました。
今年の紅葉はダメだ…と諦めかけていたのですが、室生寺と談山神社で素晴らしい紅葉に出会うことが出来ました。
また来年も美しい紅葉に出会えるように、しっかりと足腰を鍛えておきたいと思います

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は歴史に詳しいように思われているかもしれませんが、学生時代は歴史が得意なわけではなかったんですよ。
子どもの頃から地理は大好きでしたし、中学生の頃からは洋楽を聞いていた影響で英語も好きでした。
歴史が好きになったのは社会人になってからでして、これからも勉強を続けていこうと思っています。
強いられる勉強は嫌いですが、自ら学ぼうと思う勉強って楽しいですね。



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