松本春男の綾瀬市レポート(日本共産党元市議会議員)

2023年4月の綾瀬市議選で福田くみ子さんに
バトンタッチしました。

綾南の滝、ろ過装置のろ過材の入れ替え作業が

2016年08月24日 | 公園・樹木・緑地
 7月末からろ過装置の不具合が起きていた綾南公園の綾南の滝、今日(24日)に清掃作業・ろ過材の入れ替え・循環する水道水の入れ替え作業が行われました。
 6月・7月・8月上旬には、たくさんの幼児と保護者の方が来て遊んでいました。
 職員の説明では、8月のお盆前後から、来場者が少なくなっているそうです。
 ろ過装置が故障して、溜まっている滝の水も少し濁っていました。
 明日の10時から、きれいな滝で遊べます。
 ろ過装置は、写真のろ過材が一番上で、小さなセラミック粒子から段々大きくなり7層に夏ているそうです。
 一番下は、ピンポン玉位の大きさの玉砂利が入っているそうです。
 写真の粒子は、一番上の層との説明でした。


 

シベリア抑留50万人、軍に裏切られ異国に6万人眠る

2016年08月24日 | 戦争法反対
 スターリン秘密司令の直前の命令では「日本・満州軍の軍事捕虜を、ソ連邦領土に運ぶことはしない」とあったのです。(8月16日日ベリア文書)これがなぜ正反対の命令に変わったにか。
 日露歴史研究センター代表の白井久也氏(朝日新聞元モスクワ支局長)は、「日本の参謀本部が、日本の捕虜をソ連軍の経営にお使いくださいという申し出をしていた。その関東軍文書を戦後、斉藤六郎氏がソ連の公文書館から発見し、当時大きく報道された」と言います。
 斉藤氏(故人)は全国捕虜抑留者協会の初代会長で、この事実を著書「シベリアの挽歌 全抑協会長の手記(1995年,終戦史料館出版部)で明らかにしました。巻末資料で発掘した関東軍文書、ソ連対日戦文書、労働証明書関連などを掲載しました。
 その一つ、「ソ連軍に対する瀬島(龍三)参謀起案陳情書」では、日本の兵士が帰還するまでは、日本の兵士が帰還するまでは「極力貴軍の経営に協力する如く御使い願いたいと思います」と書かれています。
 「朝枝(繁春大本営)参謀報告書」は今後の処置として「在留邦人および武装解徐後の軍人はソ連の庇護下に満朝に土着せしめて生活を営むごとくソ連側に依頼す」「土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとす」と書かれています。
 大本営と関東軍の対ソ交渉が「捕虜50万」のシベリア移送への転換点だったのです。
 白井氏はさらに背景となった近衛文麿元首相作成のソ連に対する「和平交渉の要綱(45年7月)を上げます。天皇制の「国体護持」を絶対条件とするかわりに、ソ連に領土の一部を引き渡す」こと、「満州」の軍人・軍属を「兵力賠償の一部として労働」の提供をするない内容でした。
 要綱の考え方が対ソ交渉の基本として終戦直後に生きていたことを関東軍文書が示しています。(赤旗新聞8月24日付け記事抜粋)
 




 戦争を起した軍部と天皇制を守るため、ソ連に移送された兵士約50万人・強制労働で約6万人が命を落としました。
 ジュネ-ブ協定を守らないソ連の横暴に怒りをもっていましたが、日本の軍部がソ連軍に提案していた事実が明らかになりました。

綾瀬市の上空を飛ぶ飛行機

2016年08月24日 | 日記
 綾瀬市の上空は、厚木基地を離発着する飛行機、横田基地に向かうと思われる飛行機、羽田離陸して大坂など西日本方面に向かう飛行機が見えます。
 厚木基地を利用する機種は、飛ぶ方向はバラバラですが高度は一般的に低い事が多いです。
 横田基地に向かう飛行機は、南から北に向かって、綾瀬市の西側を飛びます。高度は中間位です。
 羽田から西日本方面に向かう飛行機は東側から西の空に飛んで行きます。高度は他のルートより高い位置を飛んでいます。
 写真は私の家の上を飛んでいる民間機です、



枝が木に、引っかかっている樹木を調査しました。

2016年08月24日 | 公園・樹木・緑地
 光綾公園では「ケヤキ」、綾南公園では「ユリノキ」に、折れた枝が残っていました。
 昨日午後、厚木基地からの帰り、光綾公園でミドリ政策課職員と、公園を管理している造園業者が、高い木々を下から確認していました、
 重機を持ち込んで、危険な枝を落とすそうです、