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2010年10月4日  日本共産党 尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当

2018-01-14 16:12:20 | 日記
JCP

 

DANWA
GAIKOU

 

尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当

 ――日本政府は堂々とその大義を主張すべき――

2010年10月4日  日本共産党

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【英文はこちら】Senkaku Islands Question→


 
日本の尖閣諸島周辺で起きた中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件をきっかけに、尖閣諸島の領有権にかかわる日本と中国の主張の対立が、国際的にも注目を集めている。
 
日本共産党はすでに1972年に日本の尖閣諸島の領有は正当であるとの見解を発表しているが、この機会にあらためて尖閣諸島の領有の正当性について明らかにする。

1、日本の領有と実効支配

近代まで「無主の地」

尖閣諸島の存在は、古くから日本にも中国にも知られており、中国の明代や清代の文献に登場する。

当時、琉球は中国との間で朝貢貿易をおこなっており、中国の使節である冊封使が琉球国王の代替わりにさいして往来した。

琉球と中国大陸の福州とを結ぶ航路のほぼ中間に位置する尖閣諸島は、海路の目標とされていた。

しかし、中国側の文献にも、中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住していたことを示す記録はなく、明代や清代に中国が国家として領有を主張していたことを明らかにできるような記録も出ていない。

一方、日本側にも、この時期について日本の領有を示すような歴史的文献は存在しない。

近代にいたるまで尖閣諸島は、いずれの国の領有にも属せず、いずれの国の支配も及んでいない、国際法でいうところの「無主の地」であった。

 日本による領有

「無主の地」の尖閣諸島を1884年(明治17年)に探検したのは日本人古賀辰四郎だった。

古賀氏は翌85年に同島の貸与願いを申請した。

同島でアホウドリの羽毛の採取などが試みられ、周辺の海域で漁業をおこなう漁民の数も増えるなか、沖縄県知事は実地調査をおこなうこととし、尖閣諸島が日本の領土であることを示す国標を建てるべきかどうかについて、政府に上申書を提出する。

政府内での検討の結果は、国標を建てて開拓にあたるのは他日の機会に譲る、というものだった(『日本外交文書』第23巻)。

日本政府はその後、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで、1895年1月14日の閣議決定によって尖閣諸島を日本領に編入した。

歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為である。

これは、「無主の地」を領有の意思をもって占有する「先占」にあたり、国際法で正当と認められている領土取得の権原のひとつである。

日本の実効支配

日本政府は、尖閣諸島を沖縄県八重山郡に編入したあとの1896年9月、以前から貸与を願い出ていた古賀辰四郎氏に4島(魚釣、久場、南小島、北小島)の30年間の無料貸与の許可を与えた。

古賀氏は尖閣諸島の開拓に着手し、貯水施設、船着き場、桟橋などの建設をすすめ、アホウドリの羽毛の採取や鳥糞の採掘などを主な事業にして「古賀村」が生まれた。

これが尖閣諸島における最初の居住である。

大正期に入ってからは鰹節の製造や海鳥のはく製製造がおもにおこなわれた。最盛期には漁夫やはく製づくりの職人など200人近い人びとが居住していた。

1919年には、中国福建省の漁民が魚釣島付近で遭難し、同島に避難した31人を住民が救助し、全員を中国に送還した。

この救援活動にたいし、中華民国の長崎駐在領事から、1920年5月20日に感謝状が届けられた

感謝状のなかには、尖閣諸島がはっきりと日本の領土として記述されていた。

このように、尖閣諸島にたいしては、第二次世界大戦まで中断することなく日本の実効支配がおこなわれてきた。

1945年の日本の敗戦により、日本が中国から奪った台湾などの地域は、連合国のカイロ宣言(1943年11月)やポツダム宣言(1945年7月)にもとづいて、中国への返還が決められ、実行された。

このなかには、尖閣諸島は含まれていない。

尖閣諸島は、沖縄の一部として、アメリカの軍事支配下におかれることになった。

1951年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約によって、尖閣諸島を含む「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)」などは米軍の施政権下に置かれ、米国は、一定の地代を支払うことと引き換えに、尖閣諸島の大正島と久場島を米軍射撃場として使ってきた。

施政権は奪われていたとはいえ、尖閣諸島にたいする主権は日本にあった。

日米の間で1971年6月に調印された沖縄返還協定が1972年5月15日に発効したことにともなって、尖閣諸島の施政権は日本に返還され、今日にいたっている。

2、国際法上明白な日本の領有

中国は75年間異議をとなえず

中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないという事実である。

中国、台湾が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたのは1970年代に入ってからである。

台湾は1970年に尖閣諸島の領有を初めて主張し、71年に入って主権声明を出した。

中国政府は、1971年12月30日の外交部声明で領有権を公式に主張した。

尖閣諸島のある東シナ海から黄海について、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は、1969年5月に公刊した報告書で、石油天然ガスの海底資源が豊かに存在する可能性を指摘していた。

侵略による奪取とは異なる

尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだ、という点にある。

日清戦争(1894~95年)で日本は、台湾とその付属島嶼、澎湖列島などを中国から不当に割譲させ、中国への侵略の一歩をすすめた。

しかし、尖閣諸島は、日本が不当に奪取した中国の領域には入っていない。

この問題では、台湾・澎湖の割譲を取り決めた日清講和条約(下関条約)の交渉過程、とりわけ、割譲範囲を規定した同条約第2条の「二、台湾全島およびその付属諸島嶼」のなかに尖閣諸島が含まれていたのかどうかが、重要な論点となる。

第一に、経過の点で、日本が尖閣諸島の領有を宣言したのは1895年1月14日であり、台湾・澎湖の割譲を取り決めた講和条約の交渉が開始される同年3月20日よりも2カ月ほど前のことである。

第二に、下関条約は、割譲範囲について第2条で、「台湾全島及其ノ附屬諸島嶼」、「澎湖列島即英國『グリーンウィチ』東經百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼」と規定しており、尖閣諸島については一切言及してない。

第三に、下関条約を締結する交渉の過程で、中国側の代表は台湾とその付属島嶼や澎湖列島の割譲要求にたいしては強く抗議したが、尖閣諸島についてはなんら触れなかった。かりに中国側が尖閣諸島を自国領土だと認識していたならば、尖閣諸島の「割譲」も同じように強く抗議したはずだが、そうした事実はない。それは、公開されている交渉議事録から疑問の余地がない。

第四に、1895年4月17日に下関条約が締結されたのちの同年6月2日、「台湾受け渡しに関する公文」に署名する際、台湾の付属島嶼とは何かが問題になったときに、日本側代表は、台湾の付属島嶼は、それまでに発行された地図や海図で公認されていて明確だとのべ、中国側はそれを了解している。当時までに日本で発行された台湾に関する地図や海図では、例外なく台湾の範囲を、台湾の北東56キロメートルにある彭佳嶼までとしており、それよりさらに遠方にある尖閣諸島は含まれていない。尖閣諸島は、台湾の付属島嶼ではないことを、当時、中国側は了解していたのである。いま、中国側は、尖閣諸島が台湾付属の島嶼であり、日本によって強奪されたと主張しているが、それが成り立たないことは、この歴史的事実を見れば明らかである。

中国側の立場を擁護する主張の中には、日清戦争で敗戦国となった清国には、尖閣諸島のような絶海の小島を問題にするゆとりがなかった、とする見解もある。しかし、国際法上の抗議は、戦争の帰趨とは無関係にいつでもできるものである。もし、尖閣諸島が台湾に属すると認識していたのなら、講和条約の交渉過程でも、またその後でも、抗議できたはずである。

このように、日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった。

戦後の25年間も異議をとなえず

第二次世界大戦後、中国政府は、サンフランシスコ平和条約について、中華人民共和国が参加したものではなく無効という態度を表明した(1951年9月18日の周恩来外交部長の声明)が、尖閣諸島について、それが米国の施政権下に置かれ、日本への「返還区域」に含められたことは不法と主張するようになったのは、1970年代に入ってからである。戦後の25年間も、尖閣諸島については領有権を主張することはなかったのである。

このように、1970年代にいたる75年間、第二次世界大戦が終了してからも25年間、中国側から日本の領有にたいする異議申し立ても抗議も一度もなされてこなかったことは、戦後も中国側が、尖閣諸島を中国の領土とは認識していなかったことを裏付けている。

逆に、1953年1月8日付の中国共産党機関紙「人民日報」は、「米国の占領に反対する琉球群島人民の闘争」と題して、米軍軍政下の沖縄での日本人民の闘争を報道し、そのなかで、「琉球群島は、わが国台湾の東北および日本九州島の西南の間の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、吐か喇(とから)諸島、大隅諸島など7つの島嶼からなっている」と、「尖閣諸島」という日本の呼称を使って同諸島を日本領土に含めて紹介していた。

また、北京市地図出版社から1958年や1966年に発行された中国全図などでは、尖閣諸島は中国領の外に記載されている。

このように、尖閣諸島が台湾など中国の領土に属するものではなく、中国側も1970年代にいたるまではそのように認識していたことは明白である。

日本の領有は国際法上も明白

日本は1895年1月14日の領有宣言によって、国際法上の先占の法理にもとづいて尖閣諸島を領有した。

先占の法理は、特定の条約に明文化されているものではなくて、近代を通じての主権国家の慣行や国際裁判所(国際仲裁裁判や国際司法裁判所など)の判例の積み重ねによって国際慣習法として確立してきたものである。その核心として、領有が国際的に認められるには「主権の継続的で平和的な発現」が基本的な要件となる。「平和的な発現」とは、領有にたいして歴史的に異議がとなえられてこなかったことを指す。先占については通例、

(1)占有の対象が無主の地であること、

(2)国家による領有の意思表示、

(3)国家による実効的な支配――この三つが国際法上の条件としてあげられる。

また、関係国への領有の通告は、あらかじめ取り決めなどがある場合を除いて、国際法上、一般には義務とはされていない。尖閣諸島にたいする日本の領有は、このいずれの条件も満たしており、国際法上、まったく正当なものである。

一方、領土紛争においては、相手国による占有の事実を知りながらこれに抗議などの反対の意思表示をしなかった場合には、相手国の領有を黙認したとみなされるという法理も、国際裁判所の判例などを通じて、確立してきている。

この法理にもとづいて、1895年の日本の領有宣言以来、中国側が75年間にわたって一度も抗議をおこなっていないことは、日本の領有が国際法上、正当なものである決定的な論拠の一つとなる。

このように、尖閣諸島にたいする日本の領有権は、歴史的にも国際法上も明確な根拠があり、中国側の主張には正当性がない。

3、領有に関わる紛争の解決のために

尖閣諸島をめぐる紛争問題を解決するために、何よりも重要なことは、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府にたいして、理を尽くして主張することである。

この点で、歴代の日本政府の態度には、1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を主張してこなかったという弱点がある。

領土画定を明確にするよい機会であった1978年の日中平和友好条約締結の際に、中国のトウ小平副首相が尖閣諸島の領有問題の「一時棚上げ」を唱えたが、日本側は、日本の領有権を明確な形では主張しなかった。

それは、尖閣諸島の領有権が日本にあることについて中国側に確認を申し出ることは「全く要らざることである」(福田首相の衆院外務委員会答弁、1978年10月16日)という立場からの態度だった。

1992年に中国が「領海および接続水域法」を採択し、尖閣諸島を自国領と明記した際には、外務省が口頭で抗議しただけで、政府としての本腰を入れた政治的・外交的対応はなかった。

今回の事件でも、民主党政権は「国内法、司法で対処する」というだけで、肝心の外交的主張を怠ってきた。

このように長期にわたって積極的主張を回避してきたことについて、わが党の議員の質問に閣僚から「中国や国際社会に対して日本の立場を発信してきたかどうかについては、大いに反省するところがある」(9月30日衆院予算委員会)との答弁がなされている。

わが党は、日本政府に、こうした態度をあらため、歴史的事実、国際法の道理にそくして、尖閣諸島の領有の正当性を、国際社会と中国政府に堂々と主張する外交努力を強めることを求める。

同時に、中国政府に対しても、今回のような問題が起こった場合、事態をエスカレートさせたり、緊張を高める対応を避け、冷静な言動や対応をおこなうことを求める。日本と中国との間で、あれこれの問題で意見の違いや行き違いが起こっても、問題をすぐに政治問題にすることを戒め、実務的な解決のルールにのせる努力が大切であり、話し合いで平和的に解決することが何よりも重要である。

日中両国政府は、2008年5月の共同声明の中で「ともに努力して東シナ海を平和・協力・友好の海とする」と合意している。今後さらに、その分野をはじめ日中の「戦略的互恵関係」を発展させ、東アジアの平和と安定に貢献するよう求めるものである。

【資料】


新浪剛史が語る2018年の課題「“2025年問題”と“デジタルエコノミー”にどう対処するか」

2018-01-14 15:26:30 | 日記

 文春オンライン

  • 2018年01月14日 07:00

新浪剛史が語る2018年の課題「“2025年問題”と“デジタルエコノミー”にどう対処するか」

新浪剛史が2018年の日本経済を占う

2017年は世代が分断された年だった

2017年は世代間の分断が際立った年だと感じました。

例えば、20代の人たちは、ここ数年続く好景気によって就職活動は売り手市場で、入社後も生活の満足度は高く、将来の見通しも明るいと希望を持っています。


新浪剛史 サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長

いっぽう、30代後半から40代前半は長らく続く不況とデフレで就職は困難を極め、入社以降もITバブル崩壊やリーマンショック、東日本大震災など立て続けに災厄に襲われました。

厳しいことが多かったから、将来にも悲観的です。

50代は、目前に迫る2025年問題に危機意識を高めています。

2025年問題とは、この年に団塊の世代が75歳になることで、全人口に対する75歳以上の後期高齢者の割合が18%を超え、日本が本格的に超高齢化社会に突入します。

これにより、認知症を患う高齢者の増加、医療費の増大に伴う財源確保の問題、介護を必要とする高齢者の増大に対する介護医療従事者の人手不足などの数々の問題が生じてきます。

この世代間の明確な違いは前回の衆議院選挙の結果にも現れています。

NHKが投票日に実施した出口調査では、自民党に投票したのは20代が50%と最も高く、以下、30代42%、40代36%、50代34%、60代32%、70代以上が38%となっています。

 これは、自民党の選挙戦略がこれまでのシルバー世代を重視した政策から、若い世代に光を当てる方向へと明らかに転換したからでしょう。

これによって、若い世代の消費が喚起され、消費経済もプラスに動く可能性があるので、とても有意義なことだと思います。

国内はデフレスパイラルから脱却した

国内経済に関しては、2017年は日本経済が長年続いたデフレスパイラルから完全に抜け出せたことが象徴的でした。

それを如実に物語っているのがヤマト運輸の値上げです。まさかヤマトが値上げするなんて誰も思っていなかったけれど、ついに耐えられなくなった。

また、企業が継続的に賃上げに取り組み、賃金は4年連続で上がっています。

これは為替が1ドル110円前後で推移し、経済が安定していることに依拠しています。

今後もこの傾向は続くと見られているので、2018年も引き続き賃金は上がり、物価も上昇するでしょう。

GDPの実質成長率は2017年同様、1.5%を期待できると思います。

ただ、問題は2つあります。

国民の将来に向けての不安を解消するために

1つは先ほどの2025年問題。

65歳以上の高齢者の割合が30%を超える社会になった時、彼らを支えるために消費税が間違いなく15%は必要になりますし、社会保険料が現状からおそらくプラス3%ほど上がるでしょう。

そうなると可処分所得が大幅に減少するので、多くの国民は将来のために極力買い物を控え、少しでも貯金をしておかなければと考えます。

つまり消費が冷え込んでしまう。これが現在の一番の課題です。

2つ目はデジタルエコノミーの拡大です。

eコマースは全般的に商品価格を下げる傾向にあり、その価格にリアル店舗は影響を受けざるをえません。

リアル店舗では人件費が高騰しているのですが、価格に転嫁するとeコマースの価格に対抗できないのでそれもできない。

リアル店舗は価格ではなく、利便性などの付加価値で勝負する必要があります。

こうしたせめぎ合いの結果、2018年のインフレ率は1%程度になるのではないかと予想しています。

2018年は中国とアメリカの覇権争いが激しくなる

世界情勢の問題としては、世界における日本の立ち位置をどうするか。

これがすごく難しい問題となるでしょう。

2018年、アメリカと中国の間で繰り広げられている覇権争いがより激しさを増すのは間違いありません。

このような状況下において、日本はアメリカのみに軸足をおいた外交を展開していると、中国との軋轢が強くなります。

中国はASEAN諸国に莫大なインフラをベースとした“一帯一路”戦略を展開して影響力を強め、アジアに強大な支配的経済圏を構築しつつあります。

もし日本と中国の関係がおかしくなった場合、中国がアジアの経済圏から日本を追い出そうとするかもしれません。

そうなった時、日本は内向きになっているアメリカの影響力をあてにすることはできないでしょう。

また、アメリカと中国は経済的争いだけではなく、もしかしたら軍事的な衝突のリスクが高まるかもしれません。

なぜなら、2018年はアメリカが中国に対してより一層の圧力をかけると予想されるからです。

2017年の夏に報道された通り、アメリカは対中赤字削減のためスーパー301条を復活させるなど、経済制裁を行う可能性もあります。

もし本当にそんなことをやってしまったら、中国は勝手にルールを作って自分の経済圏からアメリカを追い出そうとするかもしれません。

このような緊張関係が報復合戦にエスカレートしていった場合、一歩間違えたら軍事的衝突につながるおそれがあります。

北朝鮮問題が引き金になる可能性も十分にあります。

その時日本はどうするべきか。経済の安定を追求していくために、また国家の安全保障の観点からも、隣国である中国と、同盟国であるアメリカとどう付き合っていくべきか。

非常に難しい問題ですが、2018年はそれをますます問われる年になると思います。

国内は安定だが、不安なのは社会保障

日本の政権は現在の自民党安倍政権でしばらく安定するでしょう。

加計問題や森友問題で揺らぐことはなく、少なくとも2021年までは代わることはありません。

この国内政権の盤石さは非常に重要で、世界情勢がいつ緊迫化するかわからない状況下においては非常に価値があります。

不安材料として挙げられるのが、先程話した様に社会保障の問題です。

消費税は2019年10月から10%に引き上げられる予定となっていますが、それを正式に意思決定するのは2018年10月です。

その使い道ですが、現時点の政府の方針では、2%引き上げた分の半分を財政再建に使い、もう半分を社会保障、中でも子育て支援に当てるとしています。

基本的にこの考え方自体は妥当だと思います。

しかし、これだけ世界情勢が不安定な中、果たして日本経済が2019年10月に本当に消費税を上げられるほどの好景気であるのか疑問も残ります。

また、割合についても、財政再建と社会保障を5対5にする必要があるのでしょうか。

財政再建も必要ですが、まずは社会保障への投資を優先して、財政再建を2割、社会保障を8割にすべきだと思います。

そして将来の医療・介護負担を減らすべく、医療については治療から予防に予算の配分先をシフトするべきでしょう。

例えば全国民に健康診断を義務化して、その後の丁寧なフォローアップを行う。

これによって病気が予防できると、健康な人の割合が多くなるので、社会全体の生産性が上がるんです。

また、65歳で仕事を辞めても100歳まで生きる社会がもう目の前まで来ています。

安心して老後を過ごすためには健康寿命をもっと伸ばさなければなりません。

そのために認知症や、糖尿病の様な慢性病患への予防が重要なのです。

ただ、これを実施しようとするとスタート時に莫大なお金がかかってしまいます。

国の予算は単年度ベースなので先行投資は難しいのですが、現在のような長期政権ではそれが可能になります。

また、予防に力を入れる社会に変えることによって新たな産業も生まれ、需要も創造できます。

従来のように縦割りの予算配分で無駄なところにお金を注ぎ込むのをやめて、

必要なところに使うという予算の組み換えに本気で取り組むことができれば、

日本は課題解決ができる国になるのではないでしょうか。

これも長期政権である安倍政権にしかできないことだと私は思っています。

国民の将来に向けての不安を解消するために、この先の数年でぜひ成し遂げてほしいことです。

構成:山下久猛(ライター) 

新浪 剛史 サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長

1959年横浜市生まれ。81年三菱商事入社。91年ハーバード大学経営大学院修了(MBA取得)。95年ソデックスコーポレーション(現LEOC)代表取締役。2000年ローソンプロジェクト統括室長兼外食事業室長。02年ローソン代表取締役社長。14年よりサントリーホールディングス株式会社代表取締役社長。

(新浪 剛史)


労働力が急激に減っているぞ! これはマズイ「中国最大の危機」だ=中国

2018-01-14 15:00:59 | 日記

労働力が急激に減っているぞ! これはマズイ「中国最大の危機」だ=中国

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労働力が急激に減っているぞ! これはマズイ「中国最大の危機」だ=中国

2018-01-14 09:12

 
 
世界銀行の統計によれば、2016年における中国の人口は13億7867万人に達した。
 
中国は世界で最も人口の多い国だが、人口の多さはそのまま市場の大きさに結びつくため、人が多いという事実は中国にとって重要な「資源」と言えるだろう。

 しかし、中国は長年にわたって一人っ子政策を実施してきたため、急激な高齢化と生産年齢人口の減少が進んでいるのが実態で、人口世界一の座も近いうちにインドに奪われると見られている。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、中国社会科学院がまとめたデータを引用し、中国では18歳から44歳の人口が減少していると伝え、人口減少は中国にとって最大の危機であると伝えている。

 記事は、中国の18歳から44歳までの人口は2017年時点で5億4800万人に達したが、22年には5億1800万人に減少する見込みだと紹介、わずか5年で3000万人も減る見込みであることに危機感を示した。
 
さらに、この人口減少は「働き盛りと言える労働力が5年で3000万人も減少することを意味する」としたほか、中国は高齢化と少子化も急激に進んでいて、中国では2050年までに65歳以上の高齢者が人口の32%を占める可能性があると伝えた。

 さらに、中国ではすでに一人っ子政策は廃止されているが、出生率は1960年代中ごろから低下を続けており、現時点では人口を維持できるだけの水準すら割り込んでいるのが現状だと指摘。
 
一人っ子政策が廃止されても、中国人の子どもを産み、育てるという意識は低いままであるとし、人口減少は日本や韓国だけでなく、中国にとっても深刻な問題となっていることを強調し、「これは中国にとって最大の危機である」と伝えている。
 
(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)