「親日清算」も政治ショー? 文在寅はいずれ「歴史の罪人」となる
『李相哲』 2019/03/01
李相哲(龍谷大教授)
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、100周年を迎える3月1日の「三・一独立運動」記念日を前に開いた閣議で「親日を清算し独立運動にしっかり礼を尽くすことが、民族の精気を正しく立て直し正義のある国に進む始まりだ」と語った。
「清算」とはきれいになくすという意味で、実は文大統領が好んで使う言葉の一つだ。
大統領就任後、文政権は「積弊(長年積もりに積もった悪しき慣行や弊害)清算」を国政運営の中心に据え、保守政権時代に権力の中枢にいた多くの実力者を拘束し、裁判にかけた。
この「積弊清算」はいまだに続いているが、今年の「三・一独立運動」100周年に際しては「親日勢力」もきれいになくすつもりでいるようだ。
そもそも、文大統領は2017年の大統領選挙遊説中、こう話していた。「親日清算は100年を超えてはならない」と。すなわち、2019年までには、親日清算にけりをつけるという意味だ。
閣議で文大統領は「親日」とは、どのような勢力で、どのような部類の人を指すのかについては説明しなかったが、これまでの発言を丹念に調べてみると次のようになる。
「(1945年に終戦を迎えたとき)清算できなかった親日勢力が独裁勢力に変身し、民主化に寄生する勢力として残った」
すなわち、韓国が植民地統治から解放されたとき、それまで日本の植民地統治に協力した勢力で、その後権力を握った人々を指すものとみられる。
ここに名指しはしていないものの、日本の統治時代に満州国陸軍軍官学校に通い、後に日本の陸軍士官学校で学んだ元大統領の朴正熙(パク・チョンヒ)氏のような人を指しているのだろう。
そして、このような人々が戦後の日本と経済的なつながりを持ち、権力や富の欲しさに日本の過去を不問にし、過去を清算しなかったと言いたいのだ。
1965年の日韓基本条約が「不完全」だとして、徴用工問題や慰安婦問題を蒸し返すのもそのような認識が背景にある。
だから今年こそ、「親日」の名残をきれいになくし、決着をつけるという意味だろう。
しかし、文大統領のこのような認識は時代錯誤的であり、日韓関係はさることながら韓国の国益にもならないのは言うまでもない。
そもそも、1945年に第二次世界大戦が終結した当時、政府部門や財界に残っていた世代はすでにいない。
しかも、その世代の多くは韓国を代表する民族紙『東亜日報』を創刊し、民族系企業を多く起こした金性洙(キム・ソンス)氏のような「愛国者」で、彼らは「自民族の実力向上」を目指して日本に学ぶべきものは学びながら、韓国の近代化に貢献した人たちだ。
一方、文大統領の政治の師匠と言われる盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏は、大統領在任中に「親日反民族行為の真相糾明に関する特別法」を制定(2004年施行)したが、今なお清算されずにいるという「親日」とは、この世代の次の世代だ。
一時期、これらの世代の「親日」派から財産を没収する動きもあったが、このように国民を分裂させる「親日清算」が韓国にとって利になるはずがない。
また、文大統領は著書でも度々「親日」について言及している。
文大統領によれば、戦前の日本帝国主義の植民地統治に協力した勢力が終戦後反共を建前に「反共勢力」に変身、後の産業独裁勢力に変わり、ひいては金や権力を持つ既得権益者となり、今の韓国の保守勢力の中核をなす。
大ざっぱに言えば、「親日勢力=保守勢力」という図式になる。
これらの勢力を「きれいになくす」という発想は、階級闘争論を理想とする社会主義国家にありそうな典型だ。
北朝鮮のような社会主義を標榜する国家では、
人民を戦前に携わってきた職業、家柄によって敵対階級、団結すべき階級、優遇すべき階級に分け、
敵対階級を清算したが、国民を敵と味方に選別しようとする発想は、自由な民主主義国家ではあってはならないことだ。
これまで、戦後の日本と韓国は、民主主義と市場経済という共通の価値観に寄り添って有効を育んできた。
日韓両国民は、世界中のどの国の国民同士より互いを理解し、親しんできたはずだ。
そのような良好な関係が歴史問題で不協和音が生じた場合、それをなだめ、未来志向的な見地に立って、国民をリードするのが政府の役目のはずだ。
しかし、「三・一独立運動」100周年を迎え、文大統領から発せられるメッセージは、逆だった。
国民をみだりに煽(あお)る行為と受け止められても仕方のないものだ。
戦後日本が韓国の経済繁栄に手を貸した事実は誰も否定できない。
さらに日本は、冷戦体制下で韓国とともに、北朝鮮や共産主義勢力と闘った仲でもある。
このような最近の記憶は忘却し、100年前の記憶を呼び起こそうとする発想は先にも記したが、時代錯誤的としか言いようがない。
文大統領が「三・一独立運動」記念日を大事することについて、批判するつもりはない。
しかし、日本の過去を責める手段として、「親日」の保守系勢力つぶしだけでなく、
北朝鮮との連携強化や左派勢力を結集するための政治ショーとして利用するつもりであれば、
文大統領は「歴史の罪人」として刻まれることになるだろう。
『李相哲』 2019/03/01
李相哲(龍谷大教授)
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、100周年を迎える3月1日の「三・一独立運動」記念日を前に開いた閣議で「親日を清算し独立運動にしっかり礼を尽くすことが、民族の精気を正しく立て直し正義のある国に進む始まりだ」と語った。
「清算」とはきれいになくすという意味で、実は文大統領が好んで使う言葉の一つだ。
大統領就任後、文政権は「積弊(長年積もりに積もった悪しき慣行や弊害)清算」を国政運営の中心に据え、保守政権時代に権力の中枢にいた多くの実力者を拘束し、裁判にかけた。
この「積弊清算」はいまだに続いているが、今年の「三・一独立運動」100周年に際しては「親日勢力」もきれいになくすつもりでいるようだ。
そもそも、文大統領は2017年の大統領選挙遊説中、こう話していた。「親日清算は100年を超えてはならない」と。すなわち、2019年までには、親日清算にけりをつけるという意味だ。
閣議で文大統領は「親日」とは、どのような勢力で、どのような部類の人を指すのかについては説明しなかったが、これまでの発言を丹念に調べてみると次のようになる。
「(1945年に終戦を迎えたとき)清算できなかった親日勢力が独裁勢力に変身し、民主化に寄生する勢力として残った」
すなわち、韓国が植民地統治から解放されたとき、それまで日本の植民地統治に協力した勢力で、その後権力を握った人々を指すものとみられる。
ここに名指しはしていないものの、日本の統治時代に満州国陸軍軍官学校に通い、後に日本の陸軍士官学校で学んだ元大統領の朴正熙(パク・チョンヒ)氏のような人を指しているのだろう。
そして、このような人々が戦後の日本と経済的なつながりを持ち、権力や富の欲しさに日本の過去を不問にし、過去を清算しなかったと言いたいのだ。
1965年の日韓基本条約が「不完全」だとして、徴用工問題や慰安婦問題を蒸し返すのもそのような認識が背景にある。
だから今年こそ、「親日」の名残をきれいになくし、決着をつけるという意味だろう。
しかし、文大統領のこのような認識は時代錯誤的であり、日韓関係はさることながら韓国の国益にもならないのは言うまでもない。
そもそも、1945年に第二次世界大戦が終結した当時、政府部門や財界に残っていた世代はすでにいない。
しかも、その世代の多くは韓国を代表する民族紙『東亜日報』を創刊し、民族系企業を多く起こした金性洙(キム・ソンス)氏のような「愛国者」で、彼らは「自民族の実力向上」を目指して日本に学ぶべきものは学びながら、韓国の近代化に貢献した人たちだ。
一方、文大統領の政治の師匠と言われる盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏は、大統領在任中に「親日反民族行為の真相糾明に関する特別法」を制定(2004年施行)したが、今なお清算されずにいるという「親日」とは、この世代の次の世代だ。
一時期、これらの世代の「親日」派から財産を没収する動きもあったが、このように国民を分裂させる「親日清算」が韓国にとって利になるはずがない。
また、文大統領は著書でも度々「親日」について言及している。
文大統領によれば、戦前の日本帝国主義の植民地統治に協力した勢力が終戦後反共を建前に「反共勢力」に変身、後の産業独裁勢力に変わり、ひいては金や権力を持つ既得権益者となり、今の韓国の保守勢力の中核をなす。
大ざっぱに言えば、「親日勢力=保守勢力」という図式になる。
これらの勢力を「きれいになくす」という発想は、階級闘争論を理想とする社会主義国家にありそうな典型だ。
北朝鮮のような社会主義を標榜する国家では、
人民を戦前に携わってきた職業、家柄によって敵対階級、団結すべき階級、優遇すべき階級に分け、
敵対階級を清算したが、国民を敵と味方に選別しようとする発想は、自由な民主主義国家ではあってはならないことだ。
これまで、戦後の日本と韓国は、民主主義と市場経済という共通の価値観に寄り添って有効を育んできた。
日韓両国民は、世界中のどの国の国民同士より互いを理解し、親しんできたはずだ。
そのような良好な関係が歴史問題で不協和音が生じた場合、それをなだめ、未来志向的な見地に立って、国民をリードするのが政府の役目のはずだ。
しかし、「三・一独立運動」100周年を迎え、文大統領から発せられるメッセージは、逆だった。
国民をみだりに煽(あお)る行為と受け止められても仕方のないものだ。
戦後日本が韓国の経済繁栄に手を貸した事実は誰も否定できない。
さらに日本は、冷戦体制下で韓国とともに、北朝鮮や共産主義勢力と闘った仲でもある。
このような最近の記憶は忘却し、100年前の記憶を呼び起こそうとする発想は先にも記したが、時代錯誤的としか言いようがない。
文大統領が「三・一独立運動」記念日を大事することについて、批判するつもりはない。
しかし、日本の過去を責める手段として、「親日」の保守系勢力つぶしだけでなく、
北朝鮮との連携強化や左派勢力を結集するための政治ショーとして利用するつもりであれば、
文大統領は「歴史の罪人」として刻まれることになるだろう。