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no2 無縁社会から有縁社会へ ~高齢者の孤立をなくすために~

2019-10-06 17:47:07 | 日記

無縁社会から有縁社会へ ~高齢者の孤立をなくすために~

人との「つながり」を取り戻せ

 そんなある日、お笑い演芸番組を見ていた時だった。可笑しくて、笑ったのに声が出ない。

男性は慌てて話そうとするが、ささやくような声しか出ない。

声帯の筋肉をあまりに長期間、使わないとそんな状態に陥ることがあると知り、自らの生活を猛省したという。

 次の日から、男性はある決心をした。

マンションから歩いて20分ほどのところに昔ながらの商店街があり、そこにお総菜を売るお店があった。  

「ポテトサラダ150グラム、きんぴらの小さいパックをください」。

 古くからある商店街の店は、コンビニとは違い、注文を口頭で伝える必要がある。

男性の決心とは、その商店街で夕食のおかずを必ず買うことだった。

毎日通ううち、なじみの店は増え、気づくと30分近く立ち話をすることもできるようになっていた。

 「人と話すだけで、こんなに生活が変わるなんて」。

男性は、よく出かけるようになった。

映画を見に行ったり、大好きな古書店を巡ったり。

そんな変化の兆しが現れ始めた頃、事件は起きた。  

マンションの隣の部屋の住人が救急車で運ばれたのだ。

高層階のエレベーターに担架を運び入れる手伝いをしたり、管理人を呼びに行ったりするなど大活躍した。

その数週間後、退院した隣人が男性のもとを挨拶に訪れた。

 「このたびは大変お世話になりました」と切り出した女性は、お礼の言葉の後にこう続けた。

「生前、奥様とは親しくさせていただいておりました」。

隣人の女性は、亡き妻の親友だった。

二人は、毎日、一緒に食事をするなど、互いの家を行き来していたというのだ。

「これは、いつも奥様に褒めてもらったニンジンケーキです」。

お礼に、と手渡されたニンジンケーキは、食卓で度々見かけていた思い出のケーキだった。

男性は、そのケーキを食べながら涙が止まらなかったという。

 「これは天国の妻が作ってくれた縁に違いない」。

そう思った男性は、翌日、隣を訪ねた。

男性は、隣人にある提案をした。それが無縁社会を乗り越える力になった「人形リレー」だった。

「人形リレー」がもたらしたもの

 男性は、隣人の女性に、たった二人で始められる「見守り合い」を提案した。

やり方は簡単だ。

ひとつの人形を二人でリレーするのだ。

 まずは朝、朝刊を取りに行った男性が、ついでに、ドアの外に人形をぶら下げる。

 そして昼間、買い物や散歩に出かける隣人の女性が、男性のドアにぶら下がっている人形をはずして、自分のドアの外側にぶら下げる。

 そして夕方、夕食のおかずを買いに出かけた男性が、隣人のドアから人形をはずし、自分の家の中に取り込む。

そして朝、再びぶら下げる…。  

この人形リレーをしてから、男性は人生が劇的に変わったと話してくれた。

晩酌のお酒が美味しくてたまらない、というのだ。

それまでは、飲み過ぎで夜中に具合が悪くなったらどうしよう、などと不安でお酒が進まなかったのが、

「朝になって人形がかかっていなかったら、必ず、隣人が気づいてくれる」という安心感のせいか、お酒を安心して飲めるようになって、晩酌の時間が幸せな時間に変わった、というのだ。

「私が生きていること」を知って欲しい

 「今日、私が生きていることを、誰かが知ってくれているだけで、これほどの安心が得られるとは思ってもみなかった」と話していた二人の姿をニュースの特集で取り上げたところ、

再び視聴者から大きな反響があった。

 「たったひとりでも、生きていると知ってくれるだけで、こんなに前向きになれるんだったら、私は、誰か寂しい人たちの『ひとり』になりたい」というメールやお便りが殺到したのだ。

 無縁社会を知って、何かをしたいという思いがあふれている。「日本は捨てたもんじゃない」と、嬉しく思った。

 何かのきっかけで、誰しもが無縁社会の住人になり得る時代だからこそ、優しい縁にあふれる社会を目指していきたい――その一歩は、ただひとりの人とつながることから始めればいいのかもしれない。

 

2018.8掲載


無縁社会から有縁社会へ ~高齢者の孤立をなくすために~

2019-10-06 16:58:37 | 日記

無縁社会から有縁社会へ ~高齢者の孤立をなくすために~

 

●プロフィール

板垣 淑子 (いたがき よしこ)
 1994年NHK入局。報道局制作センター、報道局社会番組部、大型企画開発センターなどを経て、現職。主な担当番組は、NHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~(2006年放送)」(ギャラクシー賞大賞受賞)、同「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~(2010年放送)」(菊池寛賞受賞)、同「終の住処はどこに 老人漂流社会(2013年放送)」などを制作。2014年、放送文化基金賞個人賞を受賞。

 

「無縁社会」の現場から

 あなたは、老後、どこで誰を頼りに暮らしますか?  この問いに、はっきりと答えられる人はどれぐらいいるだろうか。

私自身、その答えは見つかっていない。

取材で現実を直視するたびに、むしろ老後の不安は募り続けている。  

孤独死は、今ではニュースにならなくなったが、2010年頃は頻繁に新聞の社会面を賑わしていた。

当時、「なぜ、これほど孤独死が相次ぐのだろうか」。

その疑問から取材がスタートし、NHKスペシャル「無縁社会~無縁死3万2千人の衝撃~」(2010年放送)を制作した。

孤独死が起きると、現場に駆けつけ、「なぜ孤独死に至ったのか」を明らかにするため、生前の人生をたどる取材を続けていた。

取材で見えてきたのは、仕事をして、家庭を持ち、ごく当たり前の人生を送ってきた人たちが、人生の晩年、ささいな理由から社会とのつながりを失い、孤独死に至っていたということだった。

老後の「ひとり暮らし」が急増

65歳以上の高齢者の人口が3千万人を超える中、ひとり暮らしの高齢者が6百万人を超え、増え続けている。

高齢者の「5人に1人」がひとり暮らしということになる。

さらに、残り2千4百万人を見ると、ほとんどが二人暮らしだ。

夫婦のみがもっとも多く、兄弟姉妹、親子の二人暮らしも増えている。

そして、どちらか先に亡くなればひとり暮らしになるため、多くは「ひとり暮らし予備軍」なのだ。

 もちろん、「ひとり暮らし」は元気なうちは、問題が起きることはない。

しかし、病気で医療費の負担が増えたり、介護が必要になったりすると経済的に余裕を失う。

さらに症状が重くなれば、ひとりで暮らすことも難しくなっていく。

その時、頼る相手がいなければ、孤独死のリスクと隣り合わせの暮らしをしなければならなくなる。

つまり、ひとり暮らしが当たり前になっている今の時代、「孤独死」も同じように、誰にとっても「当たり前に起きること」だといえるのではないだろうか。

 

なぜ無縁老人が増えているのか?

 なぜ、人生の晩年になって無縁になり、孤独死を迎えてしまうのか。

きっかけは配偶者との死別、退職など、日常のごく当たり前の出来事がきっかけとなって社会との「つながり(縁)」をなくしてしまうことだ。

 さらに、高齢者が孤立する背景にあるのが「老後破産」の現実だ。

ひとり暮らしの高齢者は、自分の年金収入で生計を立てている。

元気なうちは節約して、やり繰り上手だった人も、病気や介護の費用負担が必要になると途端に行き詰まり、やがて「老後破産」に陥ってしまうのだ。

 みずほ情報総研の分析したところ、ひとり暮らしの高齢者およそ6百万人のうち、年金収入が月額10万円以下の人が半数、およそ3百万人に上ることが分かった。

つまり、ひとり暮らしの高齢者の半数は、年金収入が生活保護費の支給水準(月額13万円前後 ※自治体によって差がある)を下回っていることが分かったのだ。

さらに、こうした人たちが老後破産の状態に陥ると、生活保護に頼らざるを得なくなる。

そのため、65歳以上の生活保護受給者は増え続け、百万人に達しようとしているのだ。

「老後破産」の現実

 NHKスペシャル「老後破産の現実」(2014年放送)の取材で出会った70代の男性は、毎月およそ10万円の年金で都内のアパートでひとり暮らしをしていた。

アパートの家賃6万円を支払うと、残りは4万円。

食費を切り詰めても、電気代さえ払えない月もあった。

 食品関連の会社で正社員として20年余り働いていた男性は、40代半ばで「自分の店を持ちたい」と会社を退職し、長年の夢だった飲食店の経営を始めた。

しかし、バブル経済の崩壊後、店は倒産。ようやく見つけた再就職先は、短期の仕事ばかりで、収入は安定せず、預金をする余裕もなかったという。

 ▲年金支給日の数日前、一円玉だけとなった男性の財布

 かつてサラリーマンだった頃、男性は友人と旅行に行くのが楽しみだった。

旅先で撮影した写真の中には、笑顔の男性がいた。

その写真を見ながら「老後、こんな目に遭うとは、若い頃は全く予想していなかった」と肩を落とした。

 かつて社交的だった男性は、今、一切の人付き合いをしていない。

それもお金がないことが理由だった。

 「たとえば、町の公民館に行くでしょ。すると、帰り際に

『食事をしていかない』

『カラオケに行かない』と誘われるわけ。お金がないから、と言えないから『用事があって』と断るんだけど、

それが辛いわけ」。

男性は、経済的に苦しい状況を周囲の人たちに知られたくないと思っている。

「断るぐらいなら、誘われないように人と会わないようにするしかない」という思いから、人付き合いも避けるようになっていった。経済的な貧困が、つながりの貧困を生み、孤立を招いていたのだ。

 

長生きは幸せなのか

 前述の老後破産に直面していた男性は、その後、生活保護を受けることを決断した。区の相談員が繰り返し、生活保護を熱心に勧める姿に心が動かされたようだった。

 男性が生活保護費を初めて受け取る日、私たちは同行取材をさせてもらうことになった。

役所に到着した後、緊張した面持ちだった男性は、相談ブースに入ると、ケースワーカーに、深々と頭を下げた。

テーブルごしに白い封筒に入った保護費を手渡された男性は、「ありがとうございます」と再び深々と頭を下げた。

そのあと、男性は、頭を下げたまま

「すみません」「本当にすみません」と謝罪の言葉を繰り返していた。  

なぜ、男性が謝罪の言葉を口にしたのか。

  「国に迷惑をかけたくない」と生活保護を当初、受けようとしなかった男性にとって、生活保護を受けることは

「税金で生かされることで、申し訳ない」という思いにさせられたようだった。

 

正月も「ひとり」

 東京・港区が5千7百人余りのひとり暮らしの高齢者に訪問調査を行ったところ「正月三が日に人と会話しますか」との問いに、3人に1人が「会話はほとんどしない」と答えている。

医療や介護などの公的なサービスを利用している人は15%程度にとどまり、7百人がすぐに支援が必要な状態だと分かったのだ。  

訪問活動に同行取材している時、70代の女性が、「病気が見つかると嫌だから、健康診断に行っていない」と話していた姿が心に残っている。

「命に関わる費用」さえ節約してしまう現実があるとすれば、老後破産の広がりは放置できない問題なのではないだろうか。

無縁社会を乗り越えろ!

 NHKスペシャル「無縁社会」を放送した後、視聴者から1通の手紙が届いた。

手紙には、「自分も社会との縁を失い、ひきこもりだった。

無縁社会は、自分の力で抜け出せる。それを伝えたいので取材に来て欲しい」ということが書かれていた。

あるサラリーマンと無縁社会

 手紙の主である、74歳の男性に連絡をとり、神戸駅の近くにあるタワーマンションの高層階のご自宅を訪ねた。

 男性は、大企業で重役まで務め、70歳近くまで仕事で家を空けがちだった。

平日は接待で深夜まで、週末はゴルフで家を空ける日々を送ってきた。

家のことは妻に任せきりで、マンションにも知り合いはいなかった。

 退職後、ようやく妻への恩返しができると思った矢先、妻が「末期の膵臓がんで治療の手立てがない」と分かった。

会社に通っていた日々から、病院へ見舞いに通う日々へ。

そんな日々も長く続かず、4ヶ月足らずで妻は亡くなった。

妻の死後、葬式などの行事を全て終えると、男性は「抜け殻」のようになってしまい、家に閉じこもるようになった。

一日一回、コンビニに弁当の買い出しに行く以外、外出もなくなり、テレビの前で漫然と過ごす日々が続いていた。

 ▲「老人漂流社会」~ひとり暮らしができなくなり施設から施設へと“漂流”する男性
 ▲「老人漂流社会」の現場より
 
 

人との「つながり」を取り戻せ

 そんなある日、お笑い演芸番組を見ていた時だった。可笑しくて、笑ったのに声が出ない。

男性は慌てて話そうとするが、ささやくような声しか出ない。

声帯の筋肉をあまりに長期間、使わないとそんな状態に陥ることがあると知り、自らの生活を猛省したという。

  次の日から、男性はある決心をした。

マンションから歩いて20分ほどのところに昔ながらの商店街があり、そこにお総菜を売るお店があった。  

「ポテトサラダ150グラム、きんぴらの小さいパックをください」。

 古くからある商店街の店は、コンビニとは違い、注文を口頭で伝える必要がある。

男性の決心とは、その商店街で夕食のおかずを必ず買うことだった。

毎日通ううち、なじみの店は増え、気づくと30分近く立ち話をすることもできるようになっていた。

 「人と話すだけで、こんなに生活が変わるなんて」。

男性は、よく出かけるようになった。

映画を見に行ったり、大好きな古書店を巡ったり。

そんな変化の兆しが現れ始めた頃、事件は起きた。

 マンションの隣の部屋の住人が救急車で運ばれたのだ。

高層階のエレベーターに担架を運び入れる手伝いをしたり、管理人を呼びに行ったりするなど大活躍した。

その数週間後、退院した隣人が男性のもとを挨拶に訪れた。

  「このたびは大変お世話になりました」と切り出した女性は、お礼の言葉の後にこう続けた。

「生前、奥様とは親しくさせていただいておりました」。

隣人の女性は、亡き妻の親友だった。

二人は、毎日、一緒に食事をするなど、互いの家を行き来していたというのだ。

「これは、いつも奥様に褒めてもらったニンジンケーキです」。

お礼に、と手渡されたニンジンケーキは、食卓で度々見かけていた思い出のケーキだった。

男性は、そのケーキを食べながら涙が止まらなかったという。

  「これは天国の妻が作ってくれた縁に違いない」。

そう思った男性は、翌日、隣を訪ねた。

男性は、隣人にある提案をした。

それが無縁社会を乗り越える力になった「人形リレー」だった。

「人形リレー」がもたらしたもの

 男性は、隣人の女性に、たった二人で始められる「見守り合い」を提案した。

やり方は簡単だ。ひとつの人形を二人でリレーするのだ。

 まずは朝、朝刊を取りに行った男性が、ついでに、ドアの外に人形をぶら下げる。  

そして昼間、買い物や散歩に出かける隣人の女性が、男性のドアにぶら下がっている人形をはずして、自分のドアの外側にぶら下げる。

 そして夕方、夕食のおかずを買いに出かけた男性が、隣人のドアから人形をはずし、自分の家の中に取り込む。

そして朝、再びぶら下げる…。

 この人形リレーをしてから、男性は人生が劇的に変わったと話してくれた。

晩酌のお酒が美味しくてたまらない、というのだ。

それまでは、飲み過ぎで夜中に具合が悪くなったらどうしよう、などと不安でお酒が進まなかったのが、

「朝になって人形がかかっていなかったら、必ず、隣人が気づいてくれる」という安心感のせいか、

お酒を安心して飲めるようになって、晩酌の時間が幸せな時間に変わった、というのだ。

「私が生きていること」を知って欲しい

 「今日、私が生きていることを、誰かが知ってくれているだけで、

これほどの安心が得られるとは思ってもみなかった」と話していた二人の姿をニュースの特集で取り上げたところ、

再び視聴者から大きな反響があった。  

「たったひとりでも、生きていると知ってくれるだけで、こんなに前向きになれるんだったら、私は、誰か寂しい人たちの『ひとり』になりたい」というメールやお便りが殺到したのだ。

 無縁社会を知って、何かをしたいという思いがあふれている。

「日本は捨てたもんじゃない」と、嬉しく思った。  

何かのきっかけで、誰しもが無縁社会の住人になり得る時代だからこそ、

優しい縁にあふれる社会を目指していきたい――その一歩は、ただひとりの人とつながることから始めればいいのかもしれない。

 

2018.8掲載

 
 

曺国氏を切り捨てられない文大統領の苦悩

2019-10-06 16:16:33 | 日記

曺国氏を切り捨てられない文大統領の苦悩

10/6(日) 10:00配信

    

毎日新聞

  

法相の自宅が家宅捜索を受けるという前代未聞の混乱に陥った韓国。

捜査を指揮する検事総長も、疑惑まみれの法相も、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が最重要政策の検察改革のために任命した「切り札」だ。

2人が対立した後も、どちらも切り捨てられないのはなぜなのか。

その謎を突きつめると、かつて検察改革に挫折した文大統領のトラウマが浮き彫りになってくる。

【ソウル支局長・堀山明子】
 

◇政権交代しても検察は滅びない
 

渦中の2人は、7月に任命された尹錫悦(ユン・ソクヨル)検事総長と、9月に任命された曺国(チョ・グク)法相。

検察改革を担当する青瓦台(韓国大統領府)の民情首席秘書官だった曺氏は、原則主義者の尹氏の任命に難色を示す一方、尹氏も法相の国会人事聴聞会が始まる前に曺氏の娘の不正入試疑惑で大学や関連施設への家宅捜索を強行し、「法相に不適切」という事実上の警告を発信し続けた。

要は、2人は就任前から、けん制し合う犬猿の仲だった。
 

文政権は世論動向に敏感なので、他の閣僚ポストだったら候補を変えたかもしれない。

しかし、検察を監督する法相と、検察改革を担当する民情首席のポストは、権力を掌握する要のポストであり、大統領の生命線とも言える。

代えはそういないのだ。
 

韓国では歴代大統領が1期5年の任期を終えて退任した後、本人か家族が検察に捜査され、投獄されてきた。

その悲劇の連鎖を可能にした背景には、検察の絶大な権力がある。

政権前半は新大統領の意向を受けて前政権の不正を追及し、政権後半でレームダック(死に体)化すると、現大統領側近を捜査して政権交代に備えることが繰り返された。

ターゲットにされれば、「ほこりたたき式捜査」と称される別件逮捕や家宅捜索が、ボロが出るまで続く。

1990年代以降の歴代政権はそれなりに検察の権限を分散する改革を試みたが、いずれも徹底しなかった。
 

◇盧武鉉元大統領の悲劇を教訓に
 

人権弁護士出身の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、2003年の政権発足と同時に検察改革に乗りだし、検察出身者が務めてきた民情首席のポストに、弁護士事務所のパートナーだった文氏を抜てきした。

文は民情首席室にあった検察とのホットラインをなくし、政権との癒着を絶つことで検察の政治的中立性を確保しようとした。

盧大統領が当選した02年大統領選に絡み政治資金法違反容疑で側近が相次いで逮捕されても、捜査に介入しなかった。

一方、検察を含めてハイランクの公務員をチェックする「高官不正捜査庁」新設などの制度改革は、検察の組織的な抵抗に遭い、実現しなかった。
 

盧氏の退任後、氏の兄や側近が不正資金受領疑惑で相次いで摘発され、本人も09年4月末に検察の事情聴取を受けた。

その3週間後、盧氏は「誰も恨むな、運命だ」と遺書を残し、飛び降り自殺した。

文氏を含めた盧氏の側近たちは、証拠もなく、公判維持の見通しもない不当捜査だったと信じており、検察改革が未完に終わったことが原因だと後悔している。
 

文氏は11年6月に出版した自伝「運命」の中でこう記した。
 

「何が足りなかったか。冷静に省察して、囲碁で対局後に開始から終局までを再現するように、『復棋』をして検証する必要がある」
 

その半年後、元青瓦台秘書官との共著「検察を考える」を出版し、検察改革が挫折した経緯をこと細かく報告した。

まさに「復棋」だった。
 

◇不発に終わった下からの改革
 

2冊の本から読み取れる改革の敗因は、若手検察官の下からの改革に期待し、検事総長をトップとする組織的抵抗に対して準備不足だったことだ。
 

盧大統領が03年、テレビの生中継を入れて大々的に行った若手検察官との討論会は、人事への不満ばかりに質問が集中し、改革の議論はまったくできなかった。

05年には国家保安法違反事件で被疑者を拘束せずに捜査するよう法相が指揮権を発動。

これに対して検事総長が辞任して抗議し、法相が検察をコントロールできていない実態を露呈させる結果となった。
 

こうした苦い経験から文氏は、政権に左右されない独立的な捜査をモットーとする尹氏をソウル中央地検長に抜てきした後、検事総長に任命した。

下からの改革ではなく、今度は改革派を検察トップに据え、上からの改革を成しとげようとしたと考えられる。
 

尹氏は03年、検察が政治資金法違反容疑で盧氏側近を次々検挙した時の捜査チームに加わっていた、かつての敵だ。

しかし、情報機関である国家情報院が12年の大統領選直前に民間人3500人をインターネットのコメント書き込み部隊として動員して朴槿恵(パク・クネ)大統領候補に有利な情報を発信した世論操作事件で、当時、ソウル地検特捜部で捜査チーム長だった尹氏は検察上層部の反対を押し切って国情院を家宅捜索し、職員を逮捕までした。

13年に国政監査で「上から(捜査に)圧力があった」と証言し、「私は人(権力者)に忠誠を尽くさない」と公正な捜査に徹する姿勢を強調した。

尹氏は事件を巡る組織内の摩擦のあおりで「閑職」とされる地方の高検に左遷されたが、こうした不屈の闘いぶりが一般市民に受けて人気が高い。

文政権下では復権し、朴槿恵前大統領、李明博(イ・ミョンバク)元大統領の収賄事件などを捜査指揮した。
 

猪突(ちょとつ)猛進型の尹氏に付いた異名は「ブルドーザー」。

保革両方の政権の不正追及をした実績から「検察の政治的中立」を体現するシンボルになると、文氏は期待したのだろう。

曺氏の捜査に対し、与党から「検察改革への抵抗だ」と批判が出ているが、特捜部の縮小に反対しているものの、高官不正捜査庁の新設には協力姿勢を見せているとの情報もある。
 7月の任命式で文氏は「大統領府であれ、与党であれ、権力型の不正があれば、厳正に対処してほしい」と述べ、現政権にも必要ならメスを入れるよう注文をつけた。鋭利な両刃の剣を持ち込んだ結果、真っ先に政権の急所を一刺しされた格好だ。
 

◇大統領と一体、曺氏はかつての自分?
 

もう一つ文氏が指摘する反省点は、民情首席として力不足だった文氏自身にも向けられている。

検察と警察の捜査権調整という専門的な議論に終始し、「司法改革と同時に進められなかったことを悔やんでいる」(「運命」)と記した。

全国的な影響力を持つ「参与連帯」などの市民団体が十分協力してくれなかったことへの不満も書いてある。
 

参与連帯の「司法監視センター」所長を務めた経験があり、ソウル大法学部教授として検察改革を提言してきた曺氏は、文氏が民情首席だったとき、捜査権調整委員会のメンバーとして検察改革に関与した。
 

曺氏が法相に任命された直後の9月初旬、動画サイトのユーチューブに「8年前の予言」と題してアップされた映像がある。2週間で200万回再生された。文氏と曺氏が2人並んで検察改革を語る11年のトークショーだ。
 「検察が集団で辞表を出してきたら、辞めてもらえ

ばいい」「検察改革は法相が誰になるかが核心だ」と曺氏が軽妙な口調で語ると、文氏が「曺教授はどうですか」と返し、会場から拍手が起きた場面が切り取られている。話を感心して聞いていた文氏の明るい表情から、改革への問題意識を共有でき、市民にわかりやすく伝える発信力がある曺氏に、自分の限界を超える可能性を見いだしたように見える。
 

実際、文氏は政権発足と同時に曺氏を民情首席に招き、かつての自分と同じように連携を始めた。検察改革が本格化する段階で法相に任命することも当初からの計画だっただろう。
 

「文大統領と曺国は側近とか腹心とか、そんなレベルではなく、特別な関係。文在寅がそばにいなければ盧武鉉大統領が生まれなかったように、文大統領と曺国は一体だ」。文氏をよく知る与党重鎮議員は、2人の関係をこう語る。
 

◇民主化プロセスか、無党派層の支持離れ加速か
 

文氏は曺氏の法相任命状の授与式で、「原則と一貫性を守ることが重要だ。本人が責任を負うべき明白な違法行為が確認されていないのに、(家族の)疑惑だけで任命をやめたら、悪い先例になる」と説明した。

一方で「検察は検察のなすべきこと、法相は法相のなすべきことをすれば、それも権力機関の改革と民主主義の発展を示すことになる」と語った。

検察改革の方向性を2人に託し、曺氏本人が関わる違法行為が明らかになれば、民主化のプロセスとして受け入れる覚悟があるというふうにも解釈できる。
 

いずれにせよ、曺氏が辞めるタイミングは今ではないという判断だ。

盧大統領の時は、本人の違法行為は証拠がなかった段階で、家族や側近の逮捕によって追い詰められた。

いま任命を撤回したら、10年前と同様に検察の強引な捜査に屈することになる。

トラウマがよみがえり、文氏が慎重に判断したとしても不思議はない。

バージョンアップした自分の分身として期待をかけた曺氏をここで切り捨てることは、周りが考える以上に身を切り裂かれる選択なのだろうということは、トラウマを理解すれば想像できる。
 

盧政権時代に政府機関にいた50代の男性は、法相を切れない思いは文氏だけでなく支持層にもあると指摘する。

「あれだけ疑惑が浮上したら、曺氏を切ったほうが検察改革にはプラスなのに、政権内の分裂とか与党内の対立は敵対勢力に弱点を見せることになるという恐怖感がある。

これも盧武鉉の悲劇のトラウマ。

文政権支持者は、曺氏問題になると夫婦でも大げんかになったり、同窓会で絶交宣言するまで口論したり、冷静さを失うんだ」
 

◇支持基盤は結束、無党派層は支持離れ
 

文政権の支持率は法相を含む内閣改造人事を発表した直後の8月中旬の47%から下がり続け、

世論調査会社の韓国ギャラップが9月20日に発表した調査では、政権発足以来最低の40%まで落ち込んだ。

韓国政界では40%以下になるとレームダック化の始まりと言われる。

支持率以上に気になるのは、支持しない層が10ポイント増の53%と過半数に達したことだ。

法相任命は不適切と回答した人が56%にのぼり、曺氏スキャンダルが支持離れの要因であることは明らかだ。
 

ただ、詳細を分析すると、与党・共に民主党支持層の72%、政権支持層の81%が曺氏の法相任命は「適切」と答えており、支持基盤は揺らいでいない。

保守系野党の自由韓国党の支持者は96%が「不適切」と答えた。保革で賛否が二極化する現象はもともとあるが、曺氏問題を機にさらに強まっている状況だ。
 

一方、中道を自任する人、無党派層、20代、学生、は「不適切」と答える人が過半数にのぼり、これまでは文氏を緩やかに支持していた層が政権離れを起こしていることがうかがえる。
 

文大統領と支持層が抱えるトラウマは、自分たちの中では結束の方向に働いている。ただ、トラウマを共有できない若者層や無党派層には合理的に理解しにくく、捜査の行方次第でますます政権から離れていく可能性がある。