李自成(り・じせい 1606-1645)とは、中国明王朝末期に現れた農民反乱指導者であり、北方の蛮族である後金(のちの清)と戦っていた明を滅ぼして順(もしくは大順)という国家を創設した人物です。
その治世は短命に終わりますが、中国における農民反乱の首領が王朝を作ったという意味で、エポックメイキングなものなのだそうな。
特に国家継承の正当性を重視する中国の王朝史にあっては、明国を継承したのは反乱軍を撲滅した清国であるという思想の元、このつかの間の国家「順」はかつては逆賊としてまったく無視されたらしい。
ところがこれが、これまたいかにも中国らしく、中華人民共和国の英雄である毛沢東が、これこそ民衆すなわち農民反乱指導者の蜂起であると解釈したことで、数百年を経てこの人物がクローズアップされたそうな。
歴史を、時の国家による正当性という色メガネでのみ解釈する中国らしい発想です。しかし中国・朝鮮では、歴史とはこういうものだという認識がありますので、やむを得ぬところか。
李巌(り・がん)とは、この李自成の参謀役であり、蜂起した烏合の衆を一種の国民軍にまで育て上げた武将・政治家とされていましたが、後年の研究により架空の人物だと判明しました。ま、フィクションの人物や事件で歴史を盛り上げるというのは、よくある手法ですけどね。歴史を学んでいた作者はむろんこれを知っていたはずですが、わかっていて主人公としたのでしょう、とのことです。
中心となるのは、李信(り・しん)。科挙を受験するほどの才覚を示した24歳の青年ですが、どうも線が細い優男。家柄がよい貴公子で容姿端麗なのですが、どうも断固とした行動力に欠ける。なにより人の上に立って士気を鼓舞する声が出せない。
地方の官吏として、飢えた貧しい民のために官庫を開くように県令に掛け合ったのに拒否され、やむなく自分で勝手に倉を開き、追われる身となります。その追われる途上で出会ったのが五騎の盗賊。その頭領は、真紅の革よろいを身につけた精悍な女。年頃は30代半ばか。自分の夫にしてやろう、と言われます。おいおい。
謀反人となってしまった李信は牢に入れられますが、この女、紅娘子(こう・じょうし)に救い出され、なんとそのまま蜂起した農民軍の首領に祭り上げられてしまいました。とはいえ、この乱世に対して何も考えていない訳ではない。
「今の世の中、無能は罪だ。とくに上に立つ人間はな。ちがうか」 「ちがう、悪いのは今の世をつくった人間だ。無能、いや平凡な人間が指導しても乱れぬ世をつくらねばならない」 「ふむ。さすがは私が見込んだ男だ」 |
おいおい、と思いながらも巻き込まれていく李信。
『十八の子が明を倒し、天下を制する』という占いを聞いたのは、その少し後。十八の子。李という姓のことか。
闖王(ちんおう)という称号を唱えて農民反乱の指導者となった男がいます。本名は李鴻基(り・こうき)。自ら改名して李自成(り・じせい)と名乗っているとか。剛毅で人の上に立つ器量があり、軍規が厳しく略奪や民への暴力を禁じる男だという。
李信はこの男の元に合流します。この李自成が李信に、信では名として弱い、今後は巌と名乗れと言う。この線の細い、貴公子然とした青年が気に入ったらしい。
李厳と、李自成と、紅娘子。それと李自成の妻、高桂英(こう・けいえい)。これらの人々を中心に、この物語は進んでいきます。
腐敗した明王朝は、その最強の軍を北方の蛮族、後金のちの清への押さえとして使っています。
当時、万里の長城の北にいた満州族は、のちに清の第二代皇帝とされたホンタイジ(1592-1643)が病死したのち、その後継者の地位を巡って争いつつ南下の機会をうかがっているところ。情勢は切迫していました。
戦乱の中で李自成らは台頭し、李巌らの助力によって勢力を伸ばします。ここで李巌がどのような働きをし、李自成とどうしたのか、どうして彼らの理想がずれ、道が分かれていったのか、作者の筆さばきは読んでいて楽しい。そして悲しい。滅び行く歴史だからか。
李巌の最期などは、胸が詰まると言うより、諦観、あきらめの気持ちにさえなります。
しかし、この結果世界は暗黒に包まれました、などという話の展開ではありません。
世の中で、無為なままで過ごし、それ故に乱に走った人々が、新しい世界で生き場所を与えられる。これが平和というもの。
戦乱の世を、どんな形であれ、だれが行ったのであれ、平凡な人間が指導しても乱れぬ世となっていくさまを描き、終幕となります。
こんな終わり方の中国史も、いいね。
最後に出てくる李基信という少年の旅立ちは、なにかほっとさせてくれます。
もし李自成が明国を滅ぼしたのち民心を得ることができたとしたら、はたして明の代わりに中原を守る次代帝国になり得たか、というと疑問があります。
おそらく何をしても無理だったのかもしれませんが、それをいっては身も蓋もない。なるべくしてなった歴史、という言葉は歴史がみなあるべき正しいゴールに向かって一方方向に進むだけ、という史観を思わせて好きではありません。
しかしこの場合は、この流れしかなかったのかもしれない。
明帝国が衰微し、農民反乱が頻発し、満州族が勃興するという歴史には、実は日本の影響もあります。
はるか遠い島から誇大妄想的な征服目的を掲げて侵攻してきた秀吉による10万以上の兵が、明国の足腰を弱め、歴史を大きく動かしています。
しかし結局、大陸の歴史に対し何もできなかったらしい。大陸の争乱に介入できなかったことは、日本にとって良かったのか悪かったのか。
そんな歴史の流れも、ちょっと考えることができました。
(10/7/14)