3月11日に閉幕した全人代には3つの大きな変化があった。
そこには、アメリカを経済規模で追い抜く際の摩擦を極力避けたい中国の配慮が込められて
3月11日に中国の全国人民代表大会(全人代)が閉幕し、翌12日にそこで採択された第14次5カ年計画が公表された。
日本のマスコミではあまり報道されていないが、そこには驚くべき変化が3つあった。【東京大学教授・丸川知雄】
その第一は、経済成長率の目標が示されなかったことである。
すなわち、「GDP成長率は合理的な範囲を保ち、各年の目標は状況をみて定める」として、具体的な数字がないのである。
これは5カ年計画の本質にかかわる変化といってよい。
中国では1953年に始まる第1次5カ年計画(1953~57年)以来、これまで13回の5カ年計画を経てきたが、そのすべてが先進国にキャッチアップするための計画だった。
第7次5カ年計画(1986~90年)以降はGDP成長率、それ以前は工業生産額などの成長率の目標が定められており、その目標の実現に向けて各産業や各部門の任務を定める、というのが5カ年計画を作る目的であった。
2020年に最終年を迎えた第13次5カ年計画でも年率6.5%以上のGDP成長と、2010年のGDPを2020年には2倍にすることが目標となっていた。
<2025年の目標を入れなかった理由>
ところが今回は肝心の経済成長率の目標がない。
これではいったい何のための5カ年計画なのか、その存在意義が問われよう。
たしかに、ここ何回かの5カ年計画では高い成長率をシャカリキに追求するのではなく、エネルギー消費量や二酸化炭素排出の削減など成長の質にかかわる目標がより重要になってきていた。
しかし、従来は、それもすべて国の経済規模を拡大し、国民の生活水準を引き上げるという総目標を実現するための付随的な目標にすぎなかった。
今回は経済成長という総目標を掲げない異例の5カ年計画であるが、それでも5カ年計画を作っている以上、終局的な目標はキャッチアップであると思う。
そのことは、第14次5カ年計画のなかの2035年の長期目標として「一人あたりGDPにおいて先進国の中ぐらいの水準を目指す」と地味に書かれていることによって裏付けられる。
中国の一人あたりGDPは2020年には1万500ドルだったが、筆者の予測では2035年には2万1000ドルぐらいになる。
これは現在のギリシャやスロバキアぐらいの水準で、世界銀行の分類における高所得国の中ぐらいである。
つまり、「先進国の中ぐらい」というのは遠い未来の壮大な目標ではなく、十分実現可能なものとして提示されている。
もし中国が依然としてキャッチアップを目指しているのであれば、なぜ5年後の2025年に向けた成長率の目標を示さなかったのだろうか。
これ以上警戒されたくない
それは端的にアメリカへの配慮のためだと思う。
トランプ政権になって以来、アメリカは中国からの広範な輸入品に課税したり、中国企業に対してハイテク製品を輸出するのを禁じたり、アメリカ市場から中国企業のハイテク製品を追放するなど、あらゆる手段を使って中国の経済的台頭を妨害してきた。
しかし、その意に反して、トランプ政権発足前の2016年にはアメリカの60%だった中国のGDPは2020年にはアメリカの70%へ迫ってきた。
そして今年(2021年)、中国のGDPはアメリカをさらに急追して77%ぐらいになると私は予測している。
その理由はこうである。
まず、中国は昨年前半はコロナ禍で経済が落ち込んだものの、第4四半期になるとコロナ禍以前の成長のペースを取り戻した。
今年の経済成長率は昨年の低い数字をベースに計算されるため、昨年第4四半期のような調子で今年も推移すると8~9%ぐらいのGDP成長率となる。
全人代では、2021年のGDP成長率の目標を「6%以上」としたが、これはかなり控えめな目標であった。
中国では国全体の成長率の目標を定めると、地方政府が得てしてそれと同水準以上の成長を達成しなければならないというプレッシャーを受けてしまうため、低めにしたのだと思われる。
ここでは国際通貨基金(IMF)が今年1月に示した予測に従って今年の中国のGDP成長率は8.1%としておこう。
一方、アメリカもバイデン政権になって大型の景気対策が採られ、ワクチンの接種も進んでいるので、マイナス3.5%と落ち込んだ昨年から一転して今年はかなりのプラス成長が期待できる。
ここではIMFの1月の予測に従って5.1%としておこう。
<労せずに抜く勢い> 米中のいずれもが高成長するなかで、なぜ米中のGDPが急接近するかというと最近元高が進んでいるからである。
2020年前半は1ドル=7.1元ぐらいの元安の状況が続いていたが、6月ぐらいから次第に元が上昇してきた。2020年を通しての平均為替レートは1ドル=6.9元だったが、2021年に入ってからずっと1ドル=6.5元ぐらいで推移している。
年末までこのままの水準が続くならば、昨年に比べて6%の元高ということになり、その分だけ米中のGDPの差が縮まるのである。
これから10年間は米中のGDPが接近し、為替レートの次第によっては2020年代中ごろにも米中逆転が生じかねないという微妙な時期に入る。
中国政府がシャカリキになって成長率の引き上げに取り組まなくても、米中逆転が近づいてくる。
もしここで中国があからさまに高成長を目指す目標を設定したら、欧米や日本の警戒心をいやがうえにも高め、アメリカだけでなくヨーロッパや日本も中国の経済的台頭をブロックしようと貿易や技術移転を制限する挙に出るかもしれない。
そうすると、中国の経済発展をめぐる国際環境を悪化させることになる。今回成長率の目標が設定されなかったのは、欧米や日本で高まる中国脅威論を和らげることを狙ってのことであろう。
「中国製造2025」は事実上撤回
第14次5カ年計画における第二の変化は「中国製造2025」への言及がなかったことである。
「中国製造2025」は10のハイテク産業を重点業種と定めて、先進国へのキャッチアップを目指す産業政策として2015年に制定された。
総論的な政策のもとで、産業別の「行動計画」や政策課題別の「実施ガイド」が作成され、ハイテク産業の全領域にわたって先進国へのキャッチアップを目指していた。
アメリカのペンス前副大統領は、この政策の実施によって中国は世界のハイテク産業の9割を支配しようとしていると激しく非難した。
アメリカが通商法301条を使って、中国からの輸入の半分にも及ぶ広範な輸入品に関税を上乗せしたのも、要するに「中国製造2025」を撤回させるためであった。
アメリカからの激しい反発と圧力に直面して、中国政府は「中国製造2025」を担当していた馬凱副首相が退任した2018年から、これにあまり言及しなくなった。
「中国製造2025」のもとのさまざまな計画はすでに更新時期を迎えているが、それを更新する作業も止まっている。
「中国製造2025」は、第12次5カ年計画(2011~2015年)で登場した「戦略的新興産業」9業種を振興する政策をバージョンアップしたものであったが、第14次5カ年計画では再び「戦略的新興産業」の振興が謳われている。
つまり、第13次5カ年計画の重点課題であった「中国製造2025」がまるで存在しなかったかのように、それ以前の政策に戻っているのである。
中国政府が「中国製造2025」を撤回すると公言したことはもちろんないが、第14次5カ年計画に書かれていないということはこの政策がすでに死んでいることを内外に表明したに等しい。
中国としてはアメリカがそこのところを読み取って貿易戦争の矛を収めることを願っているのだと思われる。
<「TPP参加を検討」の真意>
第14次5カ年計画における第三の重要な変化は、「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加を積極的に検討する」と明記されていることである。
中国のTPPへの参加意向は昨年11月に習近平国家主席より表明されたが、日本の菅義偉首相の反応は「大きなハードルがある」というすげないものであった。
もちろん中国がTPPに参加するには国有企業を優遇しないと確約する必要があるなど障害も大きいが、TPPのメンバー国の多くにとって最大の貿易相手国である中国がTPPの高水準な自由化を実現することのメリットもまた大きい。
TPPメンバーにとっては、参加交渉を通じて中国の改革を促進できる大きなチャンスでもある。
「一帯一路」も意味が変質
アメリカが抜けたいま、日本がTPPのメンバー国の中で最大の経済規模を持つ。
その日本にすげない態度をとられたことで中国のメンツがつぶされたが、それでも中国はめげずに5カ年計画に参加意向を明記した。
それだけアジア太平洋の仲間に入れてほしいという中国の気持ちが強いのであろう。
日本のマスコミでは「一帯一路」の前に「中国の広域経済圏構想」というまくら言葉をつけることが慣わしとなっている。
世界一の経済大国になろうとしている中国は、自国中心の「帝国」を構築するに違いない、という先入観がこうしたまくら言葉に映し出されている。
たしかに、TPPにアメリカも入っていた時代には、中国では、TPPは中国封じ込めを狙ったものなので、「一帯一路」政策の推進を通じて西方に影響力を拡大すべきだといった議論があった。
しかし、「一帯一路」の範囲がアフリカやラテンアメリカにまで拡散し、またその中身もインフラ建設が中心であることから、もはや「経済圏」という意味合いはなくなり、「中国の経済協力政策の総称」と定義する以外にないようなものになっている。
中国が自国中心の帝国を構築するのではなく、TPPの仲間に入れてくれと頭を下げていることを前向きに評価し、交渉のテーブルにつくべき時ではないだろうか。
総じていえば、第14次5カ年計画において、中国はだいぶ下手に出てきた印象がある。
ところが、そのことは日本では指摘されることさえなく、全人代の報道ではもっぱら香港の民主主義に対する抑圧姿勢だけをクローズアップしている。
中国が「内政」だとみなす香港やウイグルの問題に対する外からの批判を受け付けない姿勢をとるのは誠に憂慮に堪えないが、そればかりに目をとられて、今回の全人代および第14次5カ年計画に込められた重要なメッセージを見逃すならば、これからの国際関係の安定に重大な禍根を残すであろう。
なお、本稿でふれた中国経済の現状や中国の弱点といった論点について、きたる『中央公論』5月号に寄稿した拙稿のなかで詳しく述べたので、本稿と併せて参照していただければ幸いである。