日本国憲法が施行されてから3日で74年を迎えた。
米中対立の激化で日本を取り巻く安全保障環境は日々厳しさを増している。
同時に新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言の再々発令という国難にも直面し、憲法改正は喫緊の課題だ。
昨年9月に首相を退任後も改憲の必要性を訴える安倍晋三氏と、国際政治学者として憲法のあり方や改憲議論を研究する篠田英朗東京外国語大教授が改憲の意義を語り合った。
(司会・論説委員兼政治部編集委員 阿比留瑠比)
篠田氏 私は1992(平成4)年、24歳のときに国連平和維持活動(PKO)協力法に基づいてカンボジアに2カ月間文民職員として派遣され選挙要員を務めました。
その際、マスコミは
「自衛隊についてどう思うか」
「自衛隊の海外派遣はどう考えるか」など私の仕事に関係ないことばかり聞いてきました。
第2次安倍政権の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)をめぐる議論でその頃の記憶がよみがえってきました。
安倍氏 先生がアカデミックな世界で研究を重ねながら同時にフィールドワークもされ、国際社会の現実も体験していることは大変貴重ですね。
私は父・安倍晋太郎元外相の秘書官時代に外務省情報調査局長(当時)などを歴任した岡崎久彦さんと親しくなり、岡崎さんを囲む勉強会で「集団的自衛権の行使で解釈変更に踏み切らない限り日米同盟は危うくなる」という話を聞き、私もその通りだなと考えた。
その後、小泉純一郎政権時の官房長官時代など、必要最小限度の中における集団的自衛権の行使についてずっと議論してきました。
日本がどうやって国と国民を守り抜いていくのか。
日本の安保論争は憲法論、法律論に入ってしまい、その中で政策を構築するので非常に複雑になる。
例えば、PKO活動など海外任務中の自衛隊がその瞬間、瞬時に政策判断しなければいけないギリギリの部分に憲法判断がある。
日本の安保政策の大きな問題点です。
篠田氏 集団的自衛権は保有しているけども行使できない。憲法にそう書いてあればどうしようもないが、どう読んでもそうは書いていない。
書いてあると主張する人が憲法学者にたくさんいるが、調べれば調べるほどこれは本来の憲法論ではないのではないかという疑問が募りました。
日本国憲法は日本が二度と軍国主義の誤った道に行かないように歯止めがかけているのは事実です。
現行憲法は戦争(war)を行う潜在力としての戦力(war potential)の保持は禁止している。
連合国軍総司令部(GHQ)が英語で作成した原文を野球選手にも使う「戦力」と和訳したことで混乱が広がった。9条1項の「戦争」や「武力」は国際法でいう戦争や侵略行為を指します。
そうすると2項の意味は全く明解で、戦争や侵略行為を行うための実力組織を持たないということ。
つまり、自衛権の行使や国際平和に役に立つような軍隊組織を持つことを禁じているとは読めないのが素直な解釈です。
国家の安全保障政策を放棄したわけではないという論理構成はきちんと書かれています。
安倍氏 集団的自衛権について、自民党は高村正彦副総裁(当時)を中心に議論しました。
常に高村さんが強調したのは、在日米軍の合憲性が問われた昭和34年の砂川事件の最高裁判決は「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは国家固有の権能」として当然のことだと明確に認めている。
判決には集団的自衛権を認めると明示的には書かれてはいないのですが、それを念頭に個別的、集団的を区別せずに自衛権という言葉を使ったのだと思います。
国会での議論は平成27年6月の衆院憲法審査会で、長谷部恭男早稲田大教授が集団的自衛権の行使容認について「憲法違反だ」と指摘した瞬間から違憲論争へとぐっと変わり、おなじみの議論の迷宮に入ってしまった。
マスコミが非常に激しく攻撃し、「戦争法案」「徴兵制だ」というレッテル張りもあったが、最終的に集団的自衛権の限定行使を容認する安全保障関連法は成立した。
当時の世論は厳しかったが、今これを廃止するべきだという議論は非常に少ないですよね。
篠田氏 砂川事件で問題になったのは米軍基地の背景にある日米安全保障条約の合憲性であり、集団的な安全保障のあり方を論点にしていた。
砂川判決には少なくとも集団的自衛権の違憲性をにおわせるような文言は全くない。
自動的に合憲性を認定していたと考えるほうが自然です。
安倍氏 日米同盟は安保関連法を前提に運用しています。
集団的自衛権の行使そのものとは法律のたてつけは違いますが、「存立危機事態」に至る前から米艦防護ができるようになった。
実際に米国の艦船や航空機を防護をしながら、あるいは尖閣諸島(沖縄県石垣市)上空で米軍の飛行機を自衛隊の戦闘機が防護する姿を見せることによって、強いメッセージを送ることができるようになった。
オバマ元米大統領が「米国は世界の警察官ではない」と発言して以降、米国は大きく変わりました。
実際、私はトランプ前大統領に
「日本が北朝鮮から爆撃されたら私たちは日本のために戦う。でも米軍が攻撃されても日本は米国を助けない」と言われた。
即座にその場で「だからこそ、内閣支持率を十数%落としてまで安保関連法をつくった」と反論したら彼は「素晴らしい」と。
もし安保関連法がなかったら米国の中で日米同盟を見直そうという議論が出たでしょう。
--自衛隊は日本の安全保障政策の根幹ですね
安倍氏 自衛隊を合憲だと言い切れる人は今だに3割前後しかいない。
彼らの存在は日本の安全保障の中核であり、予算も年間5兆円以上を投じている一方、彼らは憲法上非常に不安定な立場に置かれている。
現在、自衛隊が多くの国民に信頼されているのは、彼らの大変な努力の積み重ねがあるからです。
憲法論争に終止符を打つと私が訴えているのはわれわれ政治家の責任として憲法改正について発議をし、国民に最終的な判断を委ねるべきだということです。
篠田氏 日本国憲法はアメリカ合衆国憲法だけではなく、国連憲章を参照して作られているものです。
国連憲章下の安全保障体制の中に日本を埋め込むという意図で作られている。
それなのに、国際法を参照せずに憲法を解釈する立場を取るから答えが見つからない世界に入っていくのです。
本来であれば日本の国内法はもちろん、国際法規の中で実力組織を運用していく形が望ましい。
価値観外交にも結びつきますが、国際法の法規範を信奉し、推進する側に立った上で、それを体現する国家として国内法を整備し、自衛隊という実力組織を動かす。
自衛隊を規律立てるために最も正しく、その範囲内で裁量権を行使するためにそうした環境整備が必要です。
--安倍氏が提唱した9条への自衛隊明記についてはどう思いますか
篠田氏 私は自衛隊という固有名詞よりも、本当は9条に「軍隊を禁止していない」という文言を入れるのがいいのではないかと思います。
国際社会の秩序を強化することで日本も利益を得るのだという問題意識で自衛隊を運用する。
日本は国際社会の中でどういう国を目指し、どう生きていくのか。
国家観の基本に立ち返って安全保障を考え、法体系を整備していくという精神が不可欠です。
安倍氏 紛争や戦争はわが国だけで完結するものではなく、国際的な関係のなかで起こりうるのだから、国際法から独立した形で私たちは対応することはできない。
個別的自衛権は合憲だから個別的自衛権を拡大させて対応すればいいと主張する人がいますが、それは大きな大間違いです。
国際法の観点からみれば、日本は「なんでも個別的自衛権でやるのか、むしろとんでもない国だ」と思われることになる。
国際政治の中で起こり得る安全保障上の問題に対応するためには、憲法と同時に国際法がどうなっているのかを考えなければいけない。
私は戦後70年談話で先の大戦や20世紀という時代が日本の歴史だけでなく、国際社会からみてどんな時代だったかを検証しましたが、自衛隊の位置づけについても、本当はそういう根本的な議論をしたい。
政治とは情熱と判断力を駆使して厚い板にキリで穴をあけていく行為で、なかなか理想通りにはいかないのですが。
篠田氏 個別的自衛権の解釈を広げていくほうが集団的自衛権を合憲とするより安全だという考え方は、国際的には全く通用しないどころか危険極まりない。
国際法でいう軍隊としての規律のもとで運用してくれなければ困るというのが世界の常識です。
日本政府もわかっているから、海外で「military」と扱われて異論を唱えたりはしないのでしょう。
国内では「作戦」といわず「運用」と表現し、海外では「operation」といっても英語だから大丈夫だとか、そういう問題なのか。
国家の運営のあるべき姿ではないし、国際社会では通用しない。
二枚舌のやり方はどう考えても持続可能性がない。
私は単純に、憲法で自衛権を行使するための軍隊は禁止していない。それと同時に、国際法の観点から軍隊組織にかかっている制約および義務と権利を宣言し、活動するのが当然だと思います。
安倍氏 先生がおっしゃるように軍隊組織は権限と責任が明確です。
政治の責任も含めて、軍隊として認めることから議論することも大切だと思います。
篠田氏 ミャンマー国軍に抗議する多数のデモ参加者らが治安部隊の銃撃などで殺害された事態を受け、日米など12カ国の参謀総長ら軍首脳が「ミャンマー国軍と治安部隊が丸腰の市民らに武器を使用したことを非難する」との共同声明を発表し、日本からは防衛省制服組トップの山崎幸二統合幕僚長が参加しました。
ミャンマー軍の蛮行に対し、本来プロフェッショナルミリタリーは武器を持つ者の責任として一般市民、武装していないものに銃を向けることは何があってもやってはならない。
軍隊に誇りを持つ者からすれば、自衛隊に勤めている矜(きょう)持(じ)があり、共同声明への署名を断るという選択肢はなかったと思います。
そうした価値観や責任、誇りを持つと同時に、国際法規にしっかり沿って動くことができる自衛隊は、私に言わせれば一番しっかりしており、国内法体系のほうが遅れています。
--新型コロナウイルスの感染拡大を受け、憲法に緊急事態対応を盛り込む重要性も指摘されています
安倍氏 自民党はすでに憲法改正に向けた4つの改憲案を出しており、その中に緊急事態対応がありますが、国民の私権制限にかかってくるので、しっかりと憲法に明記すべきです。
篠田氏 緊急事態は好むか好まざるかにかかわらず平時の延長線上で発生します。
緊急事態下では、平時とは違うやり方をとらざるを得ないかもしれないが、なお違うやり方の範囲内で法の支配を保つことが非常に重要で、それを憲法にしっかり明記しておく必要があります。
国際法の観点では、例えば国際人権法における市民的および政治的権利に関する国際規約、いわゆる「B規約」の4条には、公の緊急事態ではいくつかの人権条項を制約せざるを得ないと書かれています。
この辺は少し運用を変えざるを得ないが、ここは絶対に守るという仕分けをし、緊急事態における法の支配を確保しようというものです。
緊急事態にあっても、生命を不当に奪うことや拷問を例外とするなど、人間の尊厳に合致する形で法体系を作っておく。
憲法に緊急事態条項を盛り込む際には、国際人権法に則した形で改正するのも一案です。
安倍氏 今回、パンデミックを経験した日本としてもさらに議論を深めていきたい。
国際法の観点も踏まえて衆参両院の憲法審査会でそういう議論をすべきだろうと思います。
緊急事態宣言の発令で果たしてどこまで私権が制限されるのか。
権利と義務の関係について、公共の福祉という考え方だけでなく、憲法に根拠となる条項を盛り込むべきだと思います。
--野党第一党の立憲民主党はコロナ禍だから緊急事態条項の議論をする暇はないと主張しています
篠田氏 今の野党では政権をとることは難しいでしょうが、一方で固定ファンのようなものが存在する。
政権を奪うまでには至らないのは、固定ファンを常につかんでおけばいいと考えるなら、憲法問題も従来の主張を繰り返していればいいという極めて保守的な立ち位置になるからです。
大学で教えている私の立場からみれば、これは非常に由々しき事態で、若者にとっては自分たちの意見が反映されるまでしばらく時間がかかってしまうし、国の運営を大きく遅らせ、誤らせている可能性がある。
安倍氏 かつて自民、社会、さきがけの自社さ政権で首相に就いた社会党の村山富市氏は国のトップになって現実に直面し、自衛隊は合憲であり、日米同盟も認めると明言した。
安保関連法に対してもおそらく立憲民主党は違憲だと主張していますが、彼らがもし政権を取れば安保関連法を認めるという立場に変わるのは間違いないでしょう。
それまでの間、国際社会で日本が後れをとるおそれはあるかもしれない。
--立憲は安倍政権の間は憲法論議はできないとしていたが、今は菅政権です
安倍氏 安倍政権の間は改憲議論はできないというのは論理として子供っぽい。私は首相を辞めているのだから、ちゃんと議論すべきでしょう。
中国は軍事力を異常なスピードで拡張し、海上戦力を増強し、香港の民主化運動の排除や台湾有事の可能性が大きな議論になっている。
かつて米ソ冷戦時代は防衛のフロントラインは欧州であり、それを支えていたのは北大西洋条約機構(NATO)でしたが、
現在のフロントラインはインド太平洋、沖縄からフィリピンを結ぶ「第1列島線」になり、これを支えているのは日米同盟です。
この中でわれわれはどのように地域の平和と安定を守っていくのかを考えなければいけない。
篠田氏 「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」は安倍政権の素晴らしい外交実績で、バイデン米政権もこの精神を受け継いでいます。
一方、バイデン政権はFOIPに加え、人権中心の価値観外交的な打ち出しも真剣にやっていますが、この点で今の政権は価値観外交がやや勢いを失っている雰囲気がある。
黙って穏便に振る舞うのが安全だという時代ではない。価値観外交がなければ信頼を失います。
むしろ、国際社会での立ち位置を疑われる外交姿勢はリスクです。
安倍氏 幸い多くの国々が「自由で開かれたインド太平洋」を共有し、海洋国家ではないドイツまでもが言及するようになった。
われわれにはそうした戦略を示した責任もある。
普遍的な価値観、特に人権についてはしっかりと発信していく。国際会議では黙っていたらだめなんです。
世界3位経済力を持つ日本の話は基本的に皆聞きます。菅(すが)義(よし)偉(ひで)首相も当然、考えていると思います。
篠田氏 「本音と建前」という日本語がありますが、日本の外交は「建前」が弱すぎる。
日本の「建前」が何なのか分からないまま「本音」だけ言われると、興ざめというか、国際社会で信頼関係の構築するのは難しい。
民主主義国家が結束し「大切なものは大切だ」と主張することを躊(ちゅう)躇(ちょ)すれば、いわば建前と本音がないことになる。
建前を強化しないと、日本はどういう考えなのかを世界から疑われ、国際的地位も危うくなります。
--憲法改正は待ったなし、ということですね
篠田氏 話が戻るようですが、憲法学は日本の学問の世界でも最も歴史が古い人文科目のひとつで、
その時々の政策の中枢部に深く入り、帝国大学(現東京大学)の憲法学教授が誰それだから公務員試験はこうなり、官僚組織でもその教授の教え子が出世していくといった構造で戦後70年以上、国家を運営してきた。
憲法改正は、今後もそうした惰性が続けばまずいという感覚とどうやって折り合いをつけていくかという問題でもあります。
安倍氏 防衛の最前線がサイバーや宇宙、電磁波の世界になった現代では、かつての伝統的な戦力という考え方、あるいは何が専守防衛であってなにが打撃力の行使かという切り分けは難しい。
特にサイバーの世界は先に(敵に)やられたら終わってしまう事態もあり得るので、端緒を得たらこちらから対応しないといけない。
今はそういう時代なのです。サイバーの防御を考えると、打撃力を考えて初めて防御を考えることができるという順番なので、サイバー攻撃を防ぐ意味でサイバーの打撃力を考えないといけない。
安全保障を憲法論だけで切り分けてしまうと非常に陳腐な議論になってしまう。
篠田氏 国際政治学からみれば、日本の現状はすでにマイナスの状態で、今まで一度も憲法改正していないのが信じられない状況です。
国際社会の中で名誉ある地位を持つ国家としてのあり方をしっかり正していく。それを政治がやらずに、若者に頑張れ、頑張れと言っても日本に誇りを持ち、希望を持って働くことは難しいと思います。
安倍氏 自民党は結構頑張ると思いますよ。
ただ、自民党は衆参両院とも(発議に必要な)3分の2以上の議席数を持っていないので、連立を組む公明党の賛同を得なければなりません。
国民民主党と日本維新の会など多数の改憲勢力を構築する努力も必要だと思います。
安倍氏・篠田氏 今日はありがとうございました。