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形骸化した「平和協定」 李在明×尹錫悦、ウクライナ情勢で論戦

2022-03-10 16:18:04 | 日記

 


形骸化した「平和協定」 李在明×尹錫悦、ウクライナ情勢で論戦

北韓との合意、守られたことはない
日付: 2022年03月01日 10時58分
統一日報

 大統領選挙の候補者らによるテレビ討論会(2月25日)で、記号1番の李在明候補(共に民主党)と記号2番の尹錫悦候補(国民の力)が、欧州の火薬庫となったウクライナ紛争の要因について論戦を交わした。

李氏は「未熟な政治家が戦争を引き起こした」として政治経験の浅い尹氏を暗になぞらえて揶揄し、尹氏は「確固たる同盟が不可欠である」と反論した。(ソウル=李民晧)

 平和論VS自強論


李在明候補は、かねてより与党側が提唱してきた平和論を基調に論戦を展開。

保守派である尹錫悦候補が大統領に就任すれば戦争の危機が高まるとの論調で攻勢をかけた。平和か戦争か、有権者らに選択を迫る形へと追い込んだ。


李氏は「戦争は政治家が決定し、戦場で命を落とすのは若者だ。ウクライナでそういうことが起きている」と述べた。

さらに尹氏を揶揄し「ウクライナのゼレンスキー大統領は就任6カ月という未熟さで、NATO(北大西洋条約機構)が加入を拒んだにも関わらず、加入を公言した。

それがロシアを刺激し、結果的に衝突に至った」と主張した。

ウクライナの大統領が外交に疎いためロシアの侵攻を引き起こしたというニュアンスだった。
これに対し尹氏は「(ウクライナ情勢は)ただの紙とインクに成り下がった(ミンスク)議定書だけでは国家の安保と平和が守れないということを明示した。

確実な力と強力な同盟が不可欠だが、(ウクライナは)それを備えていなかった」と語った。


尹氏は、ウクライナとロシア・欧州間で締結されたミンスク協定を、文在寅政権が推進している韓半島終戦宣言に重ねて指摘した格好だ。

尹氏は、李氏に対し「ただの紙とインクに成り下がった『終戦宣言』を強調しているが、北韓が核開発すら放棄しない状態で終戦宣言を主張すること自体がウクライナと同じ危機に陥るということではないか」と反論した。


ウクライナはミンスク協定の他にも1994年12月、ハンガリーのブダペストで、ロシア・米国・英国と安全保障覚書を締結している。

自国の安全のため、ウクライナはこの覚書を基に国連安全保障理事会に緊急会議の開催を求め、さらにはNATOと米国に兵力支援を要請したが、今のところ参戦を約束した国はない。

          

ロシア軍の爆撃を受けたウクライナの首都・キエフの住宅街

 

 

 反故にされた南北合意


過去の例を見ても、平和と安定を唱えた南北合意書が一日で紙くずとなってしまったケースは無数に存在している。

2018年9月19日、平壌で文在寅―金正恩が合意し、南北の国防長官が押印した南北軍事合意だけを見ても明らかだ。

合意後に北韓は高射砲で最前方の監視警戒所(GP)を照準射撃したほか、ミサイルの発射や南北共同連絡事務所の爆破など、合意に反する行為を度々強行してきた。

北韓軍は、韓国海洋水産部の公務員を銃撃・殺害し、その遺体を焼くという蛮行にまで至った。


北韓による「偽装平和」戦術のうち、史上最悪の惨事は6・25韓国戦争だった。

北韓の金日成は南侵2週間前の1950年6月7日、対南要請文を発表した。

タイトルは「平和的祖国統一への要請文」だ。

提案の内容は、光復5周年を迎える8月に南北韓の総選挙を実施しようというものだった。

それに向け、1週間後に南北韓の政党、社会団体の代表らによる会議を提案していた。

また、北韓が拘束していた曺晩植と、南韓に逮捕されていた南朝鮮労働党の金三龍と李舟河の2名を交換しようと持ち掛けた。

さらに金日成は、南侵1週間前の6月19日、「南北国会による統一政府樹立」を提案し、21日にはソウルや平壌で南北国会代表会談を開くことになっていた。


当時の李承晩政府は、北韓による相次ぐ平和攻勢の術中にはまった。

23日、全軍に下した非常警戒令を解除し、24日には将兵の外出・外泊を実施した。

そして翌日、日曜日の明け方4時に北韓軍が38度線を越えて奇襲南侵を強行した。

全国土が焦土化し、300万人を超える死傷者を生んだ。

これが6・25戦争の勃発直前に起きた歴史だ。今日、北韓が提唱する「我が民族同士」論は、6・25当時における金日成の甘言「平和提案」と同一線上にある。

歴史的にも平和協定は守られない


世界の歴史を振り返っても、平和協定や平和合意が遵守されたケースは極めて稀だ。

現在のウクライナもやはり同様だ。ロシアのプーチン大統領は侵攻直前にも平和戦術を展開した。

1週間前、「対話の扉は開かれている」「国境地域で訓練を終えた兵力が帰還している」などと語り、ロシア軍が鉄道で還軍する証拠映像まで公開した。

しかし、それはすべて虚偽の事実だった。

「平和」維持軍という名前を掲げ、ロシア軍に進軍を命じた。

過去にウクライナがロシア・米国・英国と締結した「ブダペスト安全保障了解覚書」や、平和的文言を記した「ミンスク議定書」は有名無実化した。


1973年に米国と南北ベトナムが締結したパリ和平協定も無意味だった。

協定締結直後にソウルを訪れた米国務長官、ヘンリー・キッシンジャーは、朴正煕大統領に「ようやくベトナムに平和が戻った」と豪語した。

その席で朴大統領が「まもなくベトナムは共産化されるのでは」と述べると「心配は無用」と自信をのぞかせた。

しかし米軍の撤収後、ベトナムはすぐに共産化された。

人類の歴史上で締結された平和協定は、大小合わせて8000回に達するという。

しかし、協定が維持された期間は平均2年にも満たない。

韓国も分断後70年を超える期間の中で北韓と数々の合意文を締結したが、それが守られたことは一度もない。

協定や合意は破られるための紙くずだという、決して笑えない話もある。


「平和は確実な抑止力をもってこそ維持できるものであり、先制打撃力を確保してその意志を示した場合に限り戦争を阻止することができる」


尹氏のこの発言について、李氏は「戦争をあまりにも単純に捉えているきらいがある」と反論した。本末転倒だ。

4世紀にローマ帝国で活躍した軍事学者、ウェゲティウス・レナトゥスの言葉は、今も外交安保の名言として語り継がれている。
「平和を望むならば戦争に備えよ」

    

李在明氏(左)と尹錫悦氏は2日にわたり大統領選挙候補者テレビ討論で論戦を交わした(写真=国会写真記者団)

 


68年前の昭和19年3月、日本軍は3個師団を繰り出して、連合軍の反攻の中心地であるインド・マニプル州の州都インパールを攻略する作戦を開始した

2022-03-10 15:52:17 | 日記

68年前の昭和19年3月、日本軍は3個師団を繰り出して、連合軍の反攻の中心地であるインド・マニプル州の州都インパールを攻略する作戦を開始した。

前年から始まった連合軍の反攻を食い止め、中国・国民党政府への援助を遮断するためだった。

いったんは、連合軍にとっての拠点の一つ「コヒマ」まで進み、これを制圧、連合軍の補給ルートを遮断したかに見えたが、日本軍は前線への補給が続かず、作戦は発動から3か月あまりで失敗に終わった。

そして、撤退路の多くで、将兵が飢えと病に倒れた。

インパール作戦は、当初から無謀な作戦であると反対意見が多かったにもかかわらず、牟田口軍司令官によって強引に進められ、戦闘中に師団司令官が独自に撤退を決めたり、更迭されたりするなど特異な事態が出現、戦後も長きにわたって批判された。

インパール作戦を始め、ビルマで命を落とした日本軍将兵の数は16万人におよぶ。

この作戦に参加した日本軍将兵や日本軍と戦った英軍将兵の証言、関連の番組でインパール作戦を始め、ビルマ戦線で何が起きたのかを振り返る。

ビルマの山中を行く日本軍部隊ビルマ戦線でたおれた日本軍兵士

  1. ビルマ攻略戦~拉孟・騰越での玉砕戦 第56師団の戦い

福岡・佐賀・長崎出身者で編成された56師団の兵士たちは、昭和17年にビルマの攻略戦に投入され、中国軍を国境の外へ押し出した後、国境の守備に就いた。

しかし、米軍の支援を受けた中国軍が昭和19年の半ばから反撃に乗り出してきた。国境を越えてくる優勢な中国軍に対し、インパール作戦のために援軍をえられないまま、拉孟・騰越で守備軍は玉砕した。

陸軍第56師団の将兵

 

末吉政徳さん
第56師団

藤井大典さん
第56師団

江副高明さん
第56師団

関昇二さん
第56師団

 

早見正則さん
第56師団

浅井朝光さん
第56師団

鶴九郎さん
第56師団

太田毅さん
第56師団

   

蒲池政人さん
第56師団

木下昌巳さん
第56師団

小林憲一さん
第56師団

ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~

   

中国雲南 玉砕・来なかった援軍 ~福岡県・陸軍第56師団~

第88号 ビルマ戦線

第91号 ビルマ快進撃

第94号 特報ラングーン占領

 

第95号 ラングーン完全占領

第98号 ビルマ英蒋軍撃破

第100号 マンダレー進撃

第102号 マンダレー攻略

 

第103号 ビルマ戦線エナンジャン陥落

第104号 ビルマ戦線 緬支国境突破

第149号 北ビルマ国境 蠢敵掃蕩戦

第150号 雲南作戦

 

 

 

第151号 印緬国境戦

第235号 雲南戦線

 

 

  1. 密林に倒れた「最強」部隊を救出せよ ~第18師団・敦賀第119連隊~

福岡県久留米市で編成され、菊兵団と名付けられた陸軍18師団は、中国戦線、シンガポール攻略戦、ビルマ攻略戦を戦ったあと、ビルマ北部のフーコン谷地と呼ばれる密林で、昭和18年秋から重装備の連合軍と激戦を戦った。

しかし、補給のないなか装備の違いもあり、玉砕する部隊が相次ぎ、昭和19年6月までに3000人の戦死者を出した上に、撤退路で多くのが餓死者を出した。

一方、福井県の敦賀119連隊は、菊兵団の盾となって、菊兵団の生き残った将兵の「収容」のため、最前線へ派遣され、やはり重装備の連合軍の攻撃と食糧医薬品不足のため、3000人の連隊兵士の半数が命を落とした。

福井県敦賀・陸軍歩兵第119連隊

 

中村敏美さん
第18師団

井上咸さん
第18師団

永松一夫さん
第18師団

高平三郎さん
第18師団

 

坂口睦さん
第18師団

古瀬正行さん
第18師団

大西清さん
第18師団

古野市郎さん
第18師団

 

塙亮さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

中井昌美さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

辻安太郎さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

喜多利夫さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

 

金森喜三郎さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

岡田信一さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

中野珪三さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

宮部一三さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

   

山崎喜一さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

上田一馬さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

高田栄さん
福井県敦賀・歩兵第119連隊

ビルマ 退却戦の悲闘 ~福井県・敦賀歩兵第119連隊~

 

 

 

 

第197号 ビルマ前線の陸軍部隊

 

 

 

  1. インパール作戦開始~コヒマまでたどり着いた高田第58連隊~

インパール作戦に参加したのは、15師団、31師団、33師団の3個師団であった。

そのうち、31師団に所属する58連隊は、3月に出発して3000m級の山を弾薬や食料を積んだ牛を引いて越え、連合軍のインパールへの物資輸送の拠点コヒマに向かった。

いったんは、コヒマを攻略しインパールを孤立させたかに見えたが、補給と援軍を受けた英印軍の反撃が激しさを増し、5月末、31師団の佐藤師団長は、まったく補給のないことを理由に、独断で撤退を開始。

激怒した牟田口軍司令官によって師団長を更迭される。

さらに、雨季を迎えた密林の中で食糧のないまま撤退を始めた将兵たちは、病と飢えで次々に脱落、将兵の死体があふれたその撤退路は「白骨街道」とまで呼ばれるようになった。

新潟県高田・歩兵第58連隊

 

佐藤友治さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

山上博さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

牧岡善太さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

秦信之さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

 

大越正意さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

山田義廣さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

真貝秀広さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

関口榮さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

 

塚田善四郎さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

廼島哲郎さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

田辺忠義さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

久保隆一さん
新潟県高田・歩兵第58連隊

   

 

インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘 ~新潟県・高田歩兵第58連隊~

第200号 緬印戦線(ビルマ インド)

第214号 緬印(ビルマ・インド)戦線

 

  1. 伸びきった補給線~インパールを目指した第15師団~

京都府出身者を中心に編成された第15師団は、昭和19年3月15日にチンドウィン川を越えて、直接インパールを目指し進軍を始めた。

日本軍を引き込んでたたくという英印軍の方針もあり、部隊はインパールを見下ろす高地まで短時日でたどり着く。

しかし、人力で運べる分しか武器、弾薬、食料を持たない15師団は、ここで、豊富な砲弾と機甲部隊を持つ英印軍の激しい反撃にあい、草を食みながら白兵戦を挑むしかなくなる。

補給を訴える15師団の山内師団長も牟田口軍司令官によって解任された後、15師団は撤退を始めた。

この撤退路でも餓死、病死者が続出した。


米国とNATOの戦略的暴走

2022-03-10 15:26:25 | 日記

 


米国とNATOの戦略的暴走

ウクライナ問題 ヨーロッパの勢力圏を再編成
: 2022年03月01日 10時22分
統一日報

 NATOとロシアの対立がウクライナでついに爆発した。

米国と西欧がロシアを敵に回すと、中共はロシアの側に立った。

東西冷戦終結から30年、巨大な衝突が再び始まったのだ。

世界情勢と歴史の流れを揺るがす事態も、よく些細なことから始まる。

「バタフライ効果」だ。

米・中戦争が非常に複雑に拡大するような気がする。

戦争に善悪はない。

国家間の戦争は正義と、もう一つの正義の衝突であるからだ。

それで、戦争を始めれば勝利を追求するしかない。

ところが今回の戦争は西欧が自ら招いたものだ。

バイデン政府とNATOは、どういう戦略的構想・目標を持ってエネルギーと食糧を自給するロシアを戦争へと圧迫したのか。

 

 プーチン大統領が2月21日、ウクライナのドネツクとルガンスクを主権国家と承認、「平和維持軍」の出動を命令、24日、ウクライナに対する全面軍事作戦を敢行した。

プーチン大統領は、ウクライナを「非武装化、非ナチス化」するのが目標だと主張した。


ロシアはそれなりにハイブリッド戦争を準備した。が、開戦5日が経った時点で市民蜂起を訴えるウクライナの対応により、広大なウクライナ領土で小規模に分散作戦を展開しているロシア軍が苦境に直面した。

戦況は混乱している。

ロシア軍は訓練も十分でなく、通信と補給で重大な問題に直面したようだ。
ロシアはウクライナの抵抗意志を軽く見た。

ゼレンスキー大統領は国民に銃を配り、火炎瓶を持ち、立ち上がるよう訴えた。

武装・非武装のウクライナ人たちが、政府軍と協力して市街戦に参加している。

このハイブリッド戦争に、史上初めての巨大民間企業が、事実上戦争の主要な行為者として参加している。


Googleはロシア軍が利用できないようにウクライナの地図情報を遮断した。

宇宙開発企業のスペースⅩを率いるイーロン・マスクは26日(現地時間)ウクライナ政府の要請を受けてインターネット通信衛星「スターリンク(Starlink)」サービスを支援した。

ロシア軍がウクライナの通信網を掌握できないようにするためだ。

少なからぬ西側のメディアは、ニュースを自己検閲し、ロシアとプーチン大統領を一方的に攻撃している。

これに刺激された各国の市民団体が平和を叫び、ウクライナの支援に出た。
この世論戦、情報戦のため28日現在、ロシアが守勢に押された。
フランスがロシアに対し軍事力の使用態勢を取り、ウクライナへの軍事支援を拒否していたドイツも武器を提供し始めた。

この状況で両側代表が28日、ベラルーシで会って停戦を協議した。

両側は本国政府と協議後、数日内に再び交渉することにしたという。

ロシアはウクライナ軍に降伏を要求するが、ウクライナは米国と西欧の支援を期待、抗戦を続ける態勢だ。


戦争で平和を提案するのは普通、事実上の降伏を意味する。

ところで、今回のウクライナ事態は、結論的に言えば西欧と米国、つまりNATOが招いたものだ。

NATOはもともとソ連共産全体主義に対抗するために結成された。

NATOはドイツの統一当時、NATOを東に拡張しないと言った。

そして今のロシアは過去の共産全体主義体制でない。


にもかかわらず、バイデン政権と米民主党は、ロシアを過去のソ連のような主敵と規定、敵対してきた。

西欧もロシアとプーチン大統領を悪魔化し圧迫し続けてきた。ロシアが反発するのは当然だ。


NATOは、米国がソ連と中共を分断することで、東西冷戦で勝利した。

ところがバイデンと民主党は、文明世界の最大の脅威である中共との戦争という現実を無視、ロシアを中共よりも危険な主敵と設定し、戦略的に見れば、全く無意味な圧迫を続けてきた。


バイデンの暴走は、彼自身の個人的な弱点から来たのではないかという疑問もある。

米メディアは、バイデン家族が、明らかになっただけでもウクライナから340万ドル、ロシアから350万ドルを受けたと報じた。

ヒラリーは放送で、ウクライナ事態はトランプのためだと述べた。

このような無責任で卑猥な思考をする者が米民主党の実力者であるのは信じられない。


米国はロシアを膺懲するため輸出統制や金融制裁をはじめ、様々な手段を講じている。

米商務省は24日(現地時刻)、国防、航空宇宙、海洋産業などに必要な半導体、コンピュータ、通信、情報セキュリティ、レーザー、センサー機器などのロシア輸出を統制する制裁措置を発表した。


米国の措置に同調しない国々は、ロシアのような厳しい制裁を受ける。

ロシアとしては死活問題だ。結局、米国の敵の中共と手を握るしかない。

米国と西欧はなぜ、ロシアを中共と同盟するように押すのか。