日本と世界

世界の中の日本

「強靭な国家建設に向けて」

2022-10-08 17:20:45 | 日記
「強靭な国家建設に向けて」

長野禮子 今回は、9月の自民党総裁選に出馬した高市早苗氏を講師としてお招きした。

敗れはしたものの、日本の最高司令官を目指す者としての確固たる信念と国家観を示したことで、一躍旋風を巻き起こした政治家である。

高市氏は今、3度目の自民党政調会長の職にある。

「強靭な国家建設に向けて」どのような政策を推進、実行していくのか、詳しくお話頂いた。日本の外交・安全保障を考える上で、中国の問題は避けて通れない。

中国の国防費は、この30年で42倍に増加、日本の防衛費約5兆円の4倍となった。

世界全体で見れば米国にまだ分があるものの、南シナ海周辺国や東シナ海における挑発的軍事行動への脅威は益々厚みを帯び、「自由で開かれたインド太平洋」を守るために、同盟国及びクアッド等との綿密な連携が更に重要となる。

また、我が国にとって台湾有事はイコール日本有事である。

このことを広く国民に啓蒙することを目的とし、JFSSはこの8月、2日間に亘り「政策シミュレーション」を開催した。

その模様は官邸、外務省、防衛大臣を始めとする関係省庁の幹部に報告すると共に、「正論」「Wedge」で紹介され、12月26日には「NHKスペシャル」でも放映されることになっている。

中台の軍事バランスは圧倒的に中国有利である。

これは国際社会、特に東アジアの安定に関わる重要問題だ。

米国を始めとした自由、民主、人権、法の支配といった基本的価値を共有する西側諸国は小国家も含め、次々と台湾支持を表明し、台湾を訪問するなど外交関係を発展させ、中国の横暴、覇権に堂々と対峙する覚悟を見せている。

それは更に協調を強め、重層化しつつある。

中国はまた、香港、ウイグル、チベット、南モンゴルに対する行き過ぎた人権弾圧を抱え、国際社会からの非難は高まるばかりだが、未だ誠意ある対応を見せていない。

日本にとって大切なことは、これらの民族の存続と台湾の現政権を応援することだ。

来年2月開催の冬季北京五輪には米国を始め英国、オーストラリア、カナダも外交ボイコットを表明した。

中国に舐められ続けている日本はこうした流れにどう決着を付けるのか、林外相、中谷人権担当補佐官ではどうも心許ない。

岸田首相の最終決断が国際社会に対する「誤ったメッセージ」とならないよう願いたい。

更に氏の話は、台湾の半導体企業TSMC熊本工場の件、台湾のTPP加盟にも及ぶ。

歓迎すべき事柄ではあるが、これはあくまで蔡英文政権が続くことが前提であり、再び親中政権になれば、工場の軍事拠点化など大きな懸念材料となる可能性も払拭できない。

また、我が国の安全保障上、大いに脅威となるのが極超音速ミサイルや潜水艦搭載のSLBMである。発射の兆候を掴むことが難しいことから情報収集力が鍵となるが、その備えも決して盤石とは言えない。

同時にサイバーセキュリティ、AI、無人機の保有についても真剣に考えなくてはならない。

この他、敵基地攻撃能力の確保、外国人による土地取得問題、経済安全保障、国防七校の問題など、米国が採用している「能動的ディフェンス」の法整備を政調会長として実現したいと語った。

氏はもし総理になったら短期政権を良しとし、何を言われようが、いくら叩かれようが、重要な法案を出し続ける覚悟で総裁選を戦っていたと言う。

特に我が国の安全保障環境は年々厳しさを増し、人員、装備、研究への経費増大が続く。

防衛費はGDP比1%枠にこだわらず、必要な額を計上することを明言。勿論2%を超えたとしてもである。

これまで多くの政治家から国家国民を守る美辞は繰り返し聞かされてきたが、氏はまさに現実を見据え、国家存亡の危機を救うべく強い意志をあらゆる角度から示した。力強い限りである。

我が国の抱える問題は年を追う毎に複雑かつ拡大している。参加者全ての人が次期総理に相応しい政治家として高市早苗氏に大いなる期待を寄せ、拍手を持って見送った。




『本間雅晴中将とその夫人』

2022-10-08 16:40:41 | 日記
『本間雅晴中将とその夫人』

 第二次世界大戦が終わって、既に半世紀が過ぎています。わたしを含め、戦争を知らない世代が増えてきています。

この平和が、ずっと継続されることが望まれますが、今も戦争している国、臨戦態勢にある国、世界には悲しい思いをしている人たちがたくさんいます。

 戦争は、人と人とが殺し合う悲惨この上ない事態でありますが、時として深く感銘を受ける話も伝え聞くことがあります。今回は、そんなお話をさせていただきます。

 太平洋戦争の開戦と同時に日本陸軍の第十四軍はフィリピンに進攻し、昭和十七年一月二日にはマニラを占領しました。

しかし、この間、アメリカ・フィリピン軍は決戦を避けて主力をバターン半島に撤収させ、以後、堅陣に拠って激しい抵抗を行いました。

このため日本軍は大きな損害をこうむりましたが、兵力の増強をえて四月上旬には同半島を攻略し、五月七日にはコレヒドール要塞を占領してフィリピン全域を完全に制圧しました。

 これは「バターン攻略作戦」と呼ばれていますが、この作戦の終了直後、日本軍は疲弊しきった捕虜を徒歩で移動させたため多数の死傷者を出し、また捕虜に対する暴行も行われたため、「バターン死の行進」として国際的に激しい非難を浴びるところとなりました。

 第二次世界大戦が終わり、昭和二十一年二月八日、戦争犯罪人として当時の司令官であった本間雅晴中将は、フィリピン・マニラの軍事法廷にかけられました。

その証人として喚問された人の中に、本間富士子夫人がいました。そのとき夫人は、

 「わたしは今なお本間の妻たることを誇りにしています。わたしは夫、本間に感謝しています。娘も本間のような男に嫁がせたいと思っています。息子には、日本の忠臣であるお父さんのような人になれと教えます。わたしが、本間に関して証言することは、ただそれだけです……。」

と、涙とともに証言をし、その毅然とした姿に、裁判官も検事も感動の涙を流したといわれます。

また、傍聴にきていた米国の看護将校(女性)たちは、閉廷後、本間夫人を取り囲み、抱擁し、「あなたは女性として、妻としてもっともすばらしい証言をされた」と讃辞を贈ったといわれます。

 判決は、死刑。次は処刑十日程前の、夫人へ遺言です。……

《廿五日 妻へ》

 書き残したい事は既に書きつくし、言い残したいことも大てい言った。もはや此の世に残して置きたい事はなくなった。

 ただ妻への感謝をまだ充分に言いつくさぬように思う。二十年の結婚生活の間、随分と意見の相違もあり、激しい喧嘩もした。この喧嘩も今はなつかしい思い出となった。

 いま別れの時に際して御身のいい所が特に目について欠点と思われるものはすっかり忘れてしまった。

私が亡くなっても子供達は御身の手によって正しく強く成育すると思うから少しもこの点に心残りはない。(中略)

 二十年の歳月、短いようで長い、仲よく暮らした事を思うて満足している。

あの世とやらがあるならそこで又々夫婦となろう。

先に行って待っているが急いで来てはならぬ。

子供達の為になるべく長く、この世に寿命を保って私の出来得なかった事、即ち孫や曾孫を抱いたり撫でたりして、あの世で逢う時には沢山その土産ばなしを聞かせてくれ。どうも長い間世話になって有り難う。……

 処刑は、昭和二十一年四月三日、午前〇時五十三分、ちょうど四年前に、陸軍第十四軍司令官本間中将の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行されました。

 当時、、ほとんどの将校の死刑が囚人服で絞首刑であったのに対し、本間中将の場合は、略式軍服の着用が認められ、しかもその名誉を重んじて銃殺刑であったとのことです。

やはり、夫人の証言が大きく影響しているものと思われます。

 戦争の悲惨さ、そして夫婦のあり方、この話は、いろいろなことを教えてくれます。(99/02)