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程暁農★バイデンの中国政策の二つの顔 2021年03月11日

2021-07-27 17:39:20 | 日記

程暁農★バイデンの中国政策の二つの顔 2021年03月11日

 バイデン大統領の対中政策はある時は中共に好意的で、ある時は対中戦争の準備を宣言するなど両面性に満ちている。

演技をしてるのではなく、「ポリティカル・コレクトネス」派の価値観と、米国の国家の安全という根本的な対立の中で迷っているのだ。

バイデン政府は中共を控えめに「主要なライバル」と呼んだが、事実は中共は「ライバル」ではなく、「戦略上の大敵」なのだ。

 中共は計画的かつ組織的に米・中冷戦に火をつけ、傲慢無知にも自分たちが勝つと信じている。

米国軍と経済的実力は現在、中共の脅威に対して十分なものであり、中共が傲慢なままで居られるかどうかは、バイデン政府が一体どのように中共の脅威に対応するかにかかっている。

 ★1:中共独裁は、まともな「文化モデル」なのか?

 2月16日にウィスコンシン州ミルウォーキーで行われたCNNの番組に出演したバイデンは、2月10日に習近平と電話会談の内容を明らかにした。

バイデンは「もし中国の歴史を多少とも知っていれば、習近平の中心的な原則はつまり、統一された厳しいコントロールのきいた一つの中国でなければならない、ということだ。

それに基づけば、習近平がやったああした行動は合理化される。

文化的に見れば、異なる国家には異なるルールがあり、どの国の指導者も期待し従う。

私は習近平が香港でやったことに反対しないし、彼が中国政西部や台湾でやったことに反対するつもりはない」と語った。

 これはバイデンが本心から、彼の価値観と「親パンダ(中国)」派として一貫した立場からの発言だ。

 バイデンの価値観には、米国の「ポリコレ派」の見方がしっかり表現されている。

彼らはマルクス主義が生んだ共産党政権は人類史上最悪の制度だったと認めない。

彼らは、ヨーロッパから輸入した「文化的相対主義」を用いて口当たりを良くしている。

「文化相対論」は「多元文化は比較して善悪を論じてはならない」と強調する。

 これは欧州で誕生した新マルクス主義の重要なものの見方であり、その本質は「道徳否定論」だ。

キリスト教文明の基礎に立つ「正邪を明らかにする」道徳観念を排除して、性的混乱、民族・階級対立の促進、反資本主義、反西洋宗教に置き換えなければならないというのが「道徳的否定」の本質である。

 バイデンが共産主義の独裁を「文化的規範」と表現したことは、間違いなく共産党の独裁文化を正当化するものである。

これは一種の詭弁だ。

専制主義と自由主義を区別するのは別に難しいことではない。

「何が正しいか何が間違っているか」をはっきりさせることは、民主主義制度における基本的な価値観念だ。

 しかし、新マルクス主義は、民主主義国家の社会秩序を打破し、民主主義社会を変革する新旧あらゆるマルクス主義的な赤の価値観を導入することを提唱しているので、「文化的相対主義」を強調し、権威主義的な文化と民主主義体制の伝統的な文化を同一視する。

 「多文化主義には善悪がない」という言葉を使って、自分たちの好む権威主義的な文化を正当化したいのだ。

だから彼らは「文化相対論」をもって独裁主義と民主制度の伝統文化を「イコール」だとして、多元文化には優劣がないとして、自分たちの好む独裁文化に正統性の冠をかぶせたいわけだ。

 バイデンは新マルクス主義の出来の悪い生徒であり、その詭弁的な議論を頭で理解することすらできずにオウムのように話しているが、その結果、出てきたのは赤裸々な独裁に対する寛容論だった。

実際、「ポリコレ派陣営」は偽善的で、西洋の伝統的な価値観には非寛容で容赦なく、一方、「多元主義の善悪」については全く語らない。

 アメリカで見られるように「ポリコレ派陣営」の価値観は、一種の西洋ポストモダン的な権威主義的思考と同根なのだ。その根源は共産主義独裁者の価値観と同じであり、だからこそ、価値観面での親和性がある。

 「ポリティカル・コレクトネス」を理由に、アメリカ社会に「独自の価値観」を押し付ける。

「ポリコレ派」は、共産党のように、権威主義的な考え方で社会全体をコントロールしようとする。

 「ポリコレ派」も、中共独裁したの人権状況を批判するが、それは自分たちと共産党独裁の価値観が緊密につながっていることを隠蔽するためで遭って、真剣でも真面目にやるわけでもない。アメリカの「ポリコレ」の古い世代の多くは、反戦運動の際に毛主席の『名言集』を愛読していた。

多くが後に大学の教員となり、一代一代ごとに今日の大学と高校で圧倒的な勢力をほこるマルクス主義シンパを育ててきて、もともと中共に好感を持っている。

 ★米国政治における三つの派の分立

 トランプ時代後期のアメリカの対中政策は非常に明確で曖昧さがないのに対し、バイデンの対中政策は少し混乱しているようだ。

しかし、単純に「ポリコレ派」と保守派の対立によって対中政策が決まるとか、「親パンダ派(親中国派)」と「パンダ封じ込め派」の対立から、米国の対中政策を見ようとかするのは単純すぎる。

と言うのは、今の米国の政界や実業界には、両派だけでなく、実際は三つの派があるからだ。

 長年にわたって米国にはずっと「親パンダ派」と「パンダ封じ込め派」が存在し、前者は政界、金融界、実業界、学術界に多く存在する。

パンダ封じ込め派」は軍部と共和党の一部の議員がそれだ。しかし、すべての議員がこの両派に分けられる訳ではないし、政党によって両派を分けられるというものでもない。

 私のいう三派分立とは、まず「国防派」で、これは「パンダ封じ込め派」たちが属している。

そして、「パンダ親善派」の一部の人々もめざめて加入する可能性がある。

次は「売国派」で「パンダ親善派」の一部は自分たちの利益のためには中国が強くなって、米国が弱くなることを願う人々がいる。

 第三の派とは「国を害する派」で、これには「ポリコレ」の理念を好み、必ずしも「パンダ親善派」のような中共と数知れぬ利益の絆で関係を持っている訳ではないのだが、自分たちが独裁で天下をとるために、各種の「ポリコレ」的な言辞を撒き散らし、米国の利益に反する政策を推進する。

 今後のアメリカの国策は、この3つの派閥の戦いから生まれてくる。

民主、共和両党にもこの3つの派閥があるが、割合が異なる。

共和党には「国防派」が多いが、「売国派」もいて、私利私欲のために「国を害する派」と結託する連中もいる。

民主党には「国を害する派」の割合が多く、「売国派」も多いが、「国防派」もいる。

 どの派閥がどの政策で優位に立つかは、その政策の内容による。

例えば、国防問題では基本的に「国防派」が優勢だが、対中国の経済・貿易・金融政策では「売国派」がかなりの影響力を持っている。

中国政策の全体的な方向性は、保守派とリベラル派という単純な区分けでは必ずしも十分に説明できない。
 
 米・中関係の将来は、複雑で錯綜した状況になる。

軍事的なレベルでの対立は明らかだが、他のレベルでは常に具体的な分析が必要になる。

バイデンはトランプのように冷戦各層での一致した政策をとらない。その代わりに、軍事、諜報、経済、政治方面でやや矛盾した政策をとるだろう。

 対「国防派」の国防と国家安全に対する要求に、「売国派」や「害国派」も表立って反対はできないが、逆に行動においては米国を弱く、中国を強化する政策を主張するだろう。

 軍部が、中共によって国家の安全がますます脅かされると認識している時、国防強化や議会と政府の「国防は」の指示を得て、対中政策の主要な推進力になりうる。

 米国実業界には少なからぬトランプの経済制裁による対中共政策に反対する企業があるが、軍部の強硬な立場は「売国派」に対しても一定の拘束となる。

軍部は米・中軍事対決の基調で配置を引き締める。しかし、米軍の軍事的準備を行う部署は、必然的に経済方面の両国の交流を制限するし、未来の米・中経済関係は両国の軍事対決という背景の下でおこなわれることになる。

 ★3:中共は刀を研ぎ、戦争への準備おさおさ

 アジア太平洋地域は今、中共の国際的野心と軍事的脅威に根ざした、最も危険な10年に直面している。中共の対米軍事脅威とは口先だけのことではない。

 公式対外宣伝メディアである「多維ネットニュース」は、昨年10月22日、「中国の国防法、国際安全保障の不安定性が高まる中、『戦争条件』を強化」と題したレポートを出した。そこには中共が国防法の「開戦条件」に「経済上の必要性」を「重要な理由」に加えた。

 全国人民代表大会(全人代)の常務委員会は昨年10月13日に開催され、国務院と中央軍事委員会が提案した国防法改正案を審議した。 改正国防法は12章70条からなり、そのうち50条を改正、6条を追加、3条を削除することになっており、特に「開発の利益が脅かされる」場合には「総動員や地方動員が必要となる」とした。

 このように国防法を改正して何をしようとしているのか。これは非常に危険な信号だ。その目的は戦争への総動員のための法的準備を行うことだ。

 実際、共産党の上層部と軍部が戦争をすると決めた時には、法的な手続きを踏む必要はなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ダマンスキー島の戦いの時には、事前に中国国民には秘密にしておき、後から官製メディアが用意したプロパガンダ版に沿って社会を動員した。

 今回の国防法改正では、中共は「総動員」の前に「戦争」という非常にセンシティブな言葉を避けているが、実際、国防法に関連する「総動員」は、戦争しかない。戦争の総動員は通常、以下のようなものだ、。

 ① 兵士の供給源の拡大。退役軍人の徴集
 ② 民間経済の軍事転用。労働時間延長
 ③ 戦争の需要を優先し、民用消費物資、工業物資の供給を制限

 国防法を改正で、中共は戦争への総動員の理由として「経済的な必要性」(官製メディアは「開発利益」と呼んでいた)を盛り込んだ。

つまり国防法を改正することで、どんな状況も簡単に「経済的利益」に結びつけることができ、対外戦争の「開戦理由」を無限に拡大したのである。

 この戦争への「総動員」は、もちろん台湾海峡の紛争だけではない。中国の「発展の利益」に最も関係するのは、海外貿易、技術の盗用、外国投資の流入であり、これらは主に米国に関係している。中共の戦略では、米国は世界経済の利益を妨げる主要な国であり、国防法の変更は、中共の戦争の脅威が主に米国に向けられていることを意味する。

 ★なぜ中共は平和的競争を望まない?

 常識的に考えれば、どの国の経済発展も平和な状態でなければスムーズに進まないし、どの国の経済発展もトラブルに見舞われることがあり、そのようなトラブルは国際的な規制や国同士の交渉によって解決されるべきものである。

  経済発展のために必要な利益を、戦争という手段で得られるだろうか? 通常の競争では得られない経済的利益を、戦争でつかみ取ることができるのか?

 中共の考え方は、一見、常識を覆し、理解できないように見えるが、実はもう一つの公言をはばかる下心がある。

中国の「台頭」は、米国などから知的財産や技術の秘密を大規模に盗み、盗んだ特許や技術を使って米国などの企業を潰すための製品を製造し、国際貿易ルールに違反して米国との貿易黒字を長期間にわたって高水準で維持するなど、国際ルールや各国の法律を破ることで促進されてきたのだ。

 国際的なルールや法律のレベルでの正常な競争に戻れば、中国は経済を支えるこれらの重要な手段を失う。トランプが開いた米中経済貿易協議で知的財産権侵害の話題に触れた途端、中共はは「ちゃぶ台返し」で交渉を打ち切ったのだった。

 同時に、中共は米国にプレッシャーをかけ、自国経済が依然として米国に依存しているにもかかわらず、軍事の分野で米国に譲歩を迫ろうとしたのだ。

 そして、たまたま不正が行われた大統領選挙(参照;

程暁農★民主主義の砦の自滅―ナバロ報告書の概要  2021年2月23日 )後の米国の政治的方向性は、中共に絶好の機会を与えた。

 中共は現在、逆に米国に挑戦できると思っている。

「多維ネットニュース」は3月6日に「中国の2021年は野心満々でしっかりと」という見出しを使った。「野心満々(充満野心)」の4文字こそ中共トップの心境なのだ。

 その「野心」とは何か? 

最近、習近平は一言、「70歳を過ぎても、1980、1990、2000年後生まれの中国人が対等に見る世界は、昔のような『遅れた泥臭い中国』ではない」と語っている

・言葉は心を表す。

習近平の心中では、中共はすでに世界を仰ぎ見るようなものではなく、「お前らはたいしたことない。おれらはお前らをやっつけられるんだ」という感覚だ。

 習近平が口に出さなかったのは、「世界をいかに中共の天下にするか」であり、思い通りにしてやる、ということだ。

また、習近平のいう「世界」とは中小の国家ではなく、米国のことだ。

当然、「対等」とは数カ月にして中共が突然成功したということではなく、米国が現在、危機的様相を呈しているということ。

特に米国内の政治・経済政策において、危険な下降スパイラルに陥っていることだ。

 2月12日に中共の「多維ネットニュース」の記事ではこう書いている。

;「中国と米国の公式声明から判断すると、北京は『米国に挑戦している』というレッテルを貼られることを極力避けている。

しかし、実際には『中国の対米挑戦』は、もはや避けがたい。

経済的には、2011年以降、中国は米国に次ぐ第2位の経済大国となり、2027年または2028年には中国が米国を追い越すと多くの経済関係者が予測している。

グローバルな経済ガバナンスのレベルでは、『一帯一路』が世界の地政学的光景に与える影響はますます明らかになるだろう。

軍事レベルでは、中国と米国は等しく核武装しており、南シナ海や台湾における中国の軍事的プレゼンスは近年著しく高まっており、人民解放軍の軍事的抑止力は大幅に増加し、アジア太平洋における米国の絶対的優位性は相対的優位性に変わってきている」

 これは中共のプロパガンダで、その自己顕示には疑問があるが、「野心」は全面的に表現されており、中共はもはや米国への挑戦を忌避しない。

 ★5 米国と中国の関係は競争的なものか?

 バイデンが中共を「主要なライバル」と表現したことで、外交言語レベルでの中共に対するトランプ政権の認識はトランプ政権よりもはるかに温和になった。中共は正常なライバルなのか?

 歴史的に見れば、米国に対抗して独自の外交路線を追求したフランスのシャルル・ドゴールや、マンハッタンを買い取ることができると主張した1980年代の日本のような世界の経済的ライバルなど、民主主義国の中で多くの国際的な政治的ライバルがいた。

今の中国の挑戦は、当時のフランスの挑戦や日本の挑戦のレベルに過ぎないのか?無論そうではない。

 「多維ネットニュース」にこの2月「北京とバイデン政権の関係を左右する2つの現実(Two Realities Determining Beijing’s Interaction with the Biden Administration)」が掲載された。

そこでは、現在、米・中関係には二つの現実があるという。

第一には、米・中関係は過去4年、とりわけ2020年に急速に悪化し、冷戦に向かっている。第二には、米・中新冷戦は、「トゥキディデスの罠(Thucydides’s Trap)」にはまる可能性がある、だ。

「トゥキディデスの罠」とは何のことでどんな危険なのか?

ハーバード大学のグレアム・アリソンは、2012年に『フィナンシャル・タイムズ』紙に米中対立の可能性を探る記事を掲載し、

その後、著書『Doomed to War』(邦訳『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』ダイヤモンド社)の中で

「中国と米国は今、戦争のような対立の過程にある」と指摘した。
 
 古代アテネの将軍トゥキディデスの言葉を借りた「トゥキディデスの罠」は、大国が新興国に脅かされると、両国の間で戦争が勃発する可能性が高いということだ。

 ここ数年の米・中関係の推移を見ると、アリソンの仮説通りに、中共によって歴史が一歩一歩トゥキディデスの罠の方へ押されていることがわかる。

米・中が冷戦状態に入ったことで、この言葉は冷戦下の戦争の危険を指す言葉として定着した。

 冷戦は中国共産党が始めたものだが、トランプ大統領はタイムリーに対応した。

バイデン政権はトーンを下げて、現在の米・中関係を「China challenge」という言葉で表現しているが、実際には、アメリカは今、平和的な挑戦や競争だけでなく、中国共産党の全方位的な脅威、特に軍事面での脅威に直面しているのだ。

 中共は、軍事、経済、スパイ活動、政治的浸透という4つの主要なレベルで、長年にわたり米国の国家安全保障に大きな脅威を与えてきた。

米国にとって、このような脅威は米・ソ冷戦終結後には見られなかったものだ。

中共は、うっかり冷戦に火をつけたのではなく、世界がどう思おうと、自分たちは勝者になれると考えて、計画的、組織的に火をつけたのである。

 米軍の軍事力と経済力は、今は中共の脅威に対応する十分な力を持っており、中共がこのまま傲慢であり続けるかどうかは、すべてバイデン政府がいかに中国の脅威に対応するかにかかっている。

これは米国の未来に関わるし、東南アジアの国家の未来にも関わり、世界の未来にもかかわることだ。(終わり)

程晓农:拜登对华政策的两面性
2021年03月11日


腐敗は直接、国民党政権敗亡の原因になったわけではない

2021-07-27 16:51:32 | 日記

読書メモー国民党の敗北は腐敗が原因ではなかった 

何清漣

2014年11月22日

全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

http://twishort.com/E7Xgc

ヒットするとは思われていなかった映画「北平(*北京)無戦事」(*「北京無血開城」。

北京の平和解放に尽力した国民党に潜入した中共党員の話らしい)が大ヒットしたのはまず、みんなが習近平の言った「自分が飯を食う鍋を壊す輩」論の元のセリフを劇中に発見したのと、蒋経国が陥った「泥沼の反腐敗との戦い」の中に現実の投影をみたからでしょう。

多くの人々が「胸がスッとした」と感想書いてますね。

しかし依然として気になる問題があります。

それは「中共の腐敗は今や遥かに国民党を超えているのに、いまだにしっかりしているのか?」です。

《腐敗は直接、国民党政権敗亡の原因になったわけではない》

私は以前にに書いた「”危機の共振”はまだ来ないのか?」

http://xinqimeng.over-blog.com/article-109981500.html  2012/914)の中で、腐敗は政権を衰弱させるが、それは長い長い時を必要とする過程であって、政権崩壊の十分条件ではないと書きました。

歴史的経験からみれば中国の歴代王朝の衰亡は往々にして大危機が重なったからでした。

例えば統治集団の内部危機、経済危機(最終的には財政危機となって現れる)、そして外敵の侵入です。

「北平無戦事」はまさに国民党政府が直面した4大危機の嵐の様子をよく描いています。

作者は共産党のスパイで国民党側の経済学者だった冀朝鼎が宋子文に故意に間違った貨幣政策を献策したことは省いていますが、たぶん現政権に気を使ったのかもしれません。

私がここでいう「腐敗は政権崩壊の決定的要素ではない」ということの意味は、中国人にとっては、これまでに植え付けられた「中国人の常識」とは違うからなかなか理解されないでしょうこの「中国人の常識」というのは実は共産党が学校教育を通じて小学校から大学まで、またメディアをつかって人々の『常識』になるように脳みそに注ぎ込まれてきたものなのです。

ひとつには共産党が反腐敗に使ってきた「腐敗は亡党亡国」という話や、蒋経国が上海の腐敗の大物退治に失敗した事件を格好の例とする「蒋介石の国民党政府が大陸で失敗した主要な理由は軍事・政治面での腐敗が原因」という話です。

しかし国民党時代の腐敗と現在の共産党の腐敗を比べてみたらすぐわかります。

20世紀の90年代中後期すでに中共の腐敗は遥かに国民党より深刻でした。

国民党の腐敗の最高点は抗日戦争勝利後にそれまでの大物金持ちから接収して「兄弟みんな大成功」したのがひとつ。

もうひとつは国共内戦の戦時物資の分配でした。

平時の腐敗は税金の取り立てや司法の分野でのもの。

土地が私有だったので国民政府の時期には現在のように政府が大量の土地を強制収容して住民を追い払うとかはありませんでした。

しかし中共は違います。

国家があらゆる資源を独占し、土地も国有(農村集団所有)で何から何まで資源、公共プロセス、政府投資、銀行資金の監督、司法、教育、医療など一切を手中に収めてしまっています。

高官の家族の腐敗強欲について国民党の時期のことを共産党の陳白達が「中国の四大家族」という本を書き著し、宣伝効果は極めて強く中国人はみんなそれを信じました。

しかし、いま中共の政治利益集団が民衆公共から奪った財物はたとえ40家族であってもかなわないほどで、「オフショア金融会社の秘密」やNYタイムズ、ブルムバーグの一連の調査報道の中身は陳の「中国の四大家族」の中身よりはるかに信用できます。

(*参考;「中国のダーティマネーはどこへ?」 http://urx.nu/eqiz

こうした事実から、私は国民党はなぜ負けて台湾に追い払われたのか、ということをあらためて考えさせられました。

幸いも、一部の学者がこのことに対して大変熱心に研究しています。

《国民党と共産党の比較;弱い専制と強固な専制》

北京大学の歴史系教授の王奇文は数年前に「弱い独裁性政党の歴史的命運」と題する一文をものし、政党の社会的基礎、組織構造と組織管理方法を深く検討しました。

以下はその概要を書きだしてみました。

《国民党は自らの社会的基礎を持たなかった》

1927年以後、国民党が全国的政権を掌握しソビエトロシアを模倣して一党専制を実行しました。

しかし国民党には実際は専制の社会的条件が備わっていませんでした。

政権を握った当時(1928年)国民党の普通党員は27万余人、それが1937年になってやっと52万余人でした。

1929年、南京政府が制圧していたのは国土の8%と人口の2割にしか過ぎませんでした。

抗日戦争前夜ではやっと国土の25%と人口の66%でしたが、その管制力は非常に弱いものでした。

「党の力不足のために南京政府は都市の上層部に限定的な接触しかできなかったし、県以下の農村の基本社会は自治状態のままだった」と。

これが共産党が辺境地区で生存できた原因です。

また、「大量に北洋旧官僚をその各級のシステムに組み入れたため、北洋官僚界の旧習が新政権でもずっと続いてきた」。

これにたいして「中共が全国を掌握したときには600万人以上の党員を擁し、そのうちの331万人が専従党員(1952年).

1958年には党員は1300万人以上で、専従が792万人、2013年までに中共の党員は8668.6万人で18歳以上人口の8%でこれが中共の広範な社会的基礎となっています。

《国民党政府の軍隊に対するコントロール力は中共より弱かった》

国民党政権を支える力は党員と党機関ではなく軍人と武力でした。

党と政府と軍の三者の中で党の力はもっとも脆弱でした。

抗日戦争時も戦後の「共産党掃滅」時期も真っ先に崩れたのは往々にして党で、次に政府、最後が軍隊でした。

ある地方に進駐するのも一番先が軍隊で、次が政府、最後にやっと党幹部でした。

共産党はこれに対して党の力量は往々にして軍政の前衛であり、

ある地区を占拠するとまず真っ先に党の組織がやってきて、そのあとで軍・政の力がやってきました。

またある地区から撤退するにも軍・政が引いてのちにも党の組織は依然として踏みとどまって戦闘を継続したのでした。

ですから国民党政権時には「国民党は完全に軍の従属物」で派閥が乱立し地方軍閥は一地方の軍事、政治、経済を独占し、国民党政府中央とはますます離れた存在になりました。

共産党はその点、在野であろうと権力を掌握していようと、すべて党が政治的な革新的役割を果たしており、党の軍に対する絶対的な指導、つまり「党が銃口を指揮する」原則を堅持していました。

1927年に毛沢東が「三湾改変」で軍隊の中に必ず共産党小組を作るという方法で軍権をしっかり党の手中に収めたのでした。

《国民党の対社会的浸透力ははるかに中共に劣った》

「国民党は執政以後も既存の社会機構と接触しなかった。国民党は政治的に合格した党員を選抜して各級の政治と社会機構の中に派遣して新しい立脚点をつくることをしなかった」

 「また党員を陶冶して社会の模範となるようにして社会の様々な模範とし民衆の信用と擁護を勝ち得るような努力もせず、資質をしっかり分別もしないで旧社会の勢力から党員をかき集め国民党に加入させた」

「そうした連中は国民党のバッチをつけてはいても、要するにただこれまでの既得権を保つだけが目的だった」。

これに対して中共の組織は極めて厳密だった。1949年中共政権成立後は中共は農村と都市の中に浸透し最後には農村では人民公社制度を通じて、都市では道路事務処と居住委員会制度を通じてそうした基礎組織の中に党の支部を建設し、全社会の隅から隅までコントロールした。

十数年前からは中共は私企業の中にも 党支部を建設し、企業に対してもコントロールできるようになった」。

中共はかくていかなる僻地の隅々でも目が行き届き、かっての毛沢東時代の井崗山や陕西にいたころのように各地に革命根拠地をもとめなければならないなどということは起こり得ないのです。

《国民党は党脱退にも放任政策をとった》

王奇文はさらに

「国民党の政府部門と国有経済部門を担当した公職者が必ずしも国民党員ではなかったし、党をやめても懲罰を課す制度はなかったと言及しています。

「1947年9月、国民党6節4中全会が南京で開催され、席上、蒋介石は3青年団を国民党に合併し、国民党の全党員、団員は再登録する決議をして、その腹積りでは合併後、総党員は1000万人を超すとおもっていた。

しかし1948年11月、党員、団員で再登録したものはわずかに132万人だった。

つまり、この合併の過程で9割が国民党を脱党したのだった」

「この時同時に国民党中央は1947年から県級の党務経費支払いをやめてしまった」


「県以下級の幹部たちは自分で生きていけということになり、こうした状況のもとで各県の党には一人か二人が残るだけとなり、また全く誰「この情景は国民党が軍事的な大潰走の前にすでに崩壊していたという事実を表している」。

中共党員は除籍されたり脱退を勧告された者以外、自ら脱党した者は「反逆行為」とみなされ攻撃され、時には肉体的な抹殺まで含まれていました。

中共政権発足後、歴史的汚点としての事件がたくさんあり、

何度も政治運動の粛清の対象になったのですが、

文革時期には1936年、北方の責任者だった劉少奇が中共総書記の張聞天の許可を得て幹部の力を温存するため61人の国民党に逮捕された幹部が自首して保釈手続きをとった”偽装転向”ですらも、「61人の反逆者集団事件」とされ、6000人以上が巻き添えになったのでした。

現段階で中共に面従腹背の人々は少なくありませんが利益関係のしがらみによって中共党員は「自分から党と縁を切る」ことはできず、自分から党を辞める人は大変すくないのです。

以上の論述は中共政権というこの強力な専制政権の組織機構、方式、結束力などから その攻撃能力は国民党の弱い専制政権の比ではないことを明らかにしています。

現在、「組織化なし、中心化なし」というネット革命で中共政権と戦う人々にとって、この一文で少しばかり歴史的経験を提供いたします。(続く)

続編は、国民党と共産党の異なった社会コントロールのやり方について比較してみます。

節約御免。
原文は; 读史札记(1)-国民党之败并非缘于腐败 http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-history-notes-20141121/2530061.html
何清漣氏のこれまでの論考、日本語訳は;http://yangl3.sg-host.com/japanese/


日韓関係の歴史戦に関する考察(7)墓まで暴かれた親日派李完用

2021-07-26 18:43:49 | 日記
 

 前回見た通り、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が2004年4月に制定した「日帝強占下親日反民族行為真相糾明に関する特別法」いわゆる「親日反民族法」などで、反民族的行為を行ったとして韓国で売国奴扱いされているのは、一体どんな人々であったのでしょうか。

金完燮(キム・ワンソプ)先生の「親日派のための弁明**」(日本語版:荒木和博・荒木信子 訳、草思社、2002年)から、その一例として李完用という人を取り上げてみたいと思います。(*裕鴻註記)

 李完用(イ・ワンヨン)は、1858(安政5)年に没落した在野の学者の息子として生まれ、聡明さから村の神童と言われて、10歳で漢陽(ソウル)の名家李鎬俊(イ・ホジュン)の養子となり、1882(明治15)年に特別科挙試験に合格、李氏朝鮮の官吏となります。

そして1886 (明治19)年に高宗の肝いりで設立された新式の官立学校である育英公院に入学して、英語と西洋的な学問としての歴史・地理などを、アメリカ人教師から英語による講義で学び、英語も話せるようになりました。

   1887(明治20)~1890(明治23)年の3年間は、外交官として渡米しアメリカ公使館で勤務します。

帰国後、成均館(*大学に相当)、刑曹(*法務省に相当)、吏曹(*人事院に相当)、工曹(*経済産業省に相当)の参判(*事務次官に相当)を経て、1895(明治28)年には学部大臣(*文部大臣に相当)になりました。

   翌1896(明治29)年の「露館播遷」(ろかんはせん) で高宗の脱出移動を助け、外部大臣(*外務大臣に相当)兼農商工部大臣になります。

その後ロシアの利権拡大に反対し、開化派の立憲民主制を目指す「独立協会」に参画したため、一時左遷されます。

   しかし日露戦争後の朝鮮統監となった伊藤博文公に信任されて、1905(明治38)年に学部大臣に返り咲き、日韓保護条約の締結を支持し、議政(*総理)大臣代理兼外部(*外務)大臣代理、1907(明治40)年には議政府参政(*副総理に相当)に就任、更にこれを内閣制に改めた際に内閣総理大臣となりました。

 その後、1907(明治40)年に「ハーグ密使事件(*オランダのハーグでの第二回万国平和会議に韓国の独立を訴える密使を高宗が送った事件)」が起った際に、日本からの強烈な抗議を受けて、高宗から純宗への譲位を勧めたため、李完用総理は激昂した群衆により自宅を焼き討ちされ、自身も刺客*に全身をメッタ刺しにされますが、辛うじて一命を取り止めました。

そしていよいよ1910(明治43)年8月に、李完用総理は大韓帝国政府全権委員として、韓日併合条約を締結しました。

 ここで金完燮著「親日派のための弁明**」の「李完用は売国奴だったのか」の章から、少し拾って読んでみましょう。(尚文中の漢数字/記号は適宜修正)

・・・李完用はたいへんな達筆で東洋一の名筆として名を馳せた。

1927(昭和2)年、69歳のとき、李在明(*刺客)から受けた傷がもとで死去した。(*中略) 李完用が亡くなったとき、当時の朝鮮総督齊藤實(*元海相、予備役海軍大将。

武断統治から文化統治に移行させた総督)は「李完用侯爵は東洋一流の政治家として遜色がなく、その人格は多くの人びとから敬慕されており、その死は国家にとって大きな損失である」といって哀悼の意を表し、彼の葬儀には高宗の国葬いらい最大の参列者が集まった。

 李完用は韓国の教科書では、日本の朝鮮併合に協力した親日派の象徴、国を売りとばしたこの世にまたとない逆賊と書かれている人物だ。

韓国ではその名前の前に必ず「売国奴」という形容をつけて呼ぶ。

息子の嫁をわがものにし息子亡きあとは連れ去って一緒に暮らしたとか、高宗を刃物で脅して退位させたとか、根も葉もない中傷が国史学者によって堂々と流布されている。

彼の墓は儒教で最大の侮辱とされる剖棺斬屍(死後に墓を暴き、ふたたび殺すこと)が加えられた。

しかし李完用の一生を丹念に点検してみれば、彼がこれほどの侮辱と非難を受けるほどの人物なのかとの疑問が生まれるのだ。

 彼は親日派と思われているが、終生日本語をひと言も話さず、日本人と話すときは英語を使って民族のプライドを守った。

名筆で知られ、重要な行事があるたびに天皇はじきじきに彼の揮毫を求め答礼を送ったという。

(尹(ユン)ドッカン『李完用評伝』)。

その高邁な学識と人柄とで朝鮮と日本の政治家のみならず一般国民からも尊敬を受け、大きな影響力をもっていた。

彼が日本の統治に協力したのは、無能な朝鮮王室が最後まで拒否していた文明開化という課題を、日本の力を借りてなしとげるためであり、国を売りとばしたという非難を受けるにはあたいしないだろう。(*中略)

 当時は俄館播遷(*露館播遷)の時期(*明治27年の日清戦争と三国干渉のあとの親露的時代)にあたる。

独立協会は高宗還宮運動をくりひろげていたが、ロシアに媚びる大臣たちの反対で目的を達せられなかった。

その結果、李完用を中心とする独立協会派は守勢に追いこまれ、まもなく内閣が改造され文部大臣と外部大臣は李完用から親露派に交代するだろうとの説がしきりにとりざたされていた。

李完用が信念と勇気を兼ねそなえた愛国者であることが、徐載弼(*ソ・ジェピル)が『独立新聞』で「大韓有数の宰相」と題して書いた一文をみれば容易にわかる。

 「学のある政治家は何人もいないが、ときに心正しく自分の命以上に国を思う人がいることをお知らせしよう。何カ月か前に李完用氏が外部大臣であったときに、某国の外交官が大韓政府にたいして、ある権利をわが国に与えよといった。

大臣のなかには、その利権を外国人にやろうという意見もあったが、ひとり李完用氏は、大韓人民のために、外国人にそれをやることはできないと正々堂々と述べた。

そのためくだんの外国公使は李完用氏を嫌い不都合なことも多かったが、李完用氏は死をも恐れず、国のために正しいことをなすべく、外国公使の叱責や、さる大臣の怒りを買いながらもみずからの意見を曲げなかった。

ことは李氏の思いどおりにならなかったが、彼は君主と人民にたいしてその責任を全うした。それゆえ私たちは李氏を大韓有数の名宰相であると考える。(『独立新聞』1897(*明治30)年11月11日付) 」

 1897年は、父親の大院君が怖くていったんはロシア公使館に逃げこんだ高宗がふたたび景福宮へもどった年だ。

三国干渉に屈した日本が朝鮮で力を失い、かわりにロシア公使ウェーベルが朝鮮の政治を思うままにしていた時期でもある。

右の引用に出てくる外国公使とはまさにロシア公使ウェーベルをさしており、当時朝鮮の官吏がウェーベルの要請を拒むことはじっさい命がけであった。

当時は唯一ロシアだけが朝鮮征服の野心を抱いていた。

他の帝国主義列強は朝鮮にたいする領土的野心はなかったし、たんにさまざまな利権をせしめるために活発に動いたにすぎない。

 当時、列強が朝鮮で得ようとした利権は鉱山採掘権、森林伐採権、鉄道敷設権と、大きくわけて三種類であった。

高宗はこうした利権を列強に譲渡し莫大な賄賂を受けとった。

だが、たとえ君主であっても、担当大臣の決裁なしには利権を譲り渡すことはできない。

学部大臣であり外部大臣だった李完用は、鴨緑江および豆満江流域と鬱陵島にある森林を二○年間伐採する権利をロシアに売り払う旨の条約に署名することを拒否した。

最終的には李完用は思いをとげることができず、大韓帝国最大の利権である伐採事業はロシアの手に渡ったのだが、帝国主義列強の不当な圧力に命がけで抵抗したことは、李完用の剛直な人となりがわかる重要な事例である。

 俄館播遷(*ロシア公使館内滞在)と高宗の還宮(*本来の朝鮮王宮に戻ること)ののち、一貫してロシアに対抗し国益をまもった李完用は、1897(*明治30)年末、親露派により失脚し、平安南道の観察使(道ごとにおかれた(*地方)長官)に左遷された。

翌1898(*明治31)年、李完用は高宗の命を受けて首都ソウル(*漢城)にもどったものの中央政界には復帰できず、全羅北道観察使としてふたたびソウルを離れなければならなかった。この時期の『独立新聞』は李完用についてつぎのように書いている。

 「学部大臣李完用氏は、ひたすら愛国愛民の心をもって国を救い国民を救い、国の利権を外国に奪われないようにするべく努めたが、敵をつくってしまい、結局は終始敬愛していた大君主陛下(王をさす)を離れて、平安南道へ観察使として赴くことになった。

観察使の職務もまた重要な職務であり、王と民を愛して仕事をすることにおいて、中央政府ほどではないが責任は重大である。朝鮮を愛し朝鮮大君主陛下に忠誠心ある人びとは、みなこの大臣が政府から出ていくことを残念に思った。(『独立新聞』1897(*明治30)年9月1日付)」・・・(**前掲書117~121頁より抜粋)

 李完用は開化派の独立協会と自主独立運動を主導していましたが、熾烈な政治闘争の結果は親露派と守旧派が勝利し、上述の通り左遷されます。

その後高宗からの復帰要請も辞退して引退していましが、1905(明治38)年の日露戦争の結果、親露派が後退すると、ふたたび朝鮮の改革を目指し、中央政界に復帰します。

その頃、改革を阻もうとする守旧派に対抗して、東学党の生き残りと独立協会が手を組み、改革勢力「一進会」が結成され、日本と対等の合併(日韓合邦)をして、速やかに近代化を進めようとしました。金完燮先生の記述です

・・・李完用はこうした新たな情勢の変化を受けて、既存の自主独立路線をあきらめ、日本との合併路線を推進することになる。

李完用はその後、乙巳保護条約(*第二次日韓協約)、高宗の譲位、韓日併合において、もっとも重要な役割を果たしたことから、守旧派が狙う最大のテロ対象となった。

これは、当時の朝鮮政界にあって、李完用が高宗と日本および一進会の三大勢力から信任を受ける唯一の人物であったことを考えれば当然のことであろう。

中心的な役割を演じるには、李完用の高邁な人柄と政治的力量なしには不可能であり、彼は快くみずからの任務を受け入れて行動に移した。

 朝鮮半島の統治者を、時代遅れの李氏王朝から日本へ交代させる歴史的な作業を引き受けることは、みずから悪役を自認することにほかならなかった。

その過程で、儒教の教えにしたがい王朝を維持し伝統慣習を守ることが善と信じる無知蒙昧な群衆に殺されるかもしれないことを、李完用は十分に知っていた。

しかし目の前にひろがる新たな国際情勢に鑑みれば、日本と合併することだけが唯一の愛国の道だった。

1905(*明治38)年、日本の統監統治がはじまると、伊藤博文と李完用によって、この地でようやく文明開化の事業がすすめられることになった。

(*朝鮮の)開国いらい、開化党の先駆者たちが念願していた朝鮮の維新が、日本と統合されたのちに初めて達成できたのである。

 1919(*大正8)年、三・一独立運動では李完用がまっさきに民族代表として推薦されたが、運動の成功のためには自分の「悪名」が邪魔になるはずだといって固辞した。

三カ月間つづいてもなお運動の勢いが衰えず、日本の正規軍の投入が目前に迫ると、李完用は新聞をとおし三回にわたって独立運動を中止するよう懇々と訴えた。

李完用は三回目の呼びかけで、朝鮮民衆に向けてつぎのように説いた。

 「私がもうひと言いいたいのは、独立説が空しいものであることを私たちがしっかりと悟り、朝鮮民族の将来の幸福を祈ることにある。

現在のように国際競争が熾烈な時代に、この3000里(*朝鮮全土が南北に1200キロメートルであることから。

朝鮮の1里は日本の1里の10分の1)にすぎない領土と、あらゆるものが不足している1100余万の人口をもつ私たちが独立を唱えることがいかに空しいことか。

併合からこの10年間、総督政治の実績をみれば、人民が享受した福祉が多大なものであることは内外が公認するところだ。

地方自治、参政権、集会と言論については、朝鮮人の知識の程度に応じて、正当な方法で要求するなら同情を受けることができる。いま私たちに迫られているのは独立ではなく実力を養うことだ。」

 李完用は当時の世界情勢からみて、朝鮮が自主独立国になるよりは、日本の統治を受けながら実益を追求するほうが正しい道であると判断した。

一部でけなす人もいたが、朝鮮人に絶大な影響力をもち、心からの尊敬を受けていた李完用の呼びかけによって、六月初め三・一運動は軍隊(*大規模な正規軍)による鎮圧なしに平和裡に終結した。

こうした李完用の思想はその後、李光洙、崔南善ら若い知識人に受けつがれ、民族改造論と実力養成論に発展してゆく。

 李完用は新しく赴任した齊藤實総督を説得し、日本人による朝鮮人蔑視と差別をなくし、また各道ごとに朝鮮人からなる議会をつくって朝鮮人の参政権を保障させた。

これを機に朝鮮では「文化政治(*文化統治)」(朝鮮の文化を尊重する政策をとること)時代の幕が開き、日本とほぼ同時期に文芸復興がはじまって、数多くの詩人、作家、芸術家が生まれた。・・・(**前掲書123~126頁)

 この金完燮(キム・ワンソプ)先生の記述を読むと、李完用は冷静な「リアリスト」としての知識人であり、政治家であったことがよくわかります。

混乱と停滞による朝鮮の衰退よりも現実主義に基づき、日本の力を用いて朝鮮の近代化と改革を速やかに達成し、その中で国として民族としての実力を蓄え、然るべきときには再独立を果たそうとしていたものと思われます。

本シリーズで見てきた通り、儒教文化の守旧勢力が極めて強かった李氏朝鮮社会のままでは、こうした近代化は進まないことを見通した上での苦渋の現実的方法を採ったのだと思います。

 本当は樽井藤吉先生の「大東合邦論」に見られる通り、日本右翼の源流でもある「大アジア主義」に基づく、日韓対等の合邦となればよかったのでしょうが、当時の現実的な国力・軍事力などを勘案すれば、「韓日併合」を受け入れた上で、将来の自主独立を目指すということの方が、実際の一般民衆の負担や苦しみははるかに少なくして、国の近代化を果たせると思ったのだと思います。

何しろ・白丁という一種の奴隷社会でもあった李氏朝鮮王朝の時代が直前まで続いていたのですから。

 李完用に限らず、本当に優秀で全体や先が見える人は、必ずしも同時点の大多数の民衆に理解されないことが多いのです。

当時の日本の大衆も同じで、日露戦争で辛くも勝利した実情を知らなかったこともあり、「日比谷焼き討ち事件」などのポーツマス条約による「講和反対運動」が起こったくらいです。

民主主義の困難な性格は、必ずしも時の大衆の多数が絶対に正しいとも言えない点です。

ヒットラーのナチスドイツや、ムッソリーニのファシスト党なども、国民大衆の熱狂に後押しされて登場した歴史的事実を、私たちは忘れてはならないのです。(エーリヒ・フロム著「自由からの逃走」1965年東京創元社刊等)

   国や社会を本当に導く人は、時に大衆の熱狂に反する決断を下し、勇気をもって実行することもやらねばならない時があります。

この時期の李完用は、そういう状況に置かれていたのだと私は思います。

そしてそういう困難な時に、信念に基づく優れた政治家を支えるべきであるのは、その時代の優れた知識人、言論人やジャーナリストの人々であるはずです。

   単に「権力の監視者」として常に為政者を引き摺り下ろそうとすることが、彼らの社会的使命では決してなく、彼ら自身も自分の理想と現実を見据えた上での、国や社会の採るべき方向性のヴィジョンをしっかりと描き、その方向に沿う為政者は支える言論も必要なのです。

それは決して御用学者というような常に為政者を支持するというような安易な道を意味するのではなく、「是は是、非は非」として、その為政者の行う政治の内容に照らして、「間違っている場合は間違っていると言い、正しい場合には正しいと言う」ことが肝心なのです。

   そこには深く広い見識や、その人自身が胸に抱く理想や価値観に基づいた独自の判断がなければなりません。

わが国を問わず、古今東西、知識人、言論人やジャーナリスト、そして野党の政治家も同様です。

とにかく何でもかんでも為政者のやることなすことに全て「反対する」というのは、逆に「自分自身の理想も哲学も何もない」ことの証しなのです。

とにかく何でも反対していればいいのであれば、知性も教養も見識も理想も哲学も一切全く不要です。簡単なのです。

 李完用やその他の「親日派」を、一切合切引っくるめて「売国奴」「反民族の裏切り者」として、

墓まで暴き遺体を二度殺して冒涜したり、子々孫々の私有財産まで国が没収したりするような、

まるで共産主義革命の後の憎悪に満ちたボリシェヴィキの所業のようなことを、現代の自由民主主義圏を標榜する国家が、国会で法律を制定して行うなどということが、果たして国際社会に広く認められるような内容だとは、とても信じられません。

しかし現代の韓国では実際にこうしたことが行われているのです。

 しかしついに良識ある韓国の知識人も立ち上がりました。

現在、韓国でも日本でもベストセラーになっている「反日種族主義 日韓危機の根源」という本がその兆しです。

韓国では未来社が、日本語版は文藝春秋が、それぞれ2019年に出版したもので、李栄薫(イ・ヨンフン;元ソウル大学教授、ソウル大学博士号)、金洛年(キム・ナクニョン;東国大学教授、東京大学博士号)、金容三(キム・ヨンサム;慶南大学北韓大学院修了、ジャーナリスト)、朱益鐘(チュ・イクチョン;元大韓民国歴史博物館学芸研究室長、李承晩学堂教員、ソウル大学博士号、ハーバード大学訪問学者)、鄭安基(チョン・アンギ;元高麗大学研究教授、東亜大学東アジア研究院、京都大学博士号)、李宇衍(イ・ウヨン;元九州大学客員教授、ハーバード大学訪問研究員など、成均館大学博士号)という六名の学者・知識人が書いています。現在も公刊されていて容易に入手できる本ですので、皆さんもぜひこの本を購入してご一読下さい。同書の内容については次回少しご紹介したいと思います。(今回はここまで)


東京五輪にかこつけて文在寅大統領が日本から引き出したかった"ある内容"

2021-07-26 17:54:25 | 日記

東京五輪にかこつけて文在寅大統領が日本から引き出したかった"ある内容"

配信

法政大学大学院 教授 真壁 昭夫

■文大統領は日本に来て何をするつもりだった?   

7月19日、韓国大統領府は、東京五輪開会式に合わせた文在寅(ムン・ジェイン)大統領の訪日を見送ると発表した。

その理由は、訪問しても“成果の実現”が困難になったからだと報じられている。

今回は、文大統領が目指した訪日の意味は何か、経済の側面から考察したい。

文氏が目指した成果はいくつか考えられる。

まず、韓国の経済界が対日関係の修復を重視していることは大きいだろう。

それに加えて、文氏が重視する北朝鮮との宥和・統一に向けて資金面での協力を取り付けることが東京五輪に合わせた来日の遠因との見方もある。

そのほかにも想定外の展開に備えてドル資金の確保を目指すなどさまざまなことが思い当たる。

 今後、わが国は1965年の日韓請求権協定など国家間の最終的かつ不可逆的な合意に基づき、毅然と、是々非々の姿勢で韓国に対応すればよい。

そのために政府は、わが国の企業がより積極的にモノづくりの力を磨き、米中などから必要とされる状況を目指すべきだ。

■強硬だった対日姿勢に「変化」が  政権発足来、文大統領は安全保障面を米国に依存し、その一方で経済面では中国との関係を重視した。

また、外交政策面では北朝鮮との宥和・統一を目指し、わが国には厳しい姿勢をとった。

 ただし、徐々にではあるが、文大統領の対日姿勢は幾分か変化しているように見える。

1月に元徴用工などへの損害賠償問題に関して文氏が「資産が現金化されることは、日韓双方にとって好ましくない」と述べたことはそう考える要因の一つだ。

その上で韓国政府はわが国に首脳会談の実施を求めたと報じられている。

 その背景には、韓国経済の構造的な特徴が影響しているだろう。

結論を先に述べれば、韓国の経済が安定して推移するために、わが国との通商、および金融面での関係は抜きにできない。

それは一朝一夕に変わらない。

 まず、通商面に関して、韓国経済の牽引役に位置付けられる半導体産業は、わが国企業との取引を強化しようとしてきた。

2019年7月にわが国の経済産業省がフッ化水素、フッ化ポリイミド、レジストの3品目の対韓輸出管理を厳格化すると表明した後、サムスン電子などの韓国企業トップは訪日して半導体部材の在庫確保などに動いた。

■韓国の半導体産業のために対日関係を修復したい  

その後、高純度の半導体部材の対韓輸出は減少傾向となってはいない。

また、今年6月に韓国の経済団体である“全国経済人連合会”(わが国の経団連に相当する組織)は、相星孝一駐韓大使を招いた懇談会を開催し、わが国に民間レベルでの交流を促進するよう要請を行った。

 今後、韓国経済にとっての対日通商関係の重要性はさらに増すだろう。

サムスン電子とSKハイニックスはファウンドリー事業の強化に取り組んでいる。

微細化を推進し世界のファウンドリー市場のシェアを獲得している台湾積体電路製造(TSMC)は、後工程での製造技術の強化に向けてわが国企業や研究機関との連携を進めている。

 その状況下、韓国の半導体産業の成長のために対日関係を修復して、より円滑な貿易や直接投資の実施を目指すことは重要だ。

そのために、文氏はわが国との首脳会談を目指したとみられる。

■ドル資金の流出リスクは軽視できない

 次に韓国経済全体での資金繰りを考えた場合にも、文政権にとってわが国との関係強化を目指すことは重要だ。

特に、デルタ株など新型コロナウイルスの感染再拡大が世界経済に与える影響は過小評価すべきでない。

 現時点で韓国の経済は相応の回復力を維持しており、早晩、資金が海外に流出するリスクは低く抑えられている。

しかし、中長期的な展開を考えた場合、潜在的なドル資金の流出リスクは軽視できない。

過去、世界経済の先行き不透明感が高まり始めると、韓国の企業や金融機関がドル資金を調達するコストが上昇し、韓国経済と金融市場の不安定感が高まってきたからだ。

 それは、2020年3月上旬から中旬にかけての韓国経済と金融市場の混乱を振り返るとよく分かる。

当時、世界全体に新型コロナウイルスの感染が拡大した。

その結果、想定以上に感染の拡大が世界経済を減速あるいは後退させるとの懸念が高まり、多くの投資家がリスクの削減を急ぎ、新興国通貨売り・ドル買いのオペレーションが急増した。

■今後、回復ペースは鈍化する恐れ  

その中で、外需依存度が高く、国内では不動産価格の高騰によって家計の債務問題などが深刻化する韓国からは急速にドル資金が海外に流出したのである。

最終的に韓国は米連邦準備理事会(FRB)からのドル資金の融通によってドル不足を克服した。

 当時、アジア通貨の取引に従事していたベテランのファンドマネージャーは、「昨年春の韓国の金融市場における流動性の枯渇は、1997年秋のアジア通貨危機の発生による市場混乱を彷彿とさせるものだった」と話していた。

 少し長めの目線で韓国経済の先行きを考えると、感染再拡大や韓国銀行が示唆し始めた金融引き締めによって、韓国経済の回復ペースは鈍化する可能性がある。

すでに中国経済の回復力に息切れ感が出始めていることも見逃せない。

 今すぐ、昨春のような混乱が起きるとは考えられないが、万が一の展開に備えて韓国の政府内に日韓の通貨スワップ再開を目指す動きが出始めている可能性はある。

それも文氏がわが国との首脳会談を目指した理由の一つだろう。

■日本は是々非々の姿勢で臨むべきだ

 文大統領の訪日が見送られはしたものの、報道されている内容では文氏は対日関係の修復に依然として意欲を持っているようだ。

今後も文氏はわが国との首脳会談などを目指すことによって経済運営や対北朝鮮政策の推進に関する成果を世論に示そうとする可能性がある。

 わが国に求められることは、これまで同様に、韓国に対して是々非々の姿勢で臨むことだ。

歴史問題などに関しては、過去の国家間の合意内容に従った対応を、韓国に、冷静に求める。

 その一方で、わが国は国際社会への責任を果たすために輸出管理を適切に運営しつつ、民間企業の意思決定に基づいた経済取引を推進すればよい。

それは対韓国だけでなく、対中国や、対台湾などとの関係にも当てはまる。

 つまり、わが国に求められることは、現時点で比較優位性を発揮している高純度の半導体部材や半導体の製造装置、産業用ロボットなどの工作機械を生み出すモノづくりの力を磨き、その優位性を引き上げることだ。世界経済のデジタル化は加速している。

法政大学大学院 教授 真壁 昭夫


「反日モンスター」はこうして作られた―狂暴化する韓国人の心の中の怪物“ケムル”

2021-07-25 16:59:10 | 日記

講談社+α新書

「反日モンスター」はこうして作られた―狂暴化する韓国人の心の中の怪物“ケムル”

崔 碩栄【著】《チェ/ソギョン》

講談社(2014/12発売)

 

サイズ 新書判/ページ数 234p/高さ 18cm

商品コード 9784062728829

NDC分類 319.102

Cコード C0230

出版社内容情報

正真正銘の韓国知識人が書いた、韓国が「反日」になる真の理由。

モンスター化した反日感情はそれを作り出した韓国人にすら制御不能に韓国の「反日」が止みません。

政権末期、自身の人気取りのため「独島」に上陸した李明博から、初の女性大統領・朴槿恵に替わっても、「反日」の勢いは衰えるどころか、ますます激しさを増しています。

この間、日韓で起きた殆どすべての問題で韓国は聞く耳を持たないと言うより、理性を失った出鱈目な論理を振りかざして日本を攻撃し続けています。

少し例を挙げるだけでも、

「対馬の仏像窃盗未返却問題」

「アメリカ各州議会で<慰安婦像を設置>する法案ロビー活動」、

「日本海から東海への言い換え提起」、

「W杯ユニフォームに旭日旗デザインと抗議」…。

さらに朴大統領は、就任以来一度も日本の首脳と会わない上に“告げ口外交”を展開し、相手国を辟易させています。

セウォル号の沈没事故が起きた最中でも「反日」は別とばかり、国を挙げて執拗に日本に反省を迫り、政府を非難しつづけました。 

一体、韓国や韓国人はなぜこれほど「反日」に執着するのか、経済や政治で不利益を被っても「反日」から離れられないのか、その本当の理由を解き明かすのが、本書最大の趣旨です。

著者の崔碩栄さんは、

その理由として韓国人自らが、教育やメディアを利用して産み育ててきた反日感情が、

今や「反日モンスター」と呼ぶべきほど肥大化・狂暴化して、

韓国人も制御できなくなるほど猛威を振るっている、と冷静に論じています。

最近の「嫌韓」ブームに乗って書店には韓国を悪し様に書いた本が並んでいます。

しかしそこには一方的に、根拠なく日本の言い分だけを記した客観性の乏しい「民族主義的」な本も多いのです。

また「韓国人が書いた」と謳いながら、実は「在日」韓国人だったり、中には“存在が怪しい”ニセモノもいると言われています。

その点、本書の著者・崔碩栄(チェ・ソギョン)さんは、韓国生まれ韓国育ち、現在もソウル在住、正真正銘の韓国人です。

彼は、韓国内の「反日」の風潮が強まる中、勇気をもってその「行きすぎた反日」がもたらす危険を告発。

それはまた韓国の国益にも反すると、メディアや出版活動で主張。

韓国知識人の支持を得ています。彼には、確固たる正当性があるのです。

 

はじめに

第1章 韓国社会が生み出した「反日モンスター」

第2章 政治編――モンスターには大統領すら怯える

第3章 社会編――モンスターが〈反日無罪〉を可能にする

第4章 マスコミ編――何人もモンスター批判はできない

第5章 芸能・文化編――モンスターの新しい活動領域

第6章 反日モンスターは封印できるか

第7章 モンスターに立ち向かうゲリラたち

あとがき

 

 

崔 碩栄[チェ ソギョン]

著・文・その他

 

内容説明

「反日モンスター」を制御不能にまで大きくしてしまったものは何か?その支配の構造とは!?

正真正銘の韓国人ノンフィクション作家が書く、「行き過ぎた反日」により理性を失った祖国の姿。

 

目次

第1章 韓国社会が生み出した「反日モンスター」

第2章 政治編―モンスターには大統領すら怯える

第3章 社会編―モンスターが“反日無罪”を可能にする

第4章 マスコミ編―何人もモンスター批判はできない

第5章 芸能・文化編―モンスターの新しい活動領域

第6章 反日モンスターは封印できるか

第7章 モンスターに立ち向かうゲリラたち

 

著者等紹介

崔碩栄[チェソギョン]

1972年ソウル生まれ。1999年来日し、関東地方の国立大学大学院で教育学修士号を取得。

大学院修了後は劇団四季、ガンホー・オンライン・エンターテイメントなど日本の企業で、国際・開発業務に従事する。

退職後2009年、帰国し、フリーのノンフィクション・ライターに転身。韓国内の反日と日韓関係をテーマに執筆活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。