今の日本の問題として、この「森友問題」を避けて通るわけにはまいりません。
この問題を考えるときに大切なのは
まだ解明できていない段階なのに、「どちらかが正しいと一方的に主張する人たち」がいる、という事実です。
すでにお気づきでしょうが、この典型が中国やロシアですね。
私は、そういう人の「存在価値」を認めていますし、「私とは異なって」いることを主張する権利があると尊重していますが、信頼しているかと問われるならば、残念ながらまったく信頼していません。
そんなささやかなことなど、話題にするほどではありませんか(笑)。
そんな程度のことは中国共産党に任せておき
- 「誰が、ウソをついているか」
- 「誰が、事実を散りばめながら全体的にでっちあげようとしているのか」
を追究したいものです。ミステリー物語でもそうであるように、それで得をする人が必ずいるものですね。身に覚えがあるかたもいらっしゃるでしょうが、こういう動機が謎を解決するヒントになることがあるのです。
中国では、そのような「誰が得をするのだろう」などという「国家転覆罪」に該当するような詮索は、中国共産党政府によって固く禁じられているためできません(大笑)。
日本では
- 籠池が悪いと与党が言い、籠池を擁護する野党か
- 昭恵が悪いと野党が言い、昭恵を擁護する与党か
などと自分たちの正当性を主張するために、どちらかが「ウソをついている」と断言し、多くの場合「反対側が正しい」と匂わせます。
一般の人たちで、特定の政党を支持している場合には、自分が支持している政党の主張に賛同してしまうのが普通なんでしょうか。
事件や事故については、直後の報道はもちろんのこと、その後を調査することがたまに見られますが、政治家などが言っていることをその後も引き続いて調査し続けるところがあってもよさそうに思います。
後になって完全に否定されそうないいかげんな主張が多すぎるのです。それでも次々と新しい問題が発覚し、それらのウソは忘れ去られてしまうので、この手のウソはあとを絶たないのでしょう。
まるでトランプ大統領のようですね(笑)。
この意味では
資本面で関係が深いところの意見を尊重せざるを得ないことを理解しておき、注意深く読みとることが必要でしょう。
また報道でも
どちらかに偏っている場合が多いように思われます。とくにどこかの政党と関係が深い場合には、公平を装いながら、本音がチラチラと出てしまうようです。
テレビの場合、あくまでも放送法との関係で、公平を装うのが普通ですが、無理をしていると思われることがあります。
私の立場は
多くの場合「誰が見ても明らかでない場合には、どちらの側も支持していない」というものです。難しいのですが、「公平のふり」ではなく、実際にがんばっていきたいと思っております。
籠池泰典について、敢えて言えば
- 事実だけを述べている ←これはどうもアヤシイ
- 事実もあるが、かなりの度合いで思い込みがある
- ウソばかりを述べている ←これもアヤシイ
- 人は、今までの自分の「つたない経験」から、籠池泰典がどんな人物かを直感的にとらえ、また「様々な情報」から全体像を得ており、それは「間違いのない事実である」と信じています。
- しかしその「つたない経験」や「様々な情報」が正確かどうかさえ分らないので、そうかも知れないし、そうでないかも知れません。もしも間違っていたとしても、知らぬ存ぜぬを通せばいいし、何もなかったかのようにふるまえばいいので、気楽なんですね(笑)。
- 最終的には、自分の直感を信じるしかありませんが、職務上「自分には非がない」とする人がほとんどですね。私のように、どこの組織にも属さない人間だからこそ言えることがある、と信じております。
問題は
- 何が事実か
- 何が思い込みか(意図的とまでは言えない)
- 何が意図的な偽りか
を見きわめることだろうと思われます。
きわめて退屈な話になりましたが、籠池泰典の証言でも
- どこが事実で
- どこからが思い込み(場合によっては偽証)なのか
を見きわめることでしょうか。
安倍夫人や籠池夫人や松井一郎大阪府知事などを
大阪府議会や国会が呼ぼうとする動きもあるようです。確かに証人喚問で「記憶にございません」が多すぎる時代がありましたし、宣誓書に署名するときに手が震えていたのを生中継する時代もありましたが、いまでは「ど厚かましく」なったせいかそんなことがなくなり、「刑事訴追を受ける恐れがあるため答えられません」が多いようです。
「堂々と真実を述べる」よう期待するのは、いつの時代でも不可能だからこそ、不可解なことに断定調で「ウソだ」としたがるのでしょうか。
籠池泰典が悪いのか、それとも安倍昭恵が悪いのか、さてさて、皆様はどう思われますか。