2017年06月24日に当ブログで
「ヨーロッパの醜聞22 なぜフランスでテロが多いのか」として述べました。
何も知らないままフランスへやってきた移民・難民のイスラム教徒たち。
昔の植民地支配が終わって、新しくフランスへ渡った人にも、さまざまな人がいたことでしょう。植民地時代にフランスに抵抗した人たち、フランスに味方した人たち、純然たる経済移民の人たちなどなど・・・・・・。
また宗教的に言えば、フランスへやってきて初めて異教徒(イスラム教以外の信者)と出会った人もいたでしょう。
ひょっとしたら、「不自由」なイスラム教徒が「自由」を求めて「不自由」なフランスへやってきたのかも知れません。
- 「自由」のために「不自由」な規則を作り、結果的に「テロ」多発を招いたフランスと、「自由」のために好き勝手にさせ、結果的に「銃乱射」多発を招いたアメリカ。その手法は全く異なりますが、「自由」を尊重しながらも差別構造を変えようとしない点で似た結果(テロ・銃乱射)をもたらしています。
- イスラム教徒なら「フランス人は、自由と言いながら、イスラム教を嫌っていて、イスラム教徒には不自由を強制している」と思い
- キリスト教徒なら「自由なフランスにイスラム教の風習をもちこむな」と規制を続けています。
- それぞれの言い分はある程度分るのですが、この宗教対立は解決していません。
しかし
「自分で考えろ、服従するな」と言うフランス人の多くが「キリスト教徒」であることには、イスラム教徒でもキリスト教徒でもない私でさえ違和感をもちます。
アッラーに「服従する」イスラム教徒に対して、キリストに「服従する」フランス人が「服従するな」と叫ぶ光景に、私は奇妙な矛盾を感じます。
ただし私たち日本人は、韓国人・中国人の矛盾あふれる日常的な言動になれてしまっているため、あまり深刻には考えないのでしょう(笑)。
あまりいい「喩え・譬え・例え」ではないかも知れませんが
忠実な山口組系暴力団員が、忠実な住吉会系暴力団員に対して『忠実な服従を笑う』
という光景を連想させます。人は、相手のことは見えるのに、自分が見えないものなんでしょうか。
フランスでは
公の場での「宗教的行為」を戒めており、国によって呼び方が異なるようですがブルカ・チャドルなどイスラム教徒とすぐに分る衣装が法律で禁じられているようです。
しかし一方では、「クリスマスツリー」などいかにもキリスト教的なものを「宗教的」とは認識できていないようです。
それは、あまりにも広まり過ぎて「ありふれた光景」だからというのですが、それは限られた地域だけで「ありふれた光景」なのであって、別の地域に限定すればイスラム教徒の「アバヤ」などが「ありふれた光景」なんです。
この認識の違いが、フランスでテロが多く発生する原因の1つなのかも知れません。
このへんを解決しないまま
3~4世代もすればイスラム教徒もフランス化するだろうとのんきなことを言っているようでは、次々と新しいイスラム教徒の移民が増えるため、永久にテロ対策とはならないでしょう。
ここに一神教の限界があるのだろう、と私は見ています。
キリスト教もイスラム教徒も、双方が宗教色を薄めるしかないのでしょう。
一方で
非イスラム教徒からみると、穏健なイスラム教徒とイスラム過激派の区別ができないという問題があります。
それを狙った無差別犯罪も多いですね。例えばイスラム過激派の服装をさせた一般市民とか、一般市民に紛れ込んで分らなくなったイスラム過激派などなど。
よって、イスラム教徒がもっともっと積極的にその区別について発言・行動しないと、「イスラム教そのものに過激思想があるのではないか」と見られてしまいそうです。
イスラム教世界の良さをもっと宣伝し決してキリスト教世界に劣らないことを示しませんか。そうでないと、いつまでもイスラム社会からキリスト社会への「トラブルを起こす移民」が絶えないままでしょう。
一神教で問題をかかえている地域
- フランス・・・・・・イスラム教を無意識に規制する。
- アメリカ・・・・・・イスラム教を敵視するトランプ。
- ロシア・・・・・・チェチェン人などイスラム教を意識的に規制する。
- 中国・・・・・・共産主義・儒教という一神教でイスラム教を弾圧。
- 中東諸国・・・・・・元々多様性があったのに一神教に。
多神教で問題をかかえている地域
- インド・・・・・・ヒンドゥー教は多神教でしょうが身分制度が欠点。
- 日本・・・・・・細かい点を除けば、この中で一番問題が少ない。
遠い日本の非一神教徒からすると
どんなに否定しても、フランスでのテロ多発は宗教対立に起因するものと思われます。
一神教同士の「自分のほうが正しい」と主張する宗教対立を真剣に回避しないと、永遠にテロが続きそうな印象です。
その対立回避の方法の1つが
「謝罪すると、日本のようにミジメになる」とされヨーロッパでは忌避(きひ)されてきた「謝罪」と「それを許容する」仕組みではないかと思います。
旧植民地国が謝罪の心を示さないまま、社会構造を変えずに「低賃金の労働力としてイスラム教徒の移民を受け入れてきた」とするならば、永遠にテロは続くと思われます。
念のため私の見方を申し上げるならば
日本はこれ以上謝罪する必要はなさそうで、むしろそれを許容するどころか逆手に取って「一致団結」「挙国一致」「奇妙な国家民族序列」に利用してきた中国・朝鮮半島に問題がありそうです。
ドイツの謝罪をフランスが許容してきたように、中国・韓国にも許容心が必要だと思われます。
「許容してもまた日本人がそれをくつがえすようなことを言う」とするのですが、もともと許容心がないまま「日本はドイツを見習え」とすることが落語のようにおもしろいのです(笑)。
どうやら
- アジアでは為政者が「植民地支配の謝罪」を「許容」し
- ヨーロッパでは為政者が「植民地支配の謝罪」を「実行」する
時代に入っているようです。
これがヨーロッパでテロが多発する要因ではないかと思うのです。
このままだと中国・朝鮮半島を取り囲む「日本・台湾・フィリピン・インドネシア・マレーシア」などが団結するようになるかも知れません。
異論が多いことでしょうが
自分がいつも正しいのではなく、また議論の勝ち負けではなく、あえて異論と堂々と立ち向かう意思のあるかたなら、きっとこの難問に立ち向かえると信じています。
しかし今のところ、こういった考えが「うぬぼれ満載」の中国・朝鮮半島に通じることはなさそうです(笑)。
さてさて、皆様はどう思われますか。