昨日の入学式そして今日の生活指導で配られたプリントにあった、学年主任の先生からの新中1へのメッセージがとても心にひびくものでした。子供たちがどれだけわかったかわかりませんが、私はずっと心に刻んでおきたいと思いました。
学校の通信にのっているメッセージですからひょっとしたら書かれた先生に著作権があるのかもしれませんが、とてもよいメッセージだと思ったのでこのブログを見て下さっているみなさんとシェアしたいと思い、記します。もし、これがルール違反だよ、といことでしたら、どなたかご指摘ください。
「中学生になった皆さんへ 待ちに待った入学式。今日から新しい生活が始まります。中学校の3年間は、心も体も大きく成長する時期です。(今年卒業した先輩の中には30cmも身長が伸びたという人がいました。)理解力や判断力、そして正義感も格段に強くなります。小学校時代には、「みんなが持っているから」と言って買い物をねだり、「これは間違っている」と思っても仲間外れになることが怖くて他者に迎合したり、辛い問題にぶつかるとすぐにお家の人に頼っていたのではないでしょうか。もちろん大人に解決してもらわなければならない問題もありますが、中学校生活では自分で是非(道理に合っているか否か)や美醜(きれいな生き方かどうか)を判断し、自分で行動し、自分で責任をとらなくてはならない事柄が多くなっていきます。お家の人が差し出ることもなくなります。それが大人に近づく証(あかし)です。「自分で判断する」「自分で責任をとる」ということは、実際にはなかなか難しいことだと思います。それは、自分の頭できちんと考え、時として勇気を発揮しなければならないからです。今日の入学式を境に、押さなかった自分と決別し、気概(困難に負けない強い気持ち)をもって様々なことに挑戦し、自分の世界を広げていきましょう。そのためには、たくさんの知識を吸収し、たくさんの人と話をしながら、自分は何者なのか、何が正しいことなのかを自分自身に問いかけていく必要があります。まずは「お家の人の生きてきた歴史」を聞くことから始めたらどうでしょう。きっと夢が見え、学問にも意味を見出し、意気(意気込み)が湧いてくるはずです。」(入学式当日のプリントより)
「『稚心を捨てよう』人は自己防衛しながら生きています。ある学者は「動物の赤ちゃんが丸っこくて可愛いのは、他から愛され守られようとするためだ」と言っています。これは、強い者からの攻撃を避けるための方法ですが、形を変えて「自分をかまって欲しい」「自分はつらい状態にある」という表情や行動に現れる場合もあります。この戦術が通用しないと判断したときには、(と言っても意識して考えているわけではありませんが、)積極的に逃避策に出たり(不平不満をふて腐れた顔で表したり、親や友達に泣きついて自分の可哀想な立場を訴えたり)、あるいは反撃行動(他人を責めたり、他者に意地悪したりする行動)に移ることもあります。でも、それは小学校で終わりです。稚心(ちしん)は捨て去らなければなりません。稚心とは、子供じみた心です。甘え心、怠け心、恐れ心です。皆さんの中には、まだ幼稚な人がいるかもしれません。何も考えずに人にちょっかいを出して喜ぶ人、当番活動をサボって人に迷惑をかける人、些細(ささい)なことで必要以上に落ち込む人・・・。12歳は乗り物でも入場料でも大人として扱われます。当然、頭の中も大人でなければなりません。よく、「奉仕の精神」という言葉を耳にします。互いに献身的に活動ができれば(自分のことよりも他人のことを考えて行動できれば)、住みやすい社会ができ、自分自身もすごしやすくなります。「自分がいることで学校がよくなる」「自分がいることで世の中がよくなる」・・・。子ども時代と決別して、大人としての哲学(この世界で生きていくための自分なりの基本的な考え方)をもって生活しましょう。」(生活指導のしおりより)
学校の通信にのっているメッセージですからひょっとしたら書かれた先生に著作権があるのかもしれませんが、とてもよいメッセージだと思ったのでこのブログを見て下さっているみなさんとシェアしたいと思い、記します。もし、これがルール違反だよ、といことでしたら、どなたかご指摘ください。
「中学生になった皆さんへ 待ちに待った入学式。今日から新しい生活が始まります。中学校の3年間は、心も体も大きく成長する時期です。(今年卒業した先輩の中には30cmも身長が伸びたという人がいました。)理解力や判断力、そして正義感も格段に強くなります。小学校時代には、「みんなが持っているから」と言って買い物をねだり、「これは間違っている」と思っても仲間外れになることが怖くて他者に迎合したり、辛い問題にぶつかるとすぐにお家の人に頼っていたのではないでしょうか。もちろん大人に解決してもらわなければならない問題もありますが、中学校生活では自分で是非(道理に合っているか否か)や美醜(きれいな生き方かどうか)を判断し、自分で行動し、自分で責任をとらなくてはならない事柄が多くなっていきます。お家の人が差し出ることもなくなります。それが大人に近づく証(あかし)です。「自分で判断する」「自分で責任をとる」ということは、実際にはなかなか難しいことだと思います。それは、自分の頭できちんと考え、時として勇気を発揮しなければならないからです。今日の入学式を境に、押さなかった自分と決別し、気概(困難に負けない強い気持ち)をもって様々なことに挑戦し、自分の世界を広げていきましょう。そのためには、たくさんの知識を吸収し、たくさんの人と話をしながら、自分は何者なのか、何が正しいことなのかを自分自身に問いかけていく必要があります。まずは「お家の人の生きてきた歴史」を聞くことから始めたらどうでしょう。きっと夢が見え、学問にも意味を見出し、意気(意気込み)が湧いてくるはずです。」(入学式当日のプリントより)
「『稚心を捨てよう』人は自己防衛しながら生きています。ある学者は「動物の赤ちゃんが丸っこくて可愛いのは、他から愛され守られようとするためだ」と言っています。これは、強い者からの攻撃を避けるための方法ですが、形を変えて「自分をかまって欲しい」「自分はつらい状態にある」という表情や行動に現れる場合もあります。この戦術が通用しないと判断したときには、(と言っても意識して考えているわけではありませんが、)積極的に逃避策に出たり(不平不満をふて腐れた顔で表したり、親や友達に泣きついて自分の可哀想な立場を訴えたり)、あるいは反撃行動(他人を責めたり、他者に意地悪したりする行動)に移ることもあります。でも、それは小学校で終わりです。稚心(ちしん)は捨て去らなければなりません。稚心とは、子供じみた心です。甘え心、怠け心、恐れ心です。皆さんの中には、まだ幼稚な人がいるかもしれません。何も考えずに人にちょっかいを出して喜ぶ人、当番活動をサボって人に迷惑をかける人、些細(ささい)なことで必要以上に落ち込む人・・・。12歳は乗り物でも入場料でも大人として扱われます。当然、頭の中も大人でなければなりません。よく、「奉仕の精神」という言葉を耳にします。互いに献身的に活動ができれば(自分のことよりも他人のことを考えて行動できれば)、住みやすい社会ができ、自分自身もすごしやすくなります。「自分がいることで学校がよくなる」「自分がいることで世の中がよくなる」・・・。子ども時代と決別して、大人としての哲学(この世界で生きていくための自分なりの基本的な考え方)をもって生活しましょう。」(生活指導のしおりより)