朝から249もあった大気汚染指数。午後、子供たちの下校時間の頃には一瞬だけど490くらいまで上がった。どうりで今日は1日まっ白だったわけね、と納得。さすがに今日は外を歩いているとのどが痛くなったわけです。ちょっと前にNHKのニュースで日本が数値が50を超えたらみんなマスクをして歩いているところがうつっていましたが、こちらでは50だと「今日は空気きれいだね~」の世界です。
最近の中国の大気汚染のニュースは日本でもよく報道されていることと思います。時々日本の友達から「空気大丈夫?」とご心配を頂きます。青島は海辺で風が吹くこともあり、皆さんがニュースで見るよりはましですし、毎日のことではないのですが・・・今朝は起きてみたら外がまっ白。暖かくなってくると海があるせいで霧がよくでるので、「今日はあったかいのかなぁ~」と思いつつ大気汚染指数のHPを見てみると・・・なんと朝から249!学校のお便りを見てみると、危険度は上から2番目、「すべての屋外活動禁止」レベルでした。今日は飛行機で出張に行く予定の旦那も、空港まで高速が封鎖されていないか、飛行機は無事飛ぶのかやきもきしながら出て行きました。何せ前回の出張では飛行機が遅れて、結局、出張の主目的の会議には出られなかったそうなので・・・
帰国します。いつだったか書いた一時帰国ではなく、突然の本帰国が決まってしまいました。台湾旅行から帰ってきて、1か月後は日本に一時国、お土産リストやらお買い物リストを作らなくちゃ、と思っていた矢先のことでした。正直ショックでした。まず長男のことが頭に浮かびました。卒業式を間近に控え、日本人学校の中学部への進学を期待をもって楽しみにしている彼に、4年間ずっといやな目にあわされた友達が待つ地元の中学に行かなくてはいけないことを告げなくてはいけなくなるのかと思うと、胸がつぶれる思いでした。不安どころが中学への期待と楽しみが一気に失せるんじゃないかと思うといてもたってもいられませんでした。でも事実は変えられません。その晩は眠れませんでした。続いて2日もほとんど眠れませんでした。たった2年。あっという間の2年。私もこれからまだまだ見たいし知りたいことがいっぱいあったのに・・・
ただ、どうせ任期満了が望めない駐在だったのなら、中学の途中で高校受験に不利な形で変えることになるよりはいいタイミングだったのだとも思えます。というよりそう思わないとやっていられない。つらくてくやしくて、しばらくは帰国のことを口に出そうとしたら泣き出してしまいそうでしたが、ようやく少し冷静にとらえられるようになりました。とにかく今は自分をまっすぐ立たせなくては。私が子供たちの前で泣いてはいけない。
ただ、どうせ任期満了が望めない駐在だったのなら、中学の途中で高校受験に不利な形で変えることになるよりはいいタイミングだったのだとも思えます。というよりそう思わないとやっていられない。つらくてくやしくて、しばらくは帰国のことを口に出そうとしたら泣き出してしまいそうでしたが、ようやく少し冷静にとらえられるようになりました。とにかく今は自分をまっすぐ立たせなくては。私が子供たちの前で泣いてはいけない。
清朝の時代の建物を保全している地域にある建物の壁に描かれていたアート。なぜかウルトラマン。上にいる3人の仙人がなんだかカワイイ。
台湾建国の父、蒋介石の紀念堂。毎日正刻に衛兵の交代式があると聞いていたのです出かけたのですが、修復工事中でどうやら中止のもよう。写真だけとってお昼を食べに行こうと乗ったタクシーが横を通ったらなんだか鼓笛隊のような音が聞こえた気が・・・場所をかえてやっていたか!?なんだかちょっと残念なことをしたような気が・・・
蒋介石の紀念堂からさほど離れていないところにある記念碑。台湾にも闇の時代があったのだ、ということを現実として見た思い。以前見た「悲情城市」のシーンが浮かびました。
私たちが泊まったホテルのある中山路。夜はイルミネーションがきれいです。昼間は緑深く、しっとりとした趣。例えれば日本の表参道でしょうか。
萬年商業大楼というオタクの方々垂涎の?ショッピングビル。フィギュアやらプラモデルがいっぱい売っています。ここはプラモデル屋さん。お店の中に天井までプラモが積まれており、通路は一人で通るのがせいいっぱい。
泊まったホテルのケーキショップのケーキ。まじおいしかった!ショップしかなく、お店の中でコーヒーとともに頂くことができなくて残念。部屋に持ち帰って食べたのだけど、もっといろんな種類を堪能したかった!!
空港の出発ロビーにて。こんなところにもお茶をふるまうところがあるなんて。さすが茶どころ、台湾!!
最後は写真がないのですが、心に残る、というより心残りのできごとを・・・
主人が末娘の手をひいて歩道を歩いていた時のことです。何か目を引くものがあったのか、主人が振り向いた瞬間に、背負っていたリュックで娘の頭をはたくかっこうになり、その勢いで歩道にせり出していたスチールボックスの角に娘は頭をぶつけ、傷ができてちょっと血が出てしまいました。主人を責めつつ娘をなだめていたところ、どこからともなく女性がやってきて「この薬を塗りなさい」と軟膏を差し出してくれました。ちょこっと塗ると「もっと塗ってあげて。」まだ泣く娘を落ち着かせ、お礼を言おうと振り向いたらもう女性はいませんでした。なんだかとても嬉しかったとともにきちんとお礼を伝えらなかったのが心残りです。