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🍀🍀『お天道様が後ろ盾になってくれる条件はたった一つ』🍀🍀

2018-02-10 15:04:38 | 新しい考え方
🍀🍀『お天道様が後ろ盾になってくれる条件はたった一つ』🍀🍀


「できるだけ環境を汚さない生き方を」

と言うと、こう言う方が必ずいます。

「私一人がやったところで何も変わらない。

きっと、私以外の誰かがやってくれるんじゃないか」

と。

南米に「クリキンディ」という有名な話があります。

アマゾンの森が火事になり、やがてその火事はアマゾン全体に燃え広がりました。

森の動物たちは「われ先に」と逃げました。

しかし「クリキンディ」という名の小さなハチドリだけは何度も往復していました。

小さなくちばしで水を運び、1滴ずつ燃える火の上に落としていたのです。

動物たちは、そんなクリキンディを見て笑います。

「そんなことやっても火が消えるわけがない。やめとけ」

と。

するとクリキンディは背筋を伸ばし言うのです。

「私は私にできることをしているだけ」

と。

私もそのクリキンディのような生き方を子どもに見せたいと思い、

私のできる範囲で、全力を出し切ることだけを考えながらやってきました。

それは難しいことではありませんでした。

私たちが幸せになるためには、能力も才能も家柄も財産も学歴も、すべて関係ありません。

大事なのは

「私にできることをし続ける」

という、たったそれだけのことだと私は思っているのです。

40年間それを続けてきて、私は今では世界中を旅行できるようになったし、

ニュージーランドの永住権も取れたし、向こうでプール付きの家が買えるほどにもなりました。

皆さんも、どんなことでもいいので、ご自分のできる一歩を踏み出してみてください。

それが確実な未来を作ることにつながるのです。

私は、新しいことをする時はいつも、

まず「お天道様は応援したいと思うかな」と考えます。

そして、お天道様が応援したいと思うことだけをやってきました。

私が企画して失敗したことはこれまで一度もありませんし、

やっていると不思議といつもラッキーな出来事に遭遇してきたのです。

学歴も何もない私がどうしてこんなに自信を持って言うのか。

それは「お天道様という後援会長がついている」と思えるからです。

「後援会長」が後ろ盾になってくれるかどうかの条件はたった一つ。

それは「自分に絶対ウソをつかない」ということです。

たとえば私は、環境に負荷をかけないためにシャンプーを使わないと決めています。

ホテルに泊まると部屋にシャンプーが置いてあって、それを使っても誰にも分かりません。

でも誰も見ていなくても「私」はちゃんと知っています。

自分をごまかすことはできないのです。

自分自身の良心が「神様」です。

そうやって自分にウソをつかない生き方をする時、お天道様が応援してくれるのです。

簡単な話でしょ。

私がこれまでやってきた成功の秘訣はたったそれだけなんですよ。


(「みやざき中央新聞」H30.2.5 自然食料理人 船越康弘さんより)

直感力15🌟水面下を読む力🌟

2018-02-10 00:44:35 | お話
15🌟水面下を読む力🌟


将棋の世界は、勝負によって結果がはっきりする自己責任の世界だ。

やめていく先輩や仲間たちの姿を見て、私は自己責任の本質を学んだ。

月並みのことをしていると、少しずつ状況が悪くなる。

変化を恐れない前向きな姿勢が必要だ。

この時代、世界は驚くほどの猛スピードで進んでいる。

ほんの2、30年前と比べてもケタ違いの変化が、私たちの身の回りから始まって、あらゆるところに見られる。

そんな急激な変化に対応しなければならないとなると、組織の単位では間に合わない。

複数の人間の集合体で何かをしようとしなければ、確実に時間がかかる。

いい意味でも悪い意味でも調和や調整を図ることが必要とされる組織では、そのスピードに追い付けないのだ。

よほど規模が小さいか、非常にフットワークの軽い、意思疎通が明確で早い組織でない限りは難しい。

個人レベルで対応するしかないと思う。

しかし、そこには常に自分自身の決断力が必要とされる。

その前提には、自分一人でもがく時間も必要になる。

元来、将棋の世界では師匠が弟子に何かを「教える」ことはなかった。

それが最近は、師匠の方から進んで手とり足取りしてしまうというケースが多いように思う。

それは弟子を思ってというよりも、師匠のほうが心配で仕方がないから、ついつい直接的に教えてしまっている様子にも感じられる。

だが実は、分からない、迷っている、悩んでいるとか空回りしてるといった苦しい時間こそが、後々の財産になるものだ。

そこで自分の力を精一杯使ってもがいている人にいきなり、

こうしろと教えてしまうのは、親切なように見えて、

実際のところは、その逆の作用をしてしまう。

何事であれ、最終的には自力で考える覚悟がなければならない。

何かのデータや誰かの意見に乗って、多数派だから安心だとか安全だということはない。

自分で調べて自分で考え、

自分で責任を持って判断する姿勢をもっていないと、

自分の望んでいない場所へ流されていく可能性もある。

その先を読む眼を持つためには、表面的な出来事を見るのではなく、

水面下で起きているさまざまな事象を注視することだ。

たくさんの情報が入手できるのであれば、それを活用するのもいいだろう。

ただそこで、やみくもに情報に従うのではなく、

やはり自分なりの価値基準を定めて取捨選択することが必要になる。

それは、わかりやすくいえば、ある種のブランドをつくるということだ。

それは世間でいう有名どころという意味でのブランドかもしれないし、

あるいは、自分だけのブランドかもしれない。

身近なこの人が言っているから信用できるとか、

自分にとって価値があることを発信している人に重きを置くとかいったことだ。


また、そうではなく、とりあえず「量」を見ることもある。

玉石混交だと承知しながら、例えば100なら100の情報をざっと見る。

その後に、これはダメだとか、使える、使えないというような、

取捨選択をするアプローチの仕方もあるだろう。

そういうプロセスをとりながら、自分なりの決断方法を構築していくのだ。

ただ取捨選択を繰り返すのではなく、

そこで自分なりに判断したり、もがいたり、

何か新しいアイデアを考えたりしながら、その先へと向かっていく。


たとえば棋譜も、必要な情報が全部そこに載っているわけではない。

自分が本当に知りたいことは、棋譜にあらわれた内容を超えて、その水面下にある。

表に出現しているところから1歩踏み込まないと、価値をもたない。

それを承知しながら行う情報の選択は、決断へと向かう、そのとっかかりの場所を見つけるための作業に近いかもしれない。

どんなときでも、もがきながら何かをつかもうとする姿勢は失わないでいたいと考えている。


(おしまい)

(「直感力」羽生善治さんより)

直感力14🌟情熱を持ち続ける🌟

2018-02-08 16:07:24 | お話
14🌟情熱を持ち続ける🌟


情熱を、常に何かを探し続けることをでも保たれる。

今まで自分の中になかった何かを発見すると言うプロセスを大事にするのだ。

たとえば今日一局指して、勝ったはいいが何の収穫もなかったとか、何の進歩もなかったとなると、やはりモチベーションは下がってしまう。

ところがそこに、そういう発見があった、こんな課題が見つかった、研究テーマがあった、となればそこからまた次につながっていく。

そういうものを見つけるプロセスがとても大事な要素になる。

心がけるのは、常に違う何かを見つけていくこと。

それは現場に不満足でいることではなく、さらに違う何かを常に探し求めていく姿勢だ。

その前提として、いろいろな可能性があると信じることが重要だと考えている。

常識に囚われず、先入観を持たずに捉えられるアプローチだ。

ひとつのかたちを手に入れたら今度は違う何かを見つけていく、もうひと工夫することを繰り返していく。

そうして楽しくないときも楽しくする、面白くなくてもそれなりになんとかしていく。

工夫したり順応したりすることを才能と呼べるかどうかは分らないが、しかしそれもひとつの大きな要素だと思う。

当然ながら、何も思いつかない、煮詰まってしまう、打開が困難な場面もある。

そんなときでもなんとかやりくりしながら新たな方法を模索する。

それが、「追いかけ続ける」ということではないかと思う。

自分の願いや希求するものを見つけたら、それをただひたすら追いかける。

追いかけるのは気持ちの上だけのことではない。

本当に追いかけるなら、動かなければならない。

できたらいいなぁと考えているだけだったり、

手に入れることを夢見ているだけの段階では、まだ本当に追いかけているとはいえない。

追いかけるための行動を、具体的にとらなければならないのだ。


たとえば、プロ野球の世界には、1日に3回ゲームをして名をなした選手がいる。

最初のゲームは試合前。

これから臨む試合についてシミュレーションする。

相手チーム打者との勝負を1回から9回まで事細かにイメージし、実践に備えるのだ。

そして2回目が、実際の試合。

さらにその試合後には、反省を兼ねてもう一度最初から最後まで試合を振り返る。

こうして彼は、一試合のたびに予習と復習を含めた3回のゲームを繰り返した。

また、どうしても打率2割5分しか打てなかった時代には、

「3割打者と自分のような2割5分の打者とはどこが違うのだろう」と模索した。

そして、その差は100打席で30本ヒットを打つか、25本しか打てないかの差、つまりたった5本の差だと気づいたという。

あと5本ヒットを1つためにはどうしたらいいかを考え抜いた結果、

「相手投手の配給や癖を研究すること」

すなわちID (インポータント・データ)を駆使することに辿り着く。

やがて、これによって多くのヒットを打てるようになった。

それが、プロ野球日に初めて「ID野球」を持ち込んだ野村克也さんだ。

数多くの選手選択肢の中から配球を決めるプロセスも、天文学的な数字と確率の話なわけで、

これこそ「職人技」といえるのではないか。

それは一朝一夕でできるものではなく、地道な積み重ねの中から初めて完成するものだ。

ただし、追いかけるものは、途中で変わってもいい。

人は、普通に続けられることをしか続けられないものだと思うからだ。

言い換えれば、自分の気持ちに無理を強いるようなことは、続けられないものだということでもある。

追いかけるものとは「絶対やらなければいけない」ことではない。

やらなければならないという強迫観念に囚われて続けなければならないようなものを目指すのは、本末転倒だ。

「絶対」をもつことは、執着につながる。

執着すると苦しい。

「好き」だという以外に余計な感情が入るからだ。

そうならないように適度に力を抜きリラックスして自然体になる。

執着による負のサイクルが起こりやすいものなので、

意図的に修正を続けていく必要があると感じている。

そして、1番いいのは、夢中になって追ううちに

「結果的にそうなった」ということだ。

集中しようと思って集中しているのではなく、

気がつけば、集中していた、

結果的に打ち込んでいた…という状態に持っていけるのが理想だと思う。

人は、楽しい最中に「いまが楽しい」とは思わない。

後で気づいて、楽しかったと思う。

意図して、あるいは努めてそういう方向へともっていることをしなくてもそうなるのが1番良い。

同時に、日常の中で可もなく不可もなく、つつがなく暮らせているのも、

それはそれで充実しているような気がする。

そう感じる精神状態にあるということが充実している証拠ではないだろうか。


(「直感力」羽生善治さんより)

直感力13🌟想像力と創造力🌟

2018-02-07 20:43:52 | お話
13🌟想像力と創造力🌟


いつも、「自分の得意な形に逃げない」ことを心がけている。

戦型や定跡の重んじられる将棋という勝負の世界。

自分の得意な形にもっていけば当然ラクであるし、私もラクをしたいという気持ちはある。

しかし、それを続けてばかりいると飽きがきて、息苦しくなってしまう。

アイデアも限られ、世界が狭くなってしまうのだ。

人は慣性の法則に従いやすい。

新しいことなどしないでいたほうがラクだから、

放っとくと、ついそのまま何もしないほうへと流れてしまう。

意識的に、新しいことを試みていないといけないと思う。

そういう意味でも尊敬するのは升田幸三先生だ。

升田先生は、その風貌や名言に加え、新手(それまでに指されたことのない手)を数多く生み出したことで知られている。

「新手一生」という言葉で、新しい戦型や指し手を一生創造生し続けるという信念を示された。

常に新しいアイデアを追い求め、実戦で試された。

升田式石田流、雀刺し、急戦矢倉、棒銀、ひねり飛車、居飛車穴熊…等々、升田先生の新手は非常に現代的なものまで、いまでも多く使われている。

昭和30年代に最も活躍されたのだが、その先見性に気づく人は少なく、

当時は先生の革新的な将棋のセンスがむしろ異端として扱われていたように思う。

現代の将棋では、どんな新手を考えても、いったん公になればすぐに研究され、対策も立てられてしまう。

情報収集の手段が増え、そのスピードは以前の比ではなくなっているといえるだろう。

ただし、だからといってそこに甘んじていいという話ではない。

将棋に限らずこの世の中、未来永劫安定しているものなど基本的にはない。

完結形といったようなものもまるでない。

あらゆることが、日々、変わっていく。

そのとき、その変化に気づくことができるか。

じっと見ていてもすぐには何も変わらないように見える。

しかし、釣った魚と同じで、

変わらないように見えて、それは間違いなく腐っていく。

時の経過が状況を変えてしまうからだ。

いまは最善だと思われても、それは「いま」という時点の話であって、いまはすでに過去になりつつある。

あまりオリジナリティに欠けるものばっかりやっていると、自己嫌悪に陥ってしまうのはこのためだ。

それはラクではあるかもしれないが、過去の中にだけ生きているのではつまらない。

これから先へと進んでいくためには、できれば少し先を見ることができるといい。

しかしそれは難しい。

現実に本当に見ることなどできはしないのだから。

それでも、過去から現在の変化を見ることは可能。

そして、その変化の延長線上に、想像力を働かせることはできる。

想像力とは、まだ起こっていない、しかし起こるべきであろう現象を、リアリティをもって受け止める力のことだ。

どんなことでもいい。

これまでとの違い、昨日からの変化を見つけてみる。

そして、その先を思い描いてみる。

そうすることで、想像力が鍛えられていく。

そして、その想像力を働かせて頭の中に描いた何かを具体的に実現させるアイデア・発想が想像力だ。

創造力は、まったくのオリジナルでなければならない、ということではない。

常に真新しいものでなくても、切り口によって違いは出る。

同じテーマでも、他の人とは違う自分なりの切り口を持つことで、生み出されるものは変わってくる。

大事なのは、それらの力を養うとすることだ。

日々の事象に変化を見つけ、その先を想像してみる。

そして一歩進んだら、それを具現化するものを創造してみる。

それがかたちになったら、またその先を想像して…を繰り返すのだ。


こうして想像力と創造力の両輪を回しながら、進んでいく。

このとき、もどかしいのは、

想像力がどんどん先へ行っているのに、創造力がで追いつくことができないことだ。

願わくば両輪は、その回転を同じスピードで、交互に前に出ながら進められるといいと思う。


(「直感力」羽生善治さんより)

直感力12🌟マラソンのラップを刻むように🌟

2018-02-06 08:43:06 | お話
12🌟マラソンのラップを刻むように🌟


勝った将棋と負けた将棋。

どちらがより忘れられないかと問われれば…

どちらも、あまり覚えていない。

勝った喜び、負けた悔しさとともに体内に残らない。

必要ではないと感じられることは、どんどん忘れていってしまう性質なのだ。

もちろん、何年の誰との将棋について語らなければならないということがあれば、

記憶の糸口さえ見つかれば、いつか対戦したそのときの手順をスラスラと思い出すことができる。

しかし、通常はそんなことはない。

それを思い返したところで、
先へとつながるものだとは思えないからだ。

必要なのは、前に進んでいくこと、そのための歩みを刻んでいくことだ。

これからの道のりも長い。

それを進んでいくために必要とされるのは、
マラソン選手のような意識とでもいうのだろうか。

一気にダッシュするのではなく、

瞬間的に最高スピードを出そうとするのでもなく、

正確にラップを刻んでいくことだ。

1キロを4分で走るとしたら、

次の1キロも、そのまた次の1キロも…と、

同じようにラップを刻むこと。

それを意識的に続けていくことだ。


それには、
「長い距離をずっと走り続けねばならない」

と考えるのではなく、

すぐそこの、あの角までを目標に、そこまではとりあえず走ってみようといった、

小さな目標を定めながら走るのがいいと思う。

ゴールまであと200キロあると言われたら、

たいていの人はイヤになる。

走るのをやめてしまうだろう。

しかし、あと1キロだけ、あと1キロ走れば…と思えば続けられる。

この1キロ、今度の1キロ…と繰り返すうちに、

気がついたら200キロになっていることもあるだろう。

そうなっていることを目指したい。


歩けない距離は走れない、という話を聞いたこともある。

なるほど、たしかにそうだと思った。

歩けるかどうかは、スピードとか記録とかの前にベースとなる最低限の保証だ。

まずはその距離を歩いてみる。

そこで無理だと思うなら、走るなど到底できないことだ。

他の誰かが隣を駆け抜けていったとしても、自分には無理なことなのだ。

だから、まずは歩いてみる。

そして、歩けそうならば、走ってみる。

急ぐ必要は無い。

同じペースでラップを刻みながら行けばいい。

それは、無理をしないことだ。

自然にできることを続けていくという健全さなのだ。


(「直感力」羽生善治さんより)