花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

続 「義経記」   (抄文・抄訳)

2005-09-02 | 鎌倉の四季
  
   ▲前編▲

 [第五巻]

■{判官 吉野山に入る} 『大物の浦・天王寺・吉野山・多武峰・遠津河(十津川)・伊勢・南都・京都・南都・伊賀・伊勢・美濃経由で奥州に向いました』

道中 精進潔斎の場所まで静を伴った事に、義経は「神慮の程が恐ろしい 此処から都へ引き返せ」と。静は泣き伏して「六波羅に捉えられて憂き目を見るより この場で殺して欲しい」と掻き口説きますが、義経は「只々、都へ帰り給え」と言うのみでした。悲しむ静に財宝を与え五人の供を着けて二つに分かれたのでした。
途中、供の者は「此処で暫く休養を。尋ねたき人の所に行って来ますから」と姿を消しました。

■{静 吉野山に捨てられる}   静は日暮るるまで待つも、判官に賜びたる財宝を賺し取られて、泣く泣く一晩中彷徨い歩き蔵王権現の燈火に導かれて 蔵王堂にたどり着きました。美しい女性に老僧は「芸あるものならば、権現様に奉納を」と言い 静も「私は白拍子だから」と素晴らしい舞を奉納しました。人々は「あれは静御前よ」「判官の行方を知っている筈だ」と尋問し、静は全てを白状しました。宗徒たちは静を労わり、馬に乗せ護衛をつけて北白川へ送り届けました。

■{忠信 吉野に止まる} 判官 静と別れし後南大門辺りで、大衆達が騒ぎ立て
老僧達は「判官殿を寄せて討ち取り、鎌倉殿の見参に入れ候はん」と申す。先祖を尋ぬれば鎌足内大臣の御末、信夫の佐藤庄司が次男、佐藤四郎兵衛藤原忠信と言う侍あり。義経の前に進み出て「殿はお心易くお落ちください。忠信が踏みとどまって防戦をいたします」と申しますが、「兄の継信が屋島にて我が為に命を棄てた。
そなたも我も生きて秀衡に会い、信夫の妻子とも会うがよい」忠信は「陸奥を出る時に秀衡公から、ご主君に命を差し上げよと言われ、母から生きて戻って来いとは言われた事がありません」と。弁慶も「武士たるものは言い出したことを翻す事はありますまい」と口添えしたので、義経は「是非もない。心の侭にせよ」と言い宝剣と鎧を授けました。そして若党三、四人と吉野に踏み止まったのでした。

■{忠信 吉野山の合戦}  緋縅の鎧に白星の兜の緒を締めて『つららい』と言う太刀を帯、判官より賜りたる黄金作りの太刀を帯副にする。大衆三百人ばかりが押し寄せてきました。其の中で身の丈六尺ばかりの「覚範」と打ち合い首を掻き切り「義経 覚範を討ち取ったり」と言うと、我らが敵う相手ではないと逃げてゆきました。その後忠信は再び京都に入りました。

■時節は十二月に入り、雪降り埋み氷凍て 一方ならぬ山路で難儀を極めました。
義経達は人里近くで鎧・腹巻を脱ぎ捨て「来年始め奥州へ下向するので、一条今出川付近で落ち合おう」と約して夫々身を隠し、義経は奈良の勧修坊得業を頼ってゆきました。

       (前編 五巻までが終了しました。 後編は改めて編集します)


     写真:白拍子姿の静御前