【海のエジプト展 入場券】
エジプト・ナイル川河口の地中海に古代エジプトの遺跡発見!のニュースは、私にはそんなに古い話ではありません。2千年もの間誰も本気で発掘しようとしなかったのでしょうか?・・・私は疑問符に包まれました。その何十年も前から古代エジプトに焦がれてアブシンベルからナイル川の西方も東方も、飛行機で バスで 大河をファルーカや乗船でカイロまで遺跡を辿った事もありました。でもアレクサンドリアには行っていないのです。
【古代アレクサンドリア】
今回日本で海底遺跡が公開されました。謎解きのチャンスです。
古代エジプトには3000年の歴史がありますが、プトレマイオス朝に絞ることに致しましょう。
当時エジプトをペルシャの過酷な支配から開放したのが、ギリシャ系マケドニアのアレクサンドロス大王だったのです。紀元前331年の事でした。
大王の死後将軍であったプトレマイオスが王朝を開いたのです。代々王はプトレマイオス○世。女王はクレオパトラ○世です。他の名前も少しくはありましたが・・クレオパトラ7世は紀元前69年に生まれたエジプト王朝最後の女王でした。紀元前30年に自害して王朝は滅びるのです。
海底遺跡は海に近い地域が地震や地盤沈下で徐々に沈みました。アレクサンドリアは8世紀頃には水没したと考えられます。湾岸部の水深数メートルにあり空中からも見えていて、以前から遺跡の事は知られていましたが、発掘は潜水技術が駆使できるようになった’92年頃から始められて、終わるのは数百年は掛かるだろうといわれています。
【マッピング: 発掘現場を区切り発見した遺跡の位置を書き留める】
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アレクサンドリアと共に、カノープス、ヘラクレイオンの都市も埋没したのでした。展示場はその都市別に開示されています。
『カノープス』 は聖なる癒しの都として。
地中海を繫ぐ要所でありセラピス大神殿に沢山の巡礼者が訪れていました。「王妃の像」はギリシャ神話の愛の女神アフロディテの化身とされ衣服の襞が体に張り付いた立像でとても優美でした。
【ウエディングリングを発掘】男女が手をとり合って神が祝福しているのでしょうか・・結婚指輪を左手に嵌める習慣もエジプトが起源です。
『ヘラクレイオン』 は神々とファラオが出会う都として。
ギリシャ神話の英雄ヘラクレスを祀った巨大な神殿が建てられていました。この神殿の入り口に「豊穣神ハビの巨像」があり、耕地を豊かにするナイルの氾濫をあらわす理想化された穏やかな表情の像は5mを越す巨大さでした。
【ハビ神 王 王妃】三巨像の建ち並ぶところには、離れなければ全体像が見渡せないほど長大で迫力が感じられました。当時ではこの迫力、畏敬の念は如何ばかりだった事でしょう。絵ハガキの寄り添った映像からはどれ程に伝える事が出来たでしょうか。
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《アレクサンドリア》 はクレオパトラが愛した都として。
プトレオマイオス朝の王都として、大図書館や古代の「世界七不思議」で有名なファロスの灯台があり、クレオパトラ7世はアンティロドス島の小宮殿にしばしば居住したと言われています。
父のプトレマイオス12世は端正な顔立ちのスフィンクス像で。ローマの将軍カエサルを父に持つカエサリオンは、鼻の潰れた頭部だけが発見されていて数奇な運命を物語っているようです。そしてクレオパトラ7世は横顔が刻まれた小さな貨幣のみですが、今後の発掘が想像を掻き立てられることでしょう。
父・娘・子 3代が一堂に会して圧巻でした。
【プトレマイオス12世のスフインクス像】
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【カエサリオンの頭部】
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【クレオパトラ7世のコイン】
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エジプトの民をペルシャの支配から開放したアレキサンドロスも又外部からの支配者でした。
ギリシャ系のプトレマイオス朝が滅んだ後は、ローマ及びビザンツに依る支配を経験し紀元後7世紀には、エジプトの地はアラブ人の侵攻を受けてイスラム化していったのです。
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パンフレットや朝日新聞の写真を引用 
エジプト・ナイル川河口の地中海に古代エジプトの遺跡発見!のニュースは、私にはそんなに古い話ではありません。2千年もの間誰も本気で発掘しようとしなかったのでしょうか?・・・私は疑問符に包まれました。その何十年も前から古代エジプトに焦がれてアブシンベルからナイル川の西方も東方も、飛行機で バスで 大河をファルーカや乗船でカイロまで遺跡を辿った事もありました。でもアレクサンドリアには行っていないのです。
【古代アレクサンドリア】
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今回日本で海底遺跡が公開されました。謎解きのチャンスです。
古代エジプトには3000年の歴史がありますが、プトレマイオス朝に絞ることに致しましょう。
当時エジプトをペルシャの過酷な支配から開放したのが、ギリシャ系マケドニアのアレクサンドロス大王だったのです。紀元前331年の事でした。
大王の死後将軍であったプトレマイオスが王朝を開いたのです。代々王はプトレマイオス○世。女王はクレオパトラ○世です。他の名前も少しくはありましたが・・クレオパトラ7世は紀元前69年に生まれたエジプト王朝最後の女王でした。紀元前30年に自害して王朝は滅びるのです。
海底遺跡は海に近い地域が地震や地盤沈下で徐々に沈みました。アレクサンドリアは8世紀頃には水没したと考えられます。湾岸部の水深数メートルにあり空中からも見えていて、以前から遺跡の事は知られていましたが、発掘は潜水技術が駆使できるようになった’92年頃から始められて、終わるのは数百年は掛かるだろうといわれています。
【マッピング: 発掘現場を区切り発見した遺跡の位置を書き留める】
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アレクサンドリアと共に、カノープス、ヘラクレイオンの都市も埋没したのでした。展示場はその都市別に開示されています。
『カノープス』 は聖なる癒しの都として。
地中海を繫ぐ要所でありセラピス大神殿に沢山の巡礼者が訪れていました。「王妃の像」はギリシャ神話の愛の女神アフロディテの化身とされ衣服の襞が体に張り付いた立像でとても優美でした。
【ウエディングリングを発掘】男女が手をとり合って神が祝福しているのでしょうか・・結婚指輪を左手に嵌める習慣もエジプトが起源です。
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『ヘラクレイオン』 は神々とファラオが出会う都として。
ギリシャ神話の英雄ヘラクレスを祀った巨大な神殿が建てられていました。この神殿の入り口に「豊穣神ハビの巨像」があり、耕地を豊かにするナイルの氾濫をあらわす理想化された穏やかな表情の像は5mを越す巨大さでした。
【ハビ神 王 王妃】三巨像の建ち並ぶところには、離れなければ全体像が見渡せないほど長大で迫力が感じられました。当時ではこの迫力、畏敬の念は如何ばかりだった事でしょう。絵ハガキの寄り添った映像からはどれ程に伝える事が出来たでしょうか。
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《アレクサンドリア》 はクレオパトラが愛した都として。
プトレオマイオス朝の王都として、大図書館や古代の「世界七不思議」で有名なファロスの灯台があり、クレオパトラ7世はアンティロドス島の小宮殿にしばしば居住したと言われています。
父のプトレマイオス12世は端正な顔立ちのスフィンクス像で。ローマの将軍カエサルを父に持つカエサリオンは、鼻の潰れた頭部だけが発見されていて数奇な運命を物語っているようです。そしてクレオパトラ7世は横顔が刻まれた小さな貨幣のみですが、今後の発掘が想像を掻き立てられることでしょう。
父・娘・子 3代が一堂に会して圧巻でした。
【プトレマイオス12世のスフインクス像】
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【カエサリオンの頭部】
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エジプトの民をペルシャの支配から開放したアレキサンドロスも又外部からの支配者でした。
ギリシャ系のプトレマイオス朝が滅んだ後は、ローマ及びビザンツに依る支配を経験し紀元後7世紀には、エジプトの地はアラブ人の侵攻を受けてイスラム化していったのです。
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