花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉アルプスから覚園寺に至る

2009-08-24 | 鎌倉の四季
                             【のんびり小径】

緑陰の尾根道を辿り、鎌倉一のやぐら群「百八やぐら」のさわりに触れ、8月は一般拝観が出来ない覚園寺の薬師堂を特別拝観させていただきました。

【散在ガ池森林公園】
鎌倉湖とも呼ばれる「散在ガ池」と、その周辺に約2.4kmの散歩道があり程よい柵やベンチもあり、腐葉土のような足ざわりの優しい小径を回遊できるようになっています。
江戸末期に大船、岩瀬、今泉の三ケ村に馬の秣(まぐさ)を刈る入会地として無償で分与されましたが、点々と散らばっていたため「散在の山」と呼ばれました。
その頃周囲は大船千石と言われた大水田が広がっていて、しばしば水争いが起きたため戦後になって現在の池に改修されたものです。

《散在ガ池》
 

《のんびり小径》
          
               

《玉アジサイが花の少ない季節に太陽を浴びて美しい》
                    

《鎌倉アルプスを歩く》
      

【百八やぐら】
やがて天園ハイキングコースから程なく標識の覚園寺方面へ向かうと、山腹斜面に177穴の「やぐら」が集まっている鎌倉で最も規模の大きいやぐら群が現れます。数が多い事から仏教で言う百八の煩悩になぞらえて名付けられたようです。
 
壁面には五輪塔、宝篋印塔、仏像の浮き彫り、梵字の彫刻、さらに仏像や地蔵、五輪塔が安置されているものなどあり、鎌倉にあるほぼ全てのやぐらの形式が見られるそうです。
鎌倉は三方を山、一方を海に囲まれた要害都市ではありますが、その分平地が少ないため斜面を利用した墓となったのでした。今回は蜂の襲撃を恐れて入り口のみになりましたが、何時か7階層のやぐら群を一望してみたいものです。

《やぐらの形》
  
      
          

【覚園寺】
建保6年(1218)北条義時が建立した大倉薬師堂が前身といわれています。それを永仁4年(1296)9代執権北条貞時が再度の元寇来襲が発生しない事を祈り、本格的な大寺として完成し「覚園寺」と命名しました。その後火事で焼失しますが、足利尊氏によって薬師堂は再建されます。
茅葺の重厚な大屋根に入ると正面に薬師如来が座し左右に日光・月光菩薩が従って、壁際には十二神將が睨みを効かしています。そして最奥の右窓際に鞘阿弥陀が左窓際には伽藍神像が慈悲の目を投げかけています。
ここ覚園寺には、他にもお堂や寺院、古建築の移築、やぐら等広い庭園には銘木・古木・花木等々何時も楽しみにしているものがあります。

しかし薬師堂の寺域は扉で仕切られていて写真撮影は御法度です。
手前の庭の花を撮らせていただく事にいたしましょう。

《蓮》 《ヤブラン》 《アキノタムラソウ》 《オミナエシ》 《ギボウシ》