婆様が小学校2年で戦争が始まり
6年生で敗戦。
近くに化学工場があったので空襲も酷く
爆撃後の機銃掃射の怖さを鮮明に語る。
「敵機来襲」もちろん放送など無く
気づいた人が叫んでいた。
野良仕事の最中にやられた人が多数いた。
一機や二機ではない。
編隊で機銃掃射。たまったものではない。
敗戦が決まったときには安堵した。
敗戦後には「敗戦踊り」が流行り
「若者が踊りに興じていた」と言う。
戦より 平穏望む 民の声
その後76年。戦知らずで幸せですね。
さて、久しぶりに雲の切れ目が

ウォーキング道路でも

土砂流出。
そんな中でも「若返りキュウリ」が

育っています。明日には収穫?。