食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

真珠湾

2010-12-07 06:06:09 | 日記
 1941年11月末、アメリカ国務長官コーデル・ハルが、野村駐米大使に、「 ハル・ノート 」とよばれる提案を示す。


 当事の日本にとっては、到底、受け入れることのできない内容だった。


 この「 ハル・ノート 」を最後通告と受け取り、12月1日、御前会議で対米英蘭開戦を正式に決定する。


 12月7日、( 日本時間 8日 )、攻撃目標である真珠湾を目指し第一次攻撃隊が発艦。

 日曜日の朝、米艦隊の無防備な姿を見た指揮官の淵田中佐は、かの有名な「 トラ・トラ・トラ 」( 我、奇襲に成功せり。) の電文を打つ。


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 真珠湾攻撃の成功は、空母を中心とした航空攻撃が有効であることを世界に示すこととなる。この日本軍が切り開いた新たな戦術を、その後の戦いで積極的に取り入れたのは、言うまでも無くアメリカ側である。


 また、航空部隊の華々しい成果ばかりが報じられる真珠湾攻撃において、一方で、山本五十六長官に一度却下された、後の特攻に近い発想の特殊潜航艇が、ほとんど成果を上げることなく撃沈されている。 九軍神として有名、、、、、


 漆黒の残る12月7日、朝、6時、、、、、


 ふと目を閉じると、抑揚の剥がれ落ちたプロペラ音が胸をかすめるような焦りに包まれる。


 今は平和である。   本当に平和なのだろうか。