昨晩は、久しぶりに寝付けませんでした。 一昨日、星になられた麻央さんが、わずかながら僕にも「 夜更かしをしなさい 」とアドバイスされたからなのかもしれません。 誰かの訃報を受け取ると、僕もいつかは死ぬんだな、と最近でこそ、客観的に考えられるようになってきました。 そんな常識中の常識でも、僕は子供の時から、何となく自分は死なないような気がしておりました。 正直、死ぬのは怖いし、受け入れたくはありません。 けれど、生と死は対極にあるのではなく、生老病死はすべて自然に連なっている、と思うようにすると楽に、そして慎重に生きられるような気がしています。 当たり前ですが、人は必ず死にます。 難しい物理学の話はチンプンカンプンですが、宇宙の時間からすれば、ホモサピエンスの出現、消失、など一瞬にすぎないでしょう。 ましてや、個人の生死など、サハラ砂漠の砂粒一つを構成するさらに小さな素粒子だか何だか、そんな小さいものよりもさらに小さいレベルなのかもしれません。 死後の世界が存在するのかどうか? 死んだら何もなく意識がないのだから永遠と漆黒の世界が続く、とおっしゃる方がいます。 死後の世界は存在しないと主張される方です。有名な早稲田の大槻教授を筆頭に、唯物論的な考え方の強い科学者に多いようです。 一方で、死んでも魂は存在し、自分という意識( ここで意識という表現は不適切ですが~脳が働いていないので~)は残る、と主張される方がいます。 東大救急救命科教授の矢作先生とそのシンパです。 僕は、後者に賛同いたしまして、死んでも魂は残ると考えております。 何か、宇宙や生命というものを統一させるような、それこそ普遍的な法則が存在し、人間の運命も実は、お釈迦様の手の上の悟空のように、余儀なくそれに追従させられているような気がするのです。 話がカルト的になってしまいましたが、最後に、死とは世代間の新陳代謝であり、自然になされるものであり、宇宙を貫くような普遍的な法則に従って淡々となされているような気がしてならないのです。 そして、死んだ後も魂は宙をふわふわと浮いているような気がしてならないのです。
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