食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

2010-12-11 05:39:41 | 日記
 喉がむずがゆくて、ここ数週間、から咳がとまらなかった。


 今までずっと、咳の後にからまるタンは、習慣的に吐き出さなければいけないものだと思っていた。 


 しかし、


 吐き出さず、飲み込むようにしたら、( メリハリをつけてゴックンと飲み物を喉に流し込むような感じで )咳の回数が格段に減った。。。。。


 これは、当たり前のことなのかもしれないが、僕にとっては新しい発見だ。


 閉塞感を打破し新しい時代を切り開いていくには、流布している既成概念にとらわれてはいけない。。。。。


 


 

アブダビ

2010-12-09 05:59:39 | 日記
 中東に、アブダビという国がある。あまり聞き慣れない名前だが、アラブ首長国連邦の一つである。


 そこに、世界最大の室内テーマパーク「 フェラーリワールド 」がオープンした。


 時速200kmを超える世界最速のジェットコースターを始め、自動車メーカー、フェラーリならではの乗り物をテーマとした幾つものアトラクションが観光客の注目を集めそうである。


 高級リゾートホテルやブランド店満載のショッピングモールが並ぶドバイに比べ、アブダビは地味な印象が強かったが、最近は、件のテーマパークを筆頭に、観光への取り組みを強化している。


 ルーブル美術館の分館、F1サーキット、ホテル、などがすでに完成しているようだ。


 中東における観光業は、石油依存型経済から脱却し、産業を多角化するための大きな柱の一つであると考えられるが、世界遺産のような歴史的価値のある文化史跡に乏しいアブダビにおいては、観光客の関心を集めるための「 呼び物 」が不可欠であると思う。


 「 フェラーリワールド 」は、まさに、アブダビ、いや中東観光業の金看板となるであろう。


 入間市にも、「 ジョンソンタウン 」という、大方の市民も知らない素敵な地区がある。 まさに宝の持ち腐れである。これを再開発して、大々的にマスコミ宣伝しない手はない。


 地域活性、活気ある街づくり、とは内輪の商人の馴れ合いを意味するのではない。


 外からの勢いを引き込めるような雰囲気をつくっていかないと。。。。。


 


 

 


 

真珠湾

2010-12-07 06:06:09 | 日記
 1941年11月末、アメリカ国務長官コーデル・ハルが、野村駐米大使に、「 ハル・ノート 」とよばれる提案を示す。


 当事の日本にとっては、到底、受け入れることのできない内容だった。


 この「 ハル・ノート 」を最後通告と受け取り、12月1日、御前会議で対米英蘭開戦を正式に決定する。


 12月7日、( 日本時間 8日 )、攻撃目標である真珠湾を目指し第一次攻撃隊が発艦。

 日曜日の朝、米艦隊の無防備な姿を見た指揮官の淵田中佐は、かの有名な「 トラ・トラ・トラ 」( 我、奇襲に成功せり。) の電文を打つ。


 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


 真珠湾攻撃の成功は、空母を中心とした航空攻撃が有効であることを世界に示すこととなる。この日本軍が切り開いた新たな戦術を、その後の戦いで積極的に取り入れたのは、言うまでも無くアメリカ側である。


 また、航空部隊の華々しい成果ばかりが報じられる真珠湾攻撃において、一方で、山本五十六長官に一度却下された、後の特攻に近い発想の特殊潜航艇が、ほとんど成果を上げることなく撃沈されている。 九軍神として有名、、、、、


 漆黒の残る12月7日、朝、6時、、、、、


 ふと目を閉じると、抑揚の剥がれ落ちたプロペラ音が胸をかすめるような焦りに包まれる。


 今は平和である。   本当に平和なのだろうか。



 

助っ人

2010-12-02 05:47:12 | 日記
 先々週くらいの某新聞記事に、プロ野球・最強の助っ人外国人のランキングが載っていた。


 1位  バース( 阪神、1983 ~ 1988年 )


 2位  クロマティ( 巨人、1984 ~ 1990年 )


 3位  ラミレス ( 巨人、 現在進行形 )


 4位  ブーマー ( 阪急、オリックス、 1983 ~ 1992年 )


 5位  マニエル ( ヤクルト、近鉄、 1976 ~ 1981年 )



  1位のバースがダントツの最強助っ人であることに異を唱える方はいないであろう。


  神様、仏様、バース様( その昔は、稲尾様 )。


  絶対的な信頼のもと、阪神を日本一に導いた立役者である。


  バース、掛布、岡田、の甲子園バックスクリーン三連発は今でもプロ野球語り草の一つである。


  5位のマニエルと聞き、まず最初に、懐かしさが流れ込んできた。


  正直、マニエルの活躍がいかようであったかは覚えていない。 王や高田、末次、柳田が現役だった小学生時代、プロ野球カード集めに奔走し、未開封のスナック菓子が山済みになっていたあの時代の呼吸音が聞こえてくるようだ。


 野球帽を一般帽子店で購入できなくなった今、側頭部の銀バッジで賑わっていた昭和50年代にもう一度立ち止まってみたくなった。