勤務中の1446に突然、揺れを感じた。最初、縦に揺れ、そのあと横揺れ。「まるで、船に乗っているようだ」と誰かが叫ぶ。また、目の前のビルの避雷針?がブンブン振れており、いまにも折れて主のいるビルに刺さりそうで怖かった。あまりの揺れだったため、思わず机の下に座り込む。周りを見渡すと、平然と仕事をしている同僚も多く、「地震、こわーい」と叫ぶ人もいたり、半分半分くらいだったか。
収まった後、誰かがインターネットで「震源地が三陸沖だ、震度7だ」と叫ぶ。このビルは震度5強とも。主は、不謹慎ながらも周りの数名に聞こえる大きさで「とうとう、日本沈没か」とつぶやく。揺れが収まり、ようやく落ち着いたころ業務を再開しようとすると、1506頃再び揺れだす。その後も、1515、1629、1741など数回揺れる。どうにもこうにも、仕事をやる雰囲気ではないけど、誰かが「バスに乗ってるようだ」と叫ぶと、なぜか船よりも身近な例だったのが幸いだったのか、とたんに少し余裕が出ることで、業務に集中することができたが、帰る矢先の1741にも揺れ、一同、「またか。」とため息。さらに、追い打ちをかけるように、エレベーターがストップ。主はしょっちゅう、階段で昇り降りしているので苦ではなかったが結構、高い階なので普段楽をしているほかの同僚は大変そうだった。「これくらいのことで、四苦八苦しているようだと歩いて帰れるんですかね」と、思わず独り言。
1753頃、会社を出た。携帯を見ると、メールが溜まっていることに気がつく。確認していると、震源地が確かに最初は三陸沖であることが分かった。続いて、福島の相馬で大津波7.3m以上を観測したと、あった。1741帰りがけの地震の震源地がこれまでの三陸沖から福島県沖に推移している!同じ、三陸沖ではなかったのか!
飲めない飲み会の幹事さんから、「地震の影響のため、中止にします。怪我などに気を付けてくださいね!」とメールがはいった。すぐに、返信しようと試みたがつながらず。携帯電話も不通の様子。気がつくと、外苑前まで歩いており、このまま渋谷を目指し、総武線で帰るとするかと思いながら、そういえばワンセグがあったな、と見始めると、「JR・地下鉄全線不通」との表示が!ああ、渋谷に行っても仕方ないのかとつぶやき、引き返すことにした。でも、周りの人は情報がないのか、とりあえず渋谷を目指しているのか、それとも飲み会が開かれるのか、どうせ帰れないならと朝まで飲んでいくつもりなのか、…それぞれの状況(事情)を抱えている人たちが一路、渋谷に向かって歩いている中、主だけが今来た道に取って返した。
時計を見ると1813、現在南青山三丁目の交差点(港区)。このまま、青山通りをまっすぐ行くとたぶん日本橋か。人が溢れているだろう、と思い、外苑前交差点でおもむろに左折して、神宮球場方面へと歩き出す。あんなに人が多かったのに一本裏へ入るとあたりはいつもの日常のよう。途中、公衆電話を発見1830頃。携帯は電話不通なので、少し並んで、ちょうど前の方が後ろにたくさん並んでいるにも関わらず、気持はわかるが安否を伝えたら、さっさと切れよ、と思いながら、口にも少々上せながら待つこと5分くらいだったか。家電にかけると、母が出る。特に被害がないことを確認し、主側は元気なのと「歩くなり、休むなり、とりあえず帰るので心配しないでね」と伝えて、切電。時計を見ると、1分も立っていない。こうでなくちゃね。
電話後、ここらへんは土地勘がまったくないし、手元に地図もないので、道路に立っている地図と自分の方向感覚だけを頼りに、移動開始。よって、交差点名などはブログ入力時に調査したものです。
こうして改めて地図を見ると、どこを通っていったか、まるで分らないですね。国立競技場も信濃町のいずれの駅舎も線路を見ていないはずだし、でも暗いから、でも音がしなかったから、間を通ったんだと思いますけどね。とにかく、外苑西通りを通ったのは間違いありません。あと、覚えているのは、神宮球場と神宮第二球場を右にして通ったこと、急に右側が開けてどこかの公園?を横切ったときに有名なラーメン屋さんがあったこと、かなりショートカットしたこと、ついでに手洗いに行ったこと、くらいか。今見ると、明治公園が位置的にマッチするようです。ラーメン屋さんは「ホープ軒」でした。要するに、神宮第二球場を右手に見て、道路を渡り日本青年館を右手に見て、明治公園を横切ってショートカットして手洗いを済ませ、今度は、観音橋交差点をから、外苑西通りに入ったようです。国立競技場駅は当然、地下の駅ですから知らない間に通過していたようです。このあたりでもう一度公衆電話1853頃。内藤町交差点は覚えているので間違いないでしょう。四谷四丁目の交差点を右折して、モスバーガーを見、さっき紹介した「ディップパレス」(1858-1954)に入店したので、南青山三丁目の交差点~四谷四丁目交差点まで約45分(合計20+45=65分)で歩き通したことになる。これが、早いか遅いか?だが、今思うと青山通りの人出はすごかったことを考えると、早いかもしれない。

ディップパレスを出て、新宿通りをまっすぐ進む途中、「居酒屋あぶさん」の前1958頃を通りかかる。

その後、四谷駅まで進んだ。なんと、驚くなかれJR四谷駅の入口はシャッターが降りていた。
JR四ツ谷駅を橋で超える際、下を覗き込むと、当然のことながら、誰もいない。橋を、渡り切ったところで、お手洗いへ2013。

そのまま、新宿通りを半蔵門に向かって進む。確か、肉のハナマサの前を通り東京トヨペットを左折し、いつの間にかベルギー大使館の前を通り、日本教育学院大を左に見て千代田区二番町へ入ったようだ。「日テレ麹町ビル南館」2029を左に見て、道路を渡り、さらに右折を2回ほどしてから一番町を抜けて左折すると、大妻女子大界隈だったと記憶する。そのまま、ちょうど半蔵門線の上を通る形で、靖国通りに合流。

靖国神社まで来れば、道の不安はなくなるのでほっとしたころ、時計を見ると2046だった。四ツ谷四丁目交差点~靖国神社南門まで約52分か。
この後は、右手に遠く武道館、近くには昭和館を見て、九段下の坂を降りていった。しばらく進むと、しばらく振りの神保町界隈2101。後の祭りだが、この界隈で休憩すれば、もう歩かなくてもよかったのですが。無理して歩いちゃったのと、入ろうと思っていたお店が2100閉店だったこともあって…。でも、以前行ったのことのあるお店のシャメを撮ったりしてうろうろ(2101-2117)はしていたんですけどね。ここで、ワンセグを見れば…。

以前はカレーと昔懐かしのナポリタンのお店でしたが店名が変わっている気がするから、違うかも。あの、ナポリタン食すことはもうできないのか?今月中に再調査だな。まだ、空いていたので2200頃までの営業かな?

ここのお店は、紹興酒が美味しいのと、前菜で出てくる甘酢の料理が最高ですよ。

ランチョンは麦酒で有名なところです。あの頃は、よく飲しましたっけ。もっとも、当時勤めていた社長さんのおごりでしたが。今となっては夢のような会社でしたね。

このお店も社長さんに連れて行っていただいた、バーです。当時は、すべて4桁以上でしが、最近はぎりぎり切っているようです。料理も以前はまったくなかったはずだが、いくつか種類がありました。中でも、ジントニック945円、枝付き干し葡萄840円が美味だったと記憶あり。店名は思い出せないので、代わりに場所は、チェーン店のスーツ屋(コナカ)の裏に当たるところ、と付け加えておきます。
その後、総評会館を右手に見て通り過ぎ、入ろうと思ったカフェは2000閉店。ああ、と思ったらだめもとでと、反対側に戻る形で、これも紹介済みの「NEW YORKER'S Cafe(ニューヨーカズカフェ)」(2124-2144)に到着。ここで、お客さんが何かのやりとりをしている際、動かないと思っていた電車(地下鉄)が動いているらしいとの情報を得る。すぐさま、ワンセグを立ち上げ、情報収集。どうやら、半蔵門線が半蔵門~押上と銀座線の渋谷のほうと、大江戸線全線、三田線と浅草線が部分復旧したことが分かった。この時点でも失敗が。神保町に戻ればよかったのですが、どうせ間引きだろうから、先へ進んだほうが良いだろうとかって解釈して、とりあえず大手町方面へ移動する。考えたら、大手町だと東京駅に近すぎるので本末転倒になりそうだったことから、三越前を目指すも、神田駅を通り過ぎてしまい、途中、岩本駅のA5出口も通過した際、後で知りえたことですが2145頃運転再開したことから、ここで乗って帰れたようです。でも、聞き違いだと勝手解釈して、さらにあろうことか、三越前=日本橋という記憶が掻き消えており、自宅に帰るにはかなり遠回りしてしまった。43分歩いたことに。そうそう、2211頃もう一度公衆電話。昭和通りは比較的公衆電話がたくさんありましたね。ひょっとして、撤去忘れ?
どうにかこうにか、三越前を2227出発し、住吉駅が近づくとアナウンスで都営新宿線が全線開通したとの情報を入手。これで、自宅に帰れるかと思いきや、まだまだ、そう簡単には片付きません。住吉駅で乗り換えて2244頃、新宿線のホームに行くも、なかなか電車が来ないこととホームがいっぱいで3,4本くらい来ないと乗れないらしい、と駅員に確認して、一旦、外に出て、乗換駅ではない隣の西大島駅を目指した2300。

2316到着後、1本目2336頃はパス。2本目2347もすごかったがどうにかこうにか乗車。時速が25kmに制限されているとかで、通常80km走行なら17分で帰れるのに2倍はかかるとのこと。結局0027到着。
トータル 約6時間半
徒歩:65+52+38+43+17=177+α(細かいのと駅移動含む)なので約4時間30分
乗車:半蔵門10分くらい+新宿線34分=約45分、
休憩等:56+20+電話3本=80分
そういえば、去年の今頃(3/20)も東京駅から歩いたっけ。【再掲】
0725自宅に無事到着するも、終電を逃し、東京駅を追い出され(0140)、ホテルは満室。
タクシーは、高いのでパス。結局、錦糸町まで歩き通した(0310)。
リヴインで買い物し(0344)、錦糸町駅がひらくまでベンチで仮眠(0417)、始発0438が4分遅れで出発と思いきや「小岩駅」140分足止めをくらいバス(0625)に乗車。
「篠崎駅」近くのバス停から歩き0653に乗ってようやく本八幡。
0725自宅に無事到着
とういことは、今年のほうが早かったようだ。
今回の自然の怒りは、たまりに溜まった鳥さん(殺処分)の恨みではなかろうか、と主は考える。
他のみんなは無事帰宅できたのだろうか?
そうそう、スカイツリーは作業中の作業員が当時いたらしいが折れることも、落ちることもなかったと一休常連のNさんがおっしゃっていました。
収まった後、誰かがインターネットで「震源地が三陸沖だ、震度7だ」と叫ぶ。このビルは震度5強とも。主は、不謹慎ながらも周りの数名に聞こえる大きさで「とうとう、日本沈没か」とつぶやく。揺れが収まり、ようやく落ち着いたころ業務を再開しようとすると、1506頃再び揺れだす。その後も、1515、1629、1741など数回揺れる。どうにもこうにも、仕事をやる雰囲気ではないけど、誰かが「バスに乗ってるようだ」と叫ぶと、なぜか船よりも身近な例だったのが幸いだったのか、とたんに少し余裕が出ることで、業務に集中することができたが、帰る矢先の1741にも揺れ、一同、「またか。」とため息。さらに、追い打ちをかけるように、エレベーターがストップ。主はしょっちゅう、階段で昇り降りしているので苦ではなかったが結構、高い階なので普段楽をしているほかの同僚は大変そうだった。「これくらいのことで、四苦八苦しているようだと歩いて帰れるんですかね」と、思わず独り言。
1753頃、会社を出た。携帯を見ると、メールが溜まっていることに気がつく。確認していると、震源地が確かに最初は三陸沖であることが分かった。続いて、福島の相馬で大津波7.3m以上を観測したと、あった。1741帰りがけの地震の震源地がこれまでの三陸沖から福島県沖に推移している!同じ、三陸沖ではなかったのか!
飲めない飲み会の幹事さんから、「地震の影響のため、中止にします。怪我などに気を付けてくださいね!」とメールがはいった。すぐに、返信しようと試みたがつながらず。携帯電話も不通の様子。気がつくと、外苑前まで歩いており、このまま渋谷を目指し、総武線で帰るとするかと思いながら、そういえばワンセグがあったな、と見始めると、「JR・地下鉄全線不通」との表示が!ああ、渋谷に行っても仕方ないのかとつぶやき、引き返すことにした。でも、周りの人は情報がないのか、とりあえず渋谷を目指しているのか、それとも飲み会が開かれるのか、どうせ帰れないならと朝まで飲んでいくつもりなのか、…それぞれの状況(事情)を抱えている人たちが一路、渋谷に向かって歩いている中、主だけが今来た道に取って返した。
時計を見ると1813、現在南青山三丁目の交差点(港区)。このまま、青山通りをまっすぐ行くとたぶん日本橋か。人が溢れているだろう、と思い、外苑前交差点でおもむろに左折して、神宮球場方面へと歩き出す。あんなに人が多かったのに一本裏へ入るとあたりはいつもの日常のよう。途中、公衆電話を発見1830頃。携帯は電話不通なので、少し並んで、ちょうど前の方が後ろにたくさん並んでいるにも関わらず、気持はわかるが安否を伝えたら、さっさと切れよ、と思いながら、口にも少々上せながら待つこと5分くらいだったか。家電にかけると、母が出る。特に被害がないことを確認し、主側は元気なのと「歩くなり、休むなり、とりあえず帰るので心配しないでね」と伝えて、切電。時計を見ると、1分も立っていない。こうでなくちゃね。
電話後、ここらへんは土地勘がまったくないし、手元に地図もないので、道路に立っている地図と自分の方向感覚だけを頼りに、移動開始。よって、交差点名などはブログ入力時に調査したものです。
こうして改めて地図を見ると、どこを通っていったか、まるで分らないですね。国立競技場も信濃町のいずれの駅舎も線路を見ていないはずだし、でも暗いから、でも音がしなかったから、間を通ったんだと思いますけどね。とにかく、外苑西通りを通ったのは間違いありません。あと、覚えているのは、神宮球場と神宮第二球場を右にして通ったこと、急に右側が開けてどこかの公園?を横切ったときに有名なラーメン屋さんがあったこと、かなりショートカットしたこと、ついでに手洗いに行ったこと、くらいか。今見ると、明治公園が位置的にマッチするようです。ラーメン屋さんは「ホープ軒」でした。要するに、神宮第二球場を右手に見て、道路を渡り日本青年館を右手に見て、明治公園を横切ってショートカットして手洗いを済ませ、今度は、観音橋交差点をから、外苑西通りに入ったようです。国立競技場駅は当然、地下の駅ですから知らない間に通過していたようです。このあたりでもう一度公衆電話1853頃。内藤町交差点は覚えているので間違いないでしょう。四谷四丁目の交差点を右折して、モスバーガーを見、さっき紹介した「ディップパレス」(1858-1954)に入店したので、南青山三丁目の交差点~四谷四丁目交差点まで約45分(合計20+45=65分)で歩き通したことになる。これが、早いか遅いか?だが、今思うと青山通りの人出はすごかったことを考えると、早いかもしれない。


ディップパレスを出て、新宿通りをまっすぐ進む途中、「居酒屋あぶさん」の前1958頃を通りかかる。

その後、四谷駅まで進んだ。なんと、驚くなかれJR四谷駅の入口はシャッターが降りていた。


そのまま、新宿通りを半蔵門に向かって進む。確か、肉のハナマサの前を通り東京トヨペットを左折し、いつの間にかベルギー大使館の前を通り、日本教育学院大を左に見て千代田区二番町へ入ったようだ。「日テレ麹町ビル南館」2029を左に見て、道路を渡り、さらに右折を2回ほどしてから一番町を抜けて左折すると、大妻女子大界隈だったと記憶する。そのまま、ちょうど半蔵門線の上を通る形で、靖国通りに合流。


靖国神社まで来れば、道の不安はなくなるのでほっとしたころ、時計を見ると2046だった。四ツ谷四丁目交差点~靖国神社南門まで約52分か。
この後は、右手に遠く武道館、近くには昭和館を見て、九段下の坂を降りていった。しばらく進むと、しばらく振りの神保町界隈2101。後の祭りだが、この界隈で休憩すれば、もう歩かなくてもよかったのですが。無理して歩いちゃったのと、入ろうと思っていたお店が2100閉店だったこともあって…。でも、以前行ったのことのあるお店のシャメを撮ったりしてうろうろ(2101-2117)はしていたんですけどね。ここで、ワンセグを見れば…。

以前はカレーと昔懐かしのナポリタンのお店でしたが店名が変わっている気がするから、違うかも。あの、ナポリタン食すことはもうできないのか?今月中に再調査だな。まだ、空いていたので2200頃までの営業かな?

ここのお店は、紹興酒が美味しいのと、前菜で出てくる甘酢の料理が最高ですよ。

ランチョンは麦酒で有名なところです。あの頃は、よく飲しましたっけ。もっとも、当時勤めていた社長さんのおごりでしたが。今となっては夢のような会社でしたね。


このお店も社長さんに連れて行っていただいた、バーです。当時は、すべて4桁以上でしが、最近はぎりぎり切っているようです。料理も以前はまったくなかったはずだが、いくつか種類がありました。中でも、ジントニック945円、枝付き干し葡萄840円が美味だったと記憶あり。店名は思い出せないので、代わりに場所は、チェーン店のスーツ屋(コナカ)の裏に当たるところ、と付け加えておきます。
その後、総評会館を右手に見て通り過ぎ、入ろうと思ったカフェは2000閉店。ああ、と思ったらだめもとでと、反対側に戻る形で、これも紹介済みの「NEW YORKER'S Cafe(ニューヨーカズカフェ)」(2124-2144)に到着。ここで、お客さんが何かのやりとりをしている際、動かないと思っていた電車(地下鉄)が動いているらしいとの情報を得る。すぐさま、ワンセグを立ち上げ、情報収集。どうやら、半蔵門線が半蔵門~押上と銀座線の渋谷のほうと、大江戸線全線、三田線と浅草線が部分復旧したことが分かった。この時点でも失敗が。神保町に戻ればよかったのですが、どうせ間引きだろうから、先へ進んだほうが良いだろうとかって解釈して、とりあえず大手町方面へ移動する。考えたら、大手町だと東京駅に近すぎるので本末転倒になりそうだったことから、三越前を目指すも、神田駅を通り過ぎてしまい、途中、岩本駅のA5出口も通過した際、後で知りえたことですが2145頃運転再開したことから、ここで乗って帰れたようです。でも、聞き違いだと勝手解釈して、さらにあろうことか、三越前=日本橋という記憶が掻き消えており、自宅に帰るにはかなり遠回りしてしまった。43分歩いたことに。そうそう、2211頃もう一度公衆電話。昭和通りは比較的公衆電話がたくさんありましたね。ひょっとして、撤去忘れ?
どうにかこうにか、三越前を2227出発し、住吉駅が近づくとアナウンスで都営新宿線が全線開通したとの情報を入手。これで、自宅に帰れるかと思いきや、まだまだ、そう簡単には片付きません。住吉駅で乗り換えて2244頃、新宿線のホームに行くも、なかなか電車が来ないこととホームがいっぱいで3,4本くらい来ないと乗れないらしい、と駅員に確認して、一旦、外に出て、乗換駅ではない隣の西大島駅を目指した2300。

2316到着後、1本目2336頃はパス。2本目2347もすごかったがどうにかこうにか乗車。時速が25kmに制限されているとかで、通常80km走行なら17分で帰れるのに2倍はかかるとのこと。結局0027到着。
トータル 約6時間半
徒歩:65+52+38+43+17=177+α(細かいのと駅移動含む)なので約4時間30分
乗車:半蔵門10分くらい+新宿線34分=約45分、
休憩等:56+20+電話3本=80分
そういえば、去年の今頃(3/20)も東京駅から歩いたっけ。【再掲】
0725自宅に無事到着するも、終電を逃し、東京駅を追い出され(0140)、ホテルは満室。
タクシーは、高いのでパス。結局、錦糸町まで歩き通した(0310)。
リヴインで買い物し(0344)、錦糸町駅がひらくまでベンチで仮眠(0417)、始発0438が4分遅れで出発と思いきや「小岩駅」140分足止めをくらいバス(0625)に乗車。
「篠崎駅」近くのバス停から歩き0653に乗ってようやく本八幡。
0725自宅に無事到着

とういことは、今年のほうが早かったようだ。
今回の自然の怒りは、たまりに溜まった鳥さん(殺処分)の恨みではなかろうか、と主は考える。
他のみんなは無事帰宅できたのだろうか?
そうそう、スカイツリーは作業中の作業員が当時いたらしいが折れることも、落ちることもなかったと一休常連のNさんがおっしゃっていました。