1・17阪神淡路大震災の日が来ると、母が入院していた日々を思い出す。末期のがんで、この一週間後に亡くなるのだが、テレビの悲惨なニュースの映像も、ただ映し出されているだけで、ひたすら母が一日でも長く生きていてくれることを望んでいた。揺れている時も、入院中の母が、ベットから落ちていないかを心配していた。幸い家が壊れるような被害を受けず、母の最期をみとることができたのだが、1995年は、悲しいことばかりを思い出す。20年間も母とおしゃべりしていないことが、いまだ、私の心に重くのしかかっている。母との会話は、楽しかったな。
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