少し前までウトウトと眠っているかのようだった田畑が一気に目覚め活気づく。
家の前の町道も朝夕大きなトラクターが行き交い、畑は耕されて豆まきが始まり、国道沿いの田んぼは田植えが始まった。
大きなかぶの田を引継いだ齊藤圭太の田も水が入った。(お、やってるやってる)
横浜から来た若者が様々な困難にも腐らずに、なんだかんだ続けている。それだけで充分だ。
現象(収量や出来映え等)に振り回されず、じぶんの心の灯を消さずに前を向いて生きていてくれれば。
対、うちの爺さん74も結構頑張っている。
畑の中の水はけの悪い場所を思い切って池にしよう、、、、と思い立ちリースのユンボで何日も池堀りをしていたが、完成を見ぬままユンボは返す事になった。
「切りがない」とさすがに疲れたらしい。働いたユンボは全身泥まみれ。キャタピラーは特に泥々。
それをドウフン(勢いよく水を噴射する道具)で念入りに洗い4トン車の荷台に積み込むまでの作業を何時間も掛けてやっている。
淡々とじぶんのリズムで。(ふふふ、やってるやってる・・・・)
お茶をすすりながら2階の窓から眺めていた。
食べた茶碗も洗わぬひとが、ユンボの汚れを辛抱強く洗い流しているのが可笑しい。
10秒もあれば洗える小さな茶碗は面倒だがじぶんの10倍はある大きなユンボを長時間洗い続けるのは苦じゃない、ってところが男と女(陰陽)の絶妙な持ち味バランスだ。
昔なら見ていられず 相手より自分のやり方の方が早く終わるんじゃないか、悪気はないが何かもっといい方法はないか等とうっかり横から口を出したりしてよく険悪になってたな、、、
今なら分る、ひとはじぶんのリズムでじぶんの思うがままにやってみて、やり遂げたとき素直に自分自身を信頼する力を得る。ていねいにゆっくりでも、大雑把にさっさかでも、その時々を集中して生きる。
毎日毎日一コマ一コマ小さな小さな体験を積み重ね未知なる無限の可能性を感じながら生きていく。
赤ちゃんも、67も74も、このカラダを脱ぎ捨てるまで可能性の追求に明け暮れる。