大きなかぶ農園の日々

じじとばばのゆるい暮らし

酉の市

2021年11月29日 22時23分05秒 | 日記

土曜の朝、目が覚めたら外は真っ白だった。 
(とうとう来たか・・・・) 
 
先週は配達を休み、東京浅草の酉の市に熊手を買いに行く。 
商売繁盛.笑売繁盛を願い願って毎年通っている。 
8年前用事で東京に出かけたときに、ホテルの温泉で言葉を交わした同世代の女性が、酉の市に来たのだと言った。 
「わたしは九州島原で手延べそうめんを作っています」と聞いて「わたしは北海道で米を作っています」と意気投合した。 
「500円でも1000円でもいいの、毎年去年より少し沢山払って、大きな熊手にしていくんですよ」あんまり楽しそうで、、 
酉の市の名前は知っていたが、わざわざ北海道から毎年行く場所とは思っておらず、、、が、心境が一変する。 
行ってみたい。。。行こう。。 行った。はまった。普段人混みや祭り騒ぎには関心が無いが中に入ってしまえば良しだ。 
数え切れないほどの熊手屋さんが大鷲神社の境内を埋め尽くし、個性溢れる熊手が森のように高くそびえている。 
見れば見るほど、どれにすれば良いのか分らなくなるが、どれにも蕪の飾り物が付いている店が目に入る。おっ。。。 
最初の年の熊手はは小さくて鞄に入れて持って帰れた。4年目くらいから飛行機には持ち込めなくなり送ってもらう。 
必ずその時期はそこでアルバイトをするという威勢の良い若いお姉さんと仲良くなって、毎年その店に通っていた。 
ある年、お姉さんの姿が無い。。辞めたらしい。。。お姉さんの居ないそこはなんだか火が消えたように感じた。 
だから、翌年からは行く気が失せてしまい、どんなに夫が誘ってきても「ひとりで行ってきて」となっていた。 
あるとき、お姉さんからメールが来た。夫がちゃっかり渡した名刺を持っていてくれたのだ。札幌雪まつりに来るという。 
アート系の大学の学生さんだった。自分の作品を持って世界の国々をまわりながらパフォーマンスをしているという。 
雪まつり会場で作品を展示するために来た。空中に浮かぶ照明のようなものだったと思うが、、 
会場では会えず、空港に見送りに行きお茶を飲んだ。 
そこにいる彼女は物静かで落ち着いていて、酉の市で熊手を売っていた人とは別人だった。彼女自身もそう言った。 
高校生の時からずっと関わっている酉の市とはそういう魔力のある場なのだという。また会えるだろうか。。 


浅草のホテルでお互いの連絡先を交換してから8年。今も毎年米の注文をもらい、手延べそうめんの注文をする。 
大きなかぶが細く長く続いて来れたのはこの手延べそうめんのご縁があってのことかも知れないと気づいた。 


満足2重

2021年11月15日 08時10分42秒 | 日記

11月半ばになっても家の中でハエが飛び回る。 
テレビ、パソコン、電気スタンド、Fax、ガスコンロ周り、、 
そして人の体にも、、、熱を求めてすりすりスリ寄ってくる。 
それを追いゝピシパシ叩いていたハエ叩きが壊れた。 
10~15年は使っているだろう、多分100円だったハエ叩き。 

ピンク色だったハズが、ほとんど限りなく白に近づいてきたハエ叩き。所々が裂け、叩いても力が分散。打率低下。 
(もういいか。。捨てるか。。。)と一瞬よぎったが、買いに行く手間が惜しい。で、繕う。 
裂けた部分を糸で編み込んで、外側の劣化部分を補強して、、、さらに10年は使えそうに蘇った。嬉しい。

 

同じく、長いこと使っているプラスチックの洗濯カゴ。多分100円で買った。持ち手の片方が取れてから何年も過ぎていた。 
抱っこして持ち運びしていれば不自由はしなかったが、(よし!)とその気になる。 
針金をもう一方の長さとあわせて通し、持つ部分には梱包材のプチプチを巻いてテープで止めて、、、 
一見チグハグだが十分使い勝手良く、満足。これでまた10年は使える。ささやかな2重の満足。

 

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少しづつ冬支度

2021年11月08日 07時43分11秒 | 日記

あれだけ見事な紅葉が今週はすでに初冬のおもむきに変わる。 
あの美しさは脳裏に刻み込まれている。今年は圧巻だった。 
というか、春の桜も秋の紅葉もその時期は見ているヒマが無い。
だとすると、心に余裕が生れたのだ。有難い。

庭の紅葉


週末は訓子府の伊藤農場に今年の貯蔵用の大根200本を仕入れに行く。 
わたしと清美さんがお喋りしながらお茶飲みしている間に、哲義さんがさっさと積み込んでくれた。 
時々畑の手伝いに来るという佐川急便のお兄さんが丁度居てくれて30kはある箱が10個以上と、じゃがいも人参の 
10k箱が20ケース以上を巧みの技で見事なまでに整然と大かぶのポンコツハイゼットに積み込んでくれた。プロだ。。。 
行きは高速をびゅんびゅん飛ばしたが、帰り道はハイゼットの体を労りつつ慎重に下道を60kで休み休み走る。 
11時頃訓子府を出発して夕方5時に家に着いた。昔ならこのくらいの行程はオチャノコサイサイだった夫も 
さすがに疲れたようで、荷物を下ろすのは明日にすると言って、さっさと長沼温泉に行くことになる。 
 今朝、箱を開けると真っ黒い土をまとって大きな大根が(ふうう~~)と目を覚ました。 
おつかれおつかれ♪♪よく頑張った!!これから毎週みんなの台所に行ってお役に立つんだね♪ 
一本一本箱から出してコンテナに詰め替えて、倉庫に貯蔵して、、、、気づいたら夕方になっていた。 
   冬の準備が少しづつ進む。

 

葉を落とした楡の下で昼寝する猫をみている犬、、、、と菊芋の葉

 


縁とは

2021年11月01日 16時34分31秒 | 日記

週末は夜中にザンザン雨が降る。 
「豆畑、グチャグチャだな、、、」乾くまで待つか、、、、、 
せっかく早朝から手弁当で豆刈りに来てくれた東出さん、 
お茶飲みながら久しぶりにお互いの近況報告となる。 
毎年春から農家の手伝いに忙しい東出さん。 
ようやく作業も一段落、が、ゆっくり休む暇も無く、この時期どたばたの大きなかぶに助っ人に来てくれる。
考えてみれば本屋さんだった東出さんとは、今は無いが長沼の丘の上の「絵本やぽこぺん」で出会った。
2005年、そのころあまりにも忙しすぎてヘトヘトになり、、或日突然家を出た。それっきり3ヶ月家には戻らず。。。
開放感に浮かれながら、このまま何処までもこの流れのままに生きていくのだろうか。。。とぼんやり思ったり、
実家、妹宅等々どこにいてもそれなりに楽しいが、、なにか落ち着かず、、自分の居場所は見つからず、
そんな時に  「毎週読んでいた農園便りのブログを読めなくなったのが淋しい。早く帰って書いてほしい」
夫に聞いたのだろうか、実家の住所に分厚い封書が届いた。
中に【永野ひわ詩集・おばあさんになりたい・編集東出隆】と表紙の付いたちいさな冊子が手紙と共に入っていた。
え?・・・ 夫にさえ言われていない「帰れコール」がまさかの東出さんから来た。
過去の農園便りから抜粋した横書きの数遍を縦書きにしてある。詩集だ、、縦にすると詩になる、、、、
じぶんの書いたものをじぶんが読んで、笑って泣いた。
それは東出さんが笑って泣いたものでもあるのだ。。。と気付くと又いっそう泣けてきた。
毎週1回書き続けている大きなかぶ農園便りは野菜を買ってくれる人たちに出来るだけありのままの実態を
さらけ出して「こういう私達ですがよろしければお付き合い下さい」という思いを込めて発信していた。今もだ。
実は、その裏には、自分の生きたいままに生き、親らしいことをなにもしてやれ無かった息子と娘に対して
「ごめんね、ありがとう、母はいつも精一杯生きているよ。あなたたちも本気で生きて」という発信でもあった。
読んでもらっているのかどうかも分らずに、しかしそれでも一方的に書いてきた。
それを本心から待っていてくれる人がいる。。自分がじぶんのままでいいのだとはじめて気づいた。
(帰ろかな、、、)   帰った。そして又何食わぬ顔して書き始めた。
ひわ還暦のとき、農園だより2006-2008年分を詩集「おばあさんになりたい」として東出さんが編集してくれた。
読んでくれた人が このささやかな日常のあれこれにぷっと吹き出し、ゲラゲラ笑った。と言ってくれると嬉しくなる。
豆畑が乾くのを待ちながら、そろそろいつ迎え来るか分らない、2009年からの分をまた編集しようか、となる。
過去の記事の原稿を二人で手分けして抜粋していく。
この時こうだった、ああだったといちいちその時を思い出しゲラゲラ笑ったり苦笑したり目頭熱くしたり、、、、
しかし、よくまあこれだけ色々有るものだ。毎日が物語だ。
 人生は各々が想像しながら創造する。各々のぶんだけ物語がある。

あの時、ヘトヘトになるまで自分を追い込んで、、3ヶ月家を空けていなければ、東出さんとの縁はどうなっていたのだろう?縁とは不思議なものだ。

 

「昼飯は畑でカレーライスだ」と夫が迎えに来た。「そうだった!!」今日は華麗なるカレーライスの日だ。

写真は畑隊の名カメラマンの皆さん