大きなかぶ農園の日々

じじとばばのゆるい暮らし

2021重大ニュース

2021年12月20日 12時00分00秒 | 日記

じわじわと年末カウントダウン近づく。 
今年もあっという間の一年だった。 
、、、、思い出そうと遠くを見るが、、、、思い出せない、、、、 
近くを見るが、、、、昨日のこともすでにおぼろ、、、、、、 
ま、特に困っちゃいない。いいのだ。常に【今】しか存在せず。 
しかし、そんな脳軟化の自分に喝を入れるためにも、今年の重大ニュース1.2.3位をひねり出せないかとしばし。。。 
ぺらぺらとノートをめくる・・・ 

あった、あった
NO3・今年の夏、布団屋さんと知り合い枕を作った。 そして20年使いこんだ羽毛布団を打ち直してもらう。 
使い心地良くて捨てられず、羽根があちこちから出てくるのを風の音治療院でもらった治療テープで止めていた。 
それが真新しい布団によみがえったのだ。布団屋さんと巡り合わなければまだまだ何とかして使っていただろう。

NO2・若い娘さんが夏の間「小さなかぶ」として札幌のビルの7階で大きなかぶの野菜を売った。 
 「八百屋をやりたいので野菜を売ってほしい」と突然メールが来て、「たいへんだからやめなさい」と返事する。 
「どうしてもやりたい」と訪ねてきたので「もうからないよ」ときっぱり引導渡す。しかし、ひるまず。。。 
「ココロはボロ儲けだけどネ、、」と小声でつぶやく。 「そういう仕事をしていきたい」と風のように動き、、、 
 友人のフリースペースを三か月間借りて週1回の八百屋は盛況だった。 結局彼女も大かぶ族だったのだ。

新しい枕を探して千歳のイオンに行ったが決め手がなく買えず、翌日に彼女が家に来た。

すすめる気のない八百屋の話はそこそこに世間話で盛り上がっていたら

枕の話になり、「うち、布団屋なんです」となって、、、あっという間に枕と布団と八百屋の話は融合・統合され、実現に至る。

札幌の布団製造業(株)トリベール、聞いてみれば創業は明治元年。良い睡眠と健全な食生活の目的は「ひとの幸福」ただ其処にある。出会いは必然だった。


NO1・パンパカパーーーーーーーン!! 旅の途中、ひわ若い男子に誘われる。 
早朝4時、京都のホテルの1階の温泉から出てエレベーターで4階で降り、部屋に入ろうとするがドアロックが開かず。 
あれ?違った。と、またエレベーターで5階に向かう。「おひとりでしたら、これから僕と遊びませんか」  
偶然そんな時間に乗り合わせた孫だろうかと思うほど若いボーヤに突然誘われた。「?。。。あ・そ・び・ま・せ・ん。」 
と言って部屋(5階だった)に戻って鏡を見る。 シワ有、シミ有、たるみ放題、、いつも通りだ。。どうした少年。 
シラガはお出かけ用にヘナ染めしてあった。  それか??昔から自慢の後姿(噓だよ)。。。 
「ちょっと、ちょっと!!」まだ寝ている夫を揺さぶり起こし、げらげら笑って報告するも、無反応。 
  千歳空港に迎えに来てくれたO夫妻(5泊6日の留守番を快く引き受けてくれた)に開口一番事件の報告。 
腹押えて笑うひわとは対照的にO夫人は大まじめに事件の真相究明を試みているようで、宙を仰ぎながら 
「・・・やはり、京都という場所は魑魅魍魎の棲む処なのよ。。その少年のような存在は400歳くらいなのかもね。。。」 
おおおお!!!!!400歳からすれば65歳、食べたいくらい愛らしい。そうだそれに違いない。 

さすがに400歳、視力低下で変身年齢設定10~20代にミス。見栄張らず400のそのままのあなたで誘って欲しかった。


フィニュッシュ近し、、か?

2021年12月06日 05時07分13秒 | 日記

老犬のタチがここ数ケ月の間で急にヨボヨボしてきた。 
数年前から寒い時期になれば土間で過ごしているが 今年は足腰がいっそう弱ってきた。 
木曜の朝、はっと思いついて首輪を外した。 
弱った体には皮の首輪はさぞ重く感じたことだろう。。。 
「気付くのが遅れてゴメンゴメン」とヨモギオイルで首をマッサージした。気持ちよさそうにされるがままだった。 
そのあと、もう放しても遠くには行かないだろうが野良犬に間違えられないように小さな絹のスカーフを首に巻いた。 
黒のチェックに赤い縁取りのスカーフ、「タチ、素敵だよ!」とひとり盛り上がったがタチはただされるがままだった。 

酉の市の翌日は新幹線で京都に移動し、無施肥無農薬栽培研究会の定例展示会と活動発表会に参加する。 
除草対策のアイガモロボットの試作と実験が発表され、会場で公開されていたロボットに夫はくぎ付けだった。 
妻は、長野県の伊藤味噌醤油醸造の生醤油にくぎ付け。早速北海道に送ってもらう事にする。 
夜は、毎年夏に京都から圃場の視察と認定に来てくれる無施肥研の小林さん、小米茶園の小野さん二見さんと会食。 
小林さんの従兄弟さんが腕を振るう懐石のお店で、料理には訓子府伊藤農場の野菜がふんだんに使われていた。 
大根の含ませ煮、きたあかりや人参の天ぷら等々にびっくり。心憎いおもてなしに脱帽し美味しく楽しい時間を過ごす。 
「しかし、自然栽培の生産者さんはたいがい奥さんがイヤになって出ていくケースがありますが永野さんのところは 
よく続いてますよね(笑い)」とザックリ聞かれて「イエイエ、うちだってすったもんだのあげく、今ようやく落ち着いて・・」 
で、ここでまた大かぶアーカイブ。15-6年前の90日間妻家出事件を本人なま語りで場が盛り上がる。      
長沼を捨て放浪するナガノヒワと同じ頃に土俵を捨てモンゴルに帰った朝青龍、同日ちゃっかり舞い戻るお話。 
ナガノサトシと横綱審議会が西の空に向かって(もうあきらめるか・・)と思うやいなや、、まさかの帰還。 
一同ゲラゲラ笑った。今更ながら、あの時のエネルギーは一体何処から来たのか、、、感慨もひとしお無量。 
女性性が自分の家族のために家族の分の作物を自分の手で作りたいという欲求に対して男性性はより広く、多くの 
人のために、社会のために等と欲求し、その為に様々な機械を使って、ああしてこうして、と何処までも広がっていく。

ひと月に一個の卵を産み出す生理と、四六時中?無数の精子を生産する生理を持つ男女の異なりを思えば当然だが。 
頭でわかっていても腹に落とすまで20年を費やした。。。。。そのための20年だった。そのための結婚(夫)だった。 
この真理さえ腹に落ちたら無駄なエネルギーを消費する必要がない。自らを偽らず、各々がそのままで成り立つ。 
・・・がんばったな、若いじぶん。未熟がゆえに純粋で、小さな剣を腰に差し果敢に進む一寸法師のようだった。。 
「ナガノサトシさん毎日伴走ほんとにご苦労様。あなたほど忍耐と愛に満ちた存在に出会ったことはありません」 

今、そう思う自分に初めて出会う。。。。。そろそろフィニッシュか?