大きなかぶ農園の日々

じじとばばのゆるい暮らし

100円玉

2024年03月10日 10時10分20秒 | 日記

長沼温泉の脱衣所ロッカーに100円玉を入れようとして

カキーーン!といい音がして落ちて転がる。

あっ、転がったかなと思う方を目が追う。無い。

足もとに転がってきた100円玉と落とし主に気づき「ありましたよ」と

拾ってくれる人も無く。

結構混み合っている人の間を縫ってまで探すのもはばかられ、

小銭入れから100円を出してロッカーを閉めた。

湯船に浸かっていても100円玉のことを思い、

あの”カキーーン!”はどこにぶつかったんだろう、、

自分の足もとにポトンと落とすことは何度もあったが、あの音なら遠くにまで行ったか、、、、

早く出て反対側の床も見てみるか、、、

と いつまでも100円玉に執着している自分を笑う。

ほとんど毎日通うこの脱衣室で前の人が取り忘れた100円玉に何度巡り会ったか、、、、

「お!ありがとう!」その100円玉でゆっくりとマッサージチェアーに身を委ねたり、

ソフトクリームやコーヒーになって神様がくれた贈り物に顔も心もしばしニマニマ。

そのまま置いて次の人がびっくりして喜んでいる様を想像し、神様気分になったりもする。

帰りに「忘れ物です」と受付のお姉さんに渡すのもよいが、子供なら様になろうけれど

いい年のバアサンがあえて正直者ぶるのも照れくさい、感謝で受け取り還元する方が性に合う。

普段マッサージチェアーは使わないし、飲み食いもしないからこんなことが小さなメリハリ。

そんなこんなを思い出していたら落とした100円玉に執着する気持ちが消え、探すことはせず。

後から上がってきた夫に「ねえねえ、100円玉がさ、これこれしかじか、、」と報告するが

反応も鈍くピント外れ、そそくさと玄関に向かう途中「あ、落ちましたよ!」と若者に声かけられる。

床に帽子を落としていた。再び「落ちましたよ!」手袋も落としていた。

「あ、ありがとう!」

夫が拾わぬ話を若者に拾われたような気がして、ふふふとひとり満足笑い


おひなさま

2024年03月04日 09時09分39秒 | 日記

        

 

3/3朝 「きょうはおひなさまだな」 と夫が言う。

「あ、そだね。」出すの忘れてた。

「出さないのか、、、」 はあ?もういいんでしょ、、と思う。

しかし、残念そうにしているので ”はいはい” としまい込んである棚から引っ張り出して飾る。

おひなさまの御顔を見て思い出した辰巳芳子さんの言葉。

この言葉に支えられて生きた時間があったことを。。

 

行事(雛祭り)に寄せて 辰巳芳子著 ”味覚日乗”より抜粋

日本の年中行事は、人々の心の願いから生れ、質素に意味深く形を整えました。

私の内裏雛も、みづらの髪に冠はなく、静かなきめこみです。

ただ 「これは菅原道真よ、貴女が賢い人になるようにと思って」 の母の一言が

何ものにもまさる価値を添えました。

五色の座布団も、絹でなくモスリンで、若い親の心尽くしそのものでした。

自分によきことを願う大人達の心を 子供が感じとらぬはずがあるでしょうか。

「雛祭り」それはこころの深みにぼんぼりで照らし出されるように、

私を慈しんでくださった人々の顔がよみがえる旬日です。

語りつがれた女の子の幸せを願って、昔の人はなんとまめやかに立ち働いたことでしょう。

片付けは飾る手間の三倍程かかりますのに、言葉にも動きにも

「だから止めておきましょう」はありませんでした。

かたちから入って、こころをとりもどす方法もあるのです。

少しの気力で想いを手足に通わせる呼吸も こんな時、ふと身につくものです。

 

♡我が家の10分もあれば出し入れの出来るものを面倒がっていた自分の頭をぽりぽり。。。