退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#802: 思い出します。

2017-01-22 20:55:32 | アメリカ便り
明朝5時出発です。
7時10分セントルイス発シカゴ行きに乗って、それから10時55分の成田行きです。
そして札幌行きが成田発午後6時50分。
北海道地方は大雪だそうですね。
昨日は130便が千歳で欠航とか。
冬の旅は飛行機に限らず覚悟がいります。

アメリカ国内の飛行機も遅れなければいいけど、こちらの航空会社は時間通り出発なんてことは50%もないのでは。
とにかく無事つけばいいけど。

子供たちは10ヶ月から年に1回は必ず帰っていました。
歩けないときは抱っこサックに入れて、主人が帰る帰らないに関係なく子供と一緒に帰っていました。
子供が一人がら二人になった時、拷問的時間を狭い飛行機の中で味わいました。
子供のかかりつけの医者に相談したら、“ベネドリル(アレルギーの薬)を飲ませなさい、4時間は静かに寝るから”と言われ、即実行したら、効きました。
でも本当に4時間でした。
後は通路を行ったりきたり。
昔の座席には今みたいにテレビがついていなかったので、ゲームボーイとか本を読んだりとかいろいろやって13時間飛行と言う長い長いときをすごしました。
でも当時はCAのお姉さんたちが優しく抱っこしてくれたりしました。
今からでは考えられないですね。
最近のCAはただ仕事をこなすと言う感じがします。
昔はよかった。

でもどうしてこんなに苦労してまで子供を年1回日本に連れて行ったんでしょうね。
主人は普通のアメリカ人で別に日本人が好きで日本人と結婚したかった、なんて人ではないし。
だから日本へいったって自分からなんかすると言うよりは、いつも私の金魚の糞をやっているし。
子供を私の両親に合わせたかったと言う願望も、それほどにはなかったと思います。
何せ、私たちがきていようがいまいが、自分のスケジュールは絶対に変えない母で、朝から夜まで家を空けることが多い人でしたから。
自分で自分に腹を立てていました。
どうしてこんな両親のところに、私の1ヶ月の休暇を使い果たし、エネルギーも使い果たし、お金も使い果たしてこなくてはいけないんだろうって。
でも結局は私のためでもなく、両親のためでもなく、子供たちのために(と私は思っていますが、子供たちが果たしてどう思っているかわかりません)毎年帰ってきたと思います。

日本人の遺伝子が入っている限り、子供が親の自由になる間は日本と言う国に接してほしかったからだと思います。
日本の保育園にも小学校にも短い期間通うことができ、友達もできたし。
運動会にも出たり、お祭りにもいったし。

そんな子達も25歳と27歳。
親(私!!!)の苦労を知ってか知らずか、わかりませんが。
マイナスにならなかったことだけは確かだと思います。
問題はその経験をいかにプラスにしてくれるかですね。

では今日は早く寝ます。

では日本で。

ハブグレジュンタのマミー