退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1176: 平等

2019-03-18 08:10:27 | アメリカ便り
土曜日に娘のところから帰ってきました。
ピッツバーグ空港に向かうハイウエイでは雪がちらついていました。
マッチングデイも無事終わり、娘は行きたかった所へ行けることとなりました。
でも娘のこと、‟あっちの方がよかったかな?!”。
いつも、ないものにあこがれる娘です。
これからこの大学病院で3年間小児科で研修医としてトレイニングです。

あとは5月に卒業式と引っ越し。
なんとなくこの先も娘には振り回されるでしょう。
頻度は減ると思いますが。

家に着くとアリッサから映画(アポロ11:ドキュメンタリー)のお誘い。
後、10分で出るとのことで、急いでジュンちゃんキキちゃんと少しだけ遊び4人で映画館へ。
今年アポロ11の50周年記念なんです。
1969年6月16日(娘の誕生日)、ケネディーの夢を乗せたアポロ11は月へと出発。
宇宙基地の映像を見て何よりも驚いたのは、‟わー白人男ばかりだ”。
当時のアメリカ宇宙計画って白人男性主体。
NASAはほぼ100%白人男性。
映画の中では黒人は一人しか見ませんでした。
女性もごく数人。
先日、‟Hidden Figures:2018放映" と言う、1961年に宇宙計画を陰で支えた黒人女性3人(実在したエンジニア、数学者、コンピューター)の映画を再度見たばかり。
こういった黒人女性(男性も)がもっとたくさんいたら、今のアメリカ黒人の人権ももっと上がっていただろうし、差別も今よりはよくなっていたと思います。
この黒人女性たち、実力で地位を築き上げて行ったところがすごい。
実力で、法律を変え、慣習を変え、パーセプション(黒人は黒人)を変えていった人たち、人種にかかわらず尊敬しかありません。

1961年、まだ本格的黒人運動なんて始まっていなかったときに、個人の実力だけでここまでやるとはすごいことです。

1960年代の黒人運動後、黒人はいろいろ獲得しましたが、黒人と言うだけでいろいろ特権を与えられました。
私自身、アメリカ白人社会でさえも差別と言うのは受けたことも感じたこともないので(単に私が鈍感で態度がでかいというだけではないと思いますが)、黒人の立場でものをいうことは避けたいのですが、一般黒人にとって、今の平等と言うのは、道のりは大変でしたが、いざ始まってみると‟空から降ってきた”的物のように感じます。
つまり、与えられたものにすぎない。
白人の間にだってすべてが平等か?と言えばそれはあり得ない。
ごく一般的、白人用黒人用のトイレが無くなったとか、人間としての根本的平等はアメリカ社会では普通に存在する。
でも与えられた平等、つまり根本的平等で満足してはいけない。
今の黒人(ばかりではなく)に必要なのはそれ以上の平等を、獲得しようとするモーティベーションと思います。
今はどうかわかりませんが、以前は黒人と言うだけで、特に黒人女性なんかは成績がそれほど良くなくてもアイビースクール、医学部に行けたり、就職も良いところにできたました(逆差別)。
私の勤めていた製薬会社は、私の周りに黒人は二人しかいませんでした。
それもまるっきり働かず(一人はテクニシャンで、グループで宝くじを買う時だけ、腰を上げる女性、もう一人は労働時間会社で最短の男性)会社にとっては金をくれてやるだけの存在でした。
でも会社はもっと黒人を雇わなければ、政府から黒い目で見られるということで、リクルートに出かけましたが、黒人のサイエンティストなんてそうめったにいるわけではない。
結果的に能力を下げてもいないということで、やめたようです。
私が行った3流大学の大学院でさえ、一人だけいた黒人男性はすぐにドロップ。

一定水準に達した後の‟平等”は、努力しなければ得ることができないということを、今の黒人は理解すしなければいけないと思う。

ハブグレジュンタのマミー