退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#2104: 掃除をしていたら、❝ふっ❞、と母が現れた。

2024-09-09 01:56:43 | アメリカ便り
おはようございます。
今日もさわやかな朝を迎えております。
朝の散歩は薄いジャケットがいるぐらいの涼しさ。
朝の散歩から戻って、においのしてきたバナナを何とかしなければと思い、しばらくご無沙汰していたバナナブレッドを作りました。
至極簡単でバナナ、卵、砂糖、バターをかきまぜ、それにレモンゼスト、ベーキングパウダー、クルミ、小麦粉(全粒粉も半分)を混ぜて型に入れ焼くだけ。
アメリカのお菓子類を作るときに気を付けなければならないことは砂糖の量。
作り方の通り入れると❝あま~❞、となるので、大体半分から3分の2 の量の砂糖を使うことです。
本当にアメリカと言うか、日本以外の料理って繊細さに欠けるおおざっぱな味付けなんです。
と言っても、私はミシェラン3スタートか4スタートとかのお高い有名レストランで食べたことがないんですが。
バナナブレッドを焼きながら掃除も。
私は1週間に1回しか掃除をしないんです。
キッチンのフロアーをほうきではいていた時、ふっと思い出しました。
あれは小さな子供を抱えて日本に帰っていた時のこと、今日と同じように掃除洗濯料理がまるっきりダメ、と言うか嫌いな母に代わって掃除をしていた時のことです。
ほうきで床をはいていた時、母が急須からお茶ガラを取り出し、勢いよく
それも水切りもしていないびしょびしょの茶ガラを床にばらまいたんです。
❝何やってんの❞と私が叫ぶと、❝こうやるとゴミが舞い立たないしきれいになるよ❞、と知ったかぶっちゃって白々と言う。
掃除を大したしたことがない者が。
忙しい時をさいて、洗濯料理が嫌いな母に代わって全部やっている私の前で余計な仕事をつくりやがって。
水切りもしていない茶ガラはほうきでもはけないし、床は水浸しになって仕事が増えただけ。
❝60才過ぎて孫がいないのは私だけだ!❞と私が日本に帰るたびに言っていたくせに、いざ子供ができ、それも二人もできほぼ1日かけて帰っても相変らず、朝ごはんも作らずボランティアーと言って朝早く家を出ていく。
子供との遊び方も知らないから、結局は❝母親に子供を預けて遊びに行こう❞、なんてことにも大してならなかった。

開拓農家に生まれたけど、結構裕福だったんでしょうね、❝私は当時札幌で2つしかなかった白いバッグを買ってもらったし、女学校にも通った❞、と言ってました。
だからわがままで負けず嫌いだったんだよ。

大酒のみと言うか酒に飲まれて狂う父親、素行が悪いため中学時代から家を追い出され、寄宿舎に入れられた父親、母との結婚も偶然で、仲人が母の結婚相手と結婚まじかになって喧嘩したため、そこらへんにいた家柄と顔が良かった父を連れてきて結婚させたそうな。
なんかの小説か漫画にでもなりそうな両親の間で大変な時を過ごした私ですが、もう終わりも近くなってきて、❝終わりよければすべてよし❞、と言う気持ちでいます。
でも生まれ変わったら、この両親の間には生まれたくないですね~。

ハブグレジュンタのマミー










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