人生は、誰にも代わってもらない。忙しいから、私の代わりに、ごはん食べといてと言っても、自分のお腹はいっぱいになりません。どんなに忙しくても、自分で食べて、それが、生きる活力になるのです。幸せに、棚ぼたはないのです。幸せは、向こうからやってきません。自分から、取りに行くしかありません。仏さまを、大切にされるお宅さまは、幸せに暮らされてます。幸せだから、大切にするのか、大切にするから幸せなのか、どちらも正しく、良い循環が生まれるのです。しかしながら、この世の幸せと言うのは、永遠なる幸せではないのであります。本当にその方が幸せなのかどうかも、わからないのであります。お金があっても幸せを感じない方も沢山いらっしゃる。また、幸せに見える方の背後には、多大なる苦労や悲しみ、苦しみを背負っていらっしゃるの
であります。逆に、不幸に見える方が信仰によって、幸せに生きている方もたくさんいらっしゃいます。鎌倉時代、開花した日本仏教の祖師方は、この世の真実なる幸せを見抜かれた方々ばかりであります。真実なる幸せは、仏様となることです。しかし、私には、それこそが幻に見えてしまうのであります。しかし、歳をと重ねていくうちに、真実に思えてくるのであります。