浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
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4月の法話

2016-04-10 18:08:53 | 法話

京都での四年間を振り返って

皆さまこんにちは。私は住職の息子である伊東英明と申します。今回は私が京都において経験したことをお話ししたいと思います。

私は4年前から、京都にある龍谷大学において、浄土真宗の教えについて学ばせていただきました。この龍谷大学という学校は、私

たちの本山である西本願寺が江戸時代に建てた歴史の深い大学です。私はここで、他のお寺の子や浄土真宗を深く学びたいという

門徒の方々と共に浄土真宗について深く学ばせていただきました。

さらに私は、他にも京都において様々な経験をさせていただけました。まず挙げられるのは、関西の文化についてです。ご存知の方も

多いと思いますが、関東と関西では同じ日本でも多少異なるところがあります。例えば、うどんの出汁の濃さ、言葉遣いなどです。特に

私は関西弁に慣れるのが大変でした。しかし、次第に私も関西弁になり、自分も使うようになったことから、関東の実家に戻った時に

関西弁をつい使ってしまって、家族に笑われたりもしました。

京都という地は今では世界的にも有名な観光都市であり、清水寺や金閣寺など有名な寺院が数多くあります。さらに京都には、浄土

真宗の本山である西本願寺、親鸞聖人が得度をされた青蓮院門跡、親鸞聖人が修行をされた比叡山延暦寺など、浄土真宗のゆかり

の地が数多くあることから、私も勉強の合間をぬってこうした寺院を訪ねました。すると、私はあることに気づきました。私が訪ねた寺

院には多くの観光客がいます。その中には南無阿弥陀仏とお念仏をお称えしている方もおられました。家族皆でお参りする人、夫婦

でお参りする人、一人でお参りする人、様々な境遇の人々が阿弥陀様に南無阿弥陀仏と称えていらっしゃるのです。私はこうして老若

男女問わずお寺にお参りする人を見ると、とても暖かい気持ちになり自分もお念仏をお称えさせて頂きました。

 

私は京都で1人暮らしを終え、気づかされたことがあります。それは人の繋がりです。私は1人暮らしを始めた当初は他人の力ではな

く、自分の力だけで暮らすことができていると思い込んでいました。しかし、実際はそうではなく、京都にいる友人や神奈川の家族の支

えによって私は1人で生活をすることができたのです。もし自分の力だけで実際に生活しようとしてもどこかで誰かのおかげによって私

は生活をさせてもらえたのです。この京都での1人暮らしの経験から改めて自分が周りの人々に生かされていることに気づかされまし

た。さらに実家から離れた場所でも自分のことを阿弥陀様は見守ってくださっていたのかなと思いました。皆様の中には普段遠くに住

んでいる家族がいる方もおられると思います。そうした遠くに住んでいる人にも距離に関係なく阿弥陀様は私たちのことを心配して見

守ってくださっているのです。

私は法徳寺に戻りましたが、これからも皆様と共に念仏の道を歩ませていただければと思います。

 

伊東英明


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