税務調査が終わりました。特に、会計をしている坊守は、かなりのストレスだったと思います。しかし、会計を税理士さんに、毎月、チェックして頂いてますし、当日も一緒について下ってましたから、心強かったと思います。この日は、税理士さんが阿弥陀如来にみえました!私は、法事があり同席しませんでしたが、特に問題もなく、私が、呼び出されることはありませんでしたので、私としては助かりました。最近、本山からも、寺院管理運営の適正化なる研修会が度々あります。急にどうなったんだろうと思っていたのですが、管理運営がずさんだということなのでしょう。私も、住職として、責任ある立場なので、今でも、91歳の父親からも、厳しく言われます。いちよ、ちゃんとやってるつもりなんですが、いまだに、信用されてないような?檀家さんからも、お経読んでるだけだろうとか、坊主丸儲けとか(冗談ぽく)いわれますが、私は、心の中で、「試しに、やってみろ、結構、大変だぞ!」と思います。さて、税務調査に、必要な過去5年間の予定表と帳簿を見ていましたら、コロナ禍のときの予定表は、すごいことになってました。土日であっても、ほとんど法事予定が入っていなかったり、コロナの始まりの頃は、予約済の法事は、全部キャンセルになっていたり。現在は、また、土日となれば1日で10件位のご法事があったりします。また、ありがたいことに、とても忙しくなりました。最近、予定表を見ると。何も予定が書いてない日がほとんどありません。お寺には定休日もないし、仕事とプライベートの境がなく、今は、長男の副住職がいるので、私も自由な時間があるので助かりますが、1人の時は、ほんと、大変でした。今でもですが、他のお寺の住職に助けてもらってます。葬儀も少し落ち着きましたが、皆様もどうぞ油断せず、お体大切になさってください。
人生は、誰にも代わってもらない。忙しいから、私の代わりに、ごはん食べといてと言っても、自分のお腹はいっぱいになりません。どんなに忙しくても、自分で食べて、それが、生きる活力になるのです。幸せに、棚ぼたはないのです。幸せは、向こうからやってきません。自分から、取りに行くしかありません。仏さまを、大切にされるお宅さまは、幸せに暮らされてます。幸せだから、大切にするのか、大切にするから幸せなのか、どちらも正しく、良い循環が生まれるのです。しかしながら、この世の幸せと言うのは、永遠なる幸せではないのであります。本当にその方が幸せなのかどうかも、わからないのであります。お金があっても幸せを感じない方も沢山いらっしゃる。また、幸せに見える方の背後には、多大なる苦労や悲しみ、苦しみを背負っていらっしゃるの
であります。逆に、不幸に見える方が信仰によって、幸せに生きている方もたくさんいらっしゃいます。鎌倉時代、開花した日本仏教の祖師方は、この世の真実なる幸せを見抜かれた方々ばかりであります。真実なる幸せは、仏様となることです。しかし、私には、それこそが幻に見えてしまうのであります。しかし、歳をと重ねていくうちに、真実に思えてくるのであります。
明日は、税務調査があります。私は、2回目、前回は、まだ、副住職でしたが、今も鮮明に覚えてます。さて、いろいろと関係書類そろえないと。
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時間の無駄使いは、いのちの無駄使いです。限られた時間をどう生きるかが、人生の最重要課題です。自分の命ですから、好きなように生きたら良いのであります。人生を振り返ってみた時、後悔することが、既に予想される生き方ばかりではないでしょうか?だから、生き方に関する本やYouTubeの動画はたくさんございます。しかし、みんな長続きはしないのであります。私の立場で1つ申し上げれば、亡くなられた方に対して、恥じない生き方をすることではないかと思います。これこそが、最高の供養であります。他人の見ていないところでも、仏様には見られています。決して監視しているのでもなく、見守られているのであります。他人に見られていなくても、仏様には見られている、そう思うと、自然と生き方が変わるのではないでしょうか。美しく生きるとか、かっこよく生きるなんて、考えず、他人と比べず、自分らしく生きる、なるべく、ストレスのない生活をおくる。私たちの人生を、より良いものにしてくれるのであります。たとえ、誰も見ていなくても、仏様は見ておられるのであります。これは、大事な視点でございます。また
人生は振り返らず、ただ、前を向いて生きる。これも良いと思います。これは難しいけれども、そのように生きる事は、大事ではないでしょうか。過去の経験から学ぶことは、たくさんありますけれども、大抵、自分の都合よく学ぶのであります。だから、また、同じ失敗を繰り返すのです。私たちは、今を生きていないのです、いつも心は過去か未来に、いってしまっています。
今日は、早朝から、父親の付き添いで、病院に行ってきました。全てが終わり、帰ってきたのは午後2時でした。覚悟はしていましたが、こんなに時間がかかるとは。ただ座っているだけなのに、病院は疲れます。この病院にいくと、いつも、父親が、お前たち兄弟が、産まれた病院だといつも同じ事をいいます。今はすっかりきれいになって、とても快適ではあります。皆さん親切で、ほんとにありがたいことです。待たされるのは、好きではありませんけれども、空いてる病院もちょっと不安です。なんだか混んでると安心します。しかし、誰1人として、なんでこんなに待たされるんだ!と怒る人がいません。一昔前には、怒っている方を、結構、見かけました。皆さん、スマホを持ってるから、スマホが時間つぶしとイライラを鎮めてくれるのだと思います。スマホさまさまです。救急車が、頻繁に病院に到着していました、この時期は、特に多いのだろうなと思います。明日は我が身であります。お互い体調に気をつけましょう。とは言っても、体の中で、何が起きているかなど、私たちにはわからんのであります。だからこそ、阿弥陀如来の救いは、今の救いなのであります。たとえ、今が臨終でも間に合う救いなのであります。