Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

どうなるか大統領選挙

2007年05月06日 | 生活
5月2日に恒例の大統領選挙候補二人のテレビ討論会がありました。
1974年に始まったこの最終候補者同士の討論会はかなりの緊張感を持ったものです。

1974年はジスカール・デスタンとフランソワ・ミッテラン。
ミッテランはこのテレビ撮りをそんなに重く見ていなかった。それに比してジスカールは準備万端だったらしいです。
自分がエレガントに見えるようにどの位置から撮るとか、テレビに映る枠を決めたりしていたらしいです。
これでミッテランは押されてしまい、敗北を記したと言われています。

次の1981年は同じく、ジスカール・デスタン対ミッテラン。
この時はミッテランは前回の教訓を身にしみて感じ、準備は万全。
歯も治して、口元はぐっときれいになりました。
討論においても、前回はジスカールに押されっぱなしが、この時はミッテランが押しっぱなし。

余談ですが、このとき、私はワーグナーの「神々のたそがれ」の本番の時でした。
どっちが勝ったかをミッテランだったら指三本下に向けて、ジスカールだったら日本をVの字にして示す、との決まりを作り、インスペクターが教えると言う、まことに不埒な事をしました。それくらい関心の高い選挙でした。

その次は1988年、ミッテランとジャック・シラク。この時はミッテランは大統領で、シラクは首相でした。
大統領選挙ですから候補者として同じ立場で話す事が建前で、そのようにいいながらも、ミッテランは終始、シラクのことを、「Premier Ministre」(首相)と読んでいました。すごい狸親父ですね。いやらしいくらいですよ。でもそれくらいしないと相手を蹴落とせないのかな?

そこで、この5月2日のサルコジーとロワイヤルの対談ですが、それまでの対談に比べると、ぐっと格が落ちた気がしました。

ロワイヤルは素敵なスーツに身を固め、髪型もシンプルに、しかしとても清楚な感じにまとめ見た目はばっちり。視線は終始、サルコジーに向けられ、押し出し十分でした。
それに比して、サルコジーはしょっ中視線は司会をするジャーナリストの方に向けられ、ちょっと背中も丸めて、ロワイヤルに押される感じを受けました。

話す内容はサルコジーのほうが具体的でわかりやすく、キッパリしていましたが、このキッパリした所が怖いと思います。

内容は内政の事に大半が向けられ、国際面での話が少なかったのが残念でした。

どちらが当選しても、今までのフランスのあり方がかなり変わってくる気がして、多少危惧を抱きます。

これが危惧ですんでくれることを切に願って、みんなに「しっかり投票しててね!」と言ってきました。