昨年11月に娘の内輪の結婚披露宴のために日本にいきました。
義母が病気で今年の6月の結婚式に出られそうにもないため、
是非おばあちゃん2人にフィアンセとの仮の結婚式を見せたい
との娘の願いでした。
フィアンセの家族12人が日本に行く事になり、会食程度の
披露を考えていたのが結局大がかりなものになり、
ホテルの一間を借りて、娘とフィアンセは着物を着て
進行も本当の結婚式のように執り行われました。
親族もフランス人が大勢来ると言うので、着物を着た方が多く、
暖かな、いい結婚式となりました。
病気の義母も病院から車椅子で運ばれ、いつもは食事も
進まないのに、出されたものはほとんど食べ、娘のスピーチに
涙しました。
それから1ヵ月半後、義母は89歳で永眠いたしました。
連絡を受けた朝に飛行機のチケットを取り、家族4人で
27時間の旅行の末、家で静かに永遠の床に着いた義母に
再会したわけです。
クリスマスカードと年賀はがきを出さねばと思っていた
矢先でしたが、それも出さずに2009年が明けました。
また新しい年が始まります。
色々な思い出を心に抱きながら、足を地に付け、毎日を
送らなければと思っています。
義母が病気で今年の6月の結婚式に出られそうにもないため、
是非おばあちゃん2人にフィアンセとの仮の結婚式を見せたい
との娘の願いでした。
フィアンセの家族12人が日本に行く事になり、会食程度の
披露を考えていたのが結局大がかりなものになり、
ホテルの一間を借りて、娘とフィアンセは着物を着て
進行も本当の結婚式のように執り行われました。
親族もフランス人が大勢来ると言うので、着物を着た方が多く、
暖かな、いい結婚式となりました。
病気の義母も病院から車椅子で運ばれ、いつもは食事も
進まないのに、出されたものはほとんど食べ、娘のスピーチに
涙しました。
それから1ヵ月半後、義母は89歳で永眠いたしました。
連絡を受けた朝に飛行機のチケットを取り、家族4人で
27時間の旅行の末、家で静かに永遠の床に着いた義母に
再会したわけです。
クリスマスカードと年賀はがきを出さねばと思っていた
矢先でしたが、それも出さずに2009年が明けました。
また新しい年が始まります。
色々な思い出を心に抱きながら、足を地に付け、毎日を
送らなければと思っています。