瀝瀝(れきれき)散歩道

瀝瀝というのは「水が音をたてる様子/風が音をたてて吹く様子」つまり、「ありのままの風景」ということでしょうか。

古井先生

2022-09-22 15:18:22 | 日記


シャカ、シャカ、シャカ、シャカ
正門の方から、腕をしっかり振って、歩いてくる男性がいました。歩いてくる、というより、体操の時間の行進のような感じで、かなりのスピードが出ています。
こんな歩き方をする人は、東工大にはただ1人しかいません。
もちろん古井貞熙先生です。何百メートルと離れていても、あ、この歩き方は古井先生だ、とわかるのです。
先生は私に気づくと「こんにちは!」と挨拶しながら手を挙げて、シャカ、シャカ、シャカ、と、また真っ直ぐ前を見てずんずん歩いていきました。

ある時、先生は「最近の若いもんはけしからん、メールの返信が遅い!」と、若干、おかんむりでした。
「若いもん」とは学生からスタッフまで、先生より年下の者ということです。
50を超えて、若いもん、と言われるのは悪くははない気持ちですが、、、
「先生、メールの返信はどれくらいで出せばよいのでしょうか」と聞いてみると
「3時間以内ですね!」スパンと答えられました。
ああ、きかなければよかった!
古井先生からのメールはこれから、3時間以内にお返事しないといけないんだ、、と少々後悔をしました。

インドネシアに行った時のことです。移動中、ある町のホテルに1泊しました。
このホテルの近くにジャコウ猫のコーヒーを売っている掘っ建て小屋のコーヒー販売所がありました。
「なんだなんだ、なにがあるんだ」という感じで、学生数名でそこにいきました。古井先生も後ろの方から、シャカ、シャカと歩いてきました。。
ジャコウ猫のコーヒーは「コピ・ルアク」と言って、非常に高価なコーヒーです。
掘っ建て小屋の隣にはジャコウ猫(と言ってもとびっきり大きいネズミ、という感じです)が、四段ぐらいに積み重なったケージに入れられて、飼育されていました。
こんな狭いケージに入れられて、とすごくかわいそうな気持ちになりました。
「かわいそう、、、」と古井先生もつぶやいています。
でもそのあとすぐに「100グラムのコーヒー二つ」とサラッとコーヒーを注文されていて、ちょっと笑いました。





古井先生とご一緒させていただいた学外での学習のひとつに「福島第1原発」関連がありました。
すでに東日本大震災から4、5年が経っており、さまざまな復興プロジェクトが立ち上がって、若いリーダーを中心に活動が続いていました。
そのグループとの意見交換が一つの目的でした。
あるグループはその地方に合った海岸線、そして防砂林を作ろうとしているグループ。東工大の卒業生の方が中心になっていました。
小さな子どもを持つお母さんたちの支援、漁業の活性化を図るグループ等、リーダーたちは、課題や成果等、たくさん復興について、語ってくれました。
福島第一原発を遠望できる、荒荒と広がる草ぼうぼうの場所を訪ねた時は、皆しばらく黙ってそこに佇んでいました。
点々と船や家の残骸。
ただ、そこにいるだけで、被災者の悲しさや虚しさを感じ、心がいっぱいになったと思います。
古井先生は特に何も話しませんでしたが、古井先生の教室を飛び出した野外クラスは、言葉はなくても大きな何かをみんなの心に与えました。


古井先生といえば、学生とメンターが一緒に話したり、ゲストをお迎えして交流するAGLカフェのかなり常連に近いメンバーでした。
もう何度ぐらい参加してくださったでしょうか?
AGLを離れてアメリカの大学に行ってからも、日本に戻ってきたらAGLカフェに参加してくださいました。
「古井先生来たる!」というメールをさまざまな人に送りました。
先生は参加している学生に「君は何を専攻しているの?」「ほう、それはすごいね、、、」と語りかけて、
学生の話題に合わせて、コメントをしてくれます。
相手中心の会話を続けるというのは、なかなかできない「技」です。
人はつい自分のことを話したくなってしまうのですが、古井先生は常に学生の話を「聴く」ことに集中していました。
そして2時間ぐらい経つと、「じゃあ、これで」と言って、ススっと帰っていきます。
そのスパっとした感じが、なんだか「古井先生らしい!」

愛すべき古井先生。先生は本当に多くの学生に愛されました。
先生の素晴らしいところはたくさんあるけれど、なんと言っても学生にもスタッフにも「公平」であった、ということです。厳しい時は厳しく、優しい時はめちゃくちゃやさしく、
ご自身の意見を上手に、周りの人に伝えました。だから何かあれば、みんなが古井先生の
周りに集まってくる。やっぱり、そして本当に古井先生は「大した」先生です!



古井先生は東京工業大学の栄誉教授。今年の春、がんで帰らぬ人となりました。
ものすごい業績のある先生でしたが、偉ぶることなく、誰にでも親しみを持って接してくださったと思います。
実はとてもお茶目な一面もあり、、、忘れられない先生のひとりです。