6月末、ふらっと「ひとりクラブ活動」にでました。
今回はJR東日本の「大人の休日倶楽部」4日間新幹線、特急乗り放題のチケット(15000円)を使って
盛岡〜秋田小坂町〜大館〜秋田市〜仙台〜山形の旅です。
1日目、陸上自衛隊、大学での講義を終え、
東京から午後6時20分のはやぶさに乗って、まずは盛岡に向かいました。
ちょっと遅めの夕飯は盛岡冷麺です。
次の日の朝9時、盛岡駅から高速バス「あすなろ号」で秋田県小坂町へ出発。
秋田県小坂町は盛岡から青森行き高速バスで1時間半かかります。
途中、花が綺麗な小さなバスターミナルでちょっとだけ休憩。
秋田県立小坂高校前というバスの停留所で降りました。
小坂町のホームページによると、ここから歩いて15分で街の中心に出ますが、、、森に囲まれた一本道は土曜日のため、誰も歩いていないし、
車も時折通るぐらい、途中雨も降ってくるし、なんだか心細くなる道を進んでいきました。
予想通り街まで30分はかかりました。
町に一軒のホテルに着くと、支配人が尋ねました。
「どちらからいらっしゃいましたか」
「小坂高校前のバス停です」
「えっ、大丈夫でしたか。先週、何度も熊が出たんです!」
「え〜!!」
さて、午後1時過ぎにホテルに到着、そのまま、お目当の観光にいきました。
ホテルのレンタサイクルを借りて、いざ出発。
ほとんど誰とも出会わない町には、明治時代の貴重な貴重な建造物が2軒あるのです。
写真はすべてが天然秋田杉で作られた木造3階建て明治38年竣工の重要文化財、旧小坂鉱山事務所です。
小坂鉱山は明治6年にドイツ人のクルト・ネットーが赴任し、新しい精錬法を伝えると、大発展し、生産量が増大しました。
その後、銀山は産出量が減り閉山寸前まで行きますが、金銀銅亜鉛などが混ざり合った鉱山から、銅のみを抽出する技法を確立
明治35年には大溶鉱炉が完成し、日本一の鉱山と言われるようになりました。
この鉱山の責任者は、ここに理想の町を作ろうと試み、念入りな都市計画のもと、商店街、歓楽街、上下水道、学校、病院
劇場、鉄道の建設が行われ、明治38年にはルネサンス風の小山鉱山事務所が完成したそうです。
写真は見事な曲線美のケヤキの螺旋階段。美しいです。
そして、2階の中庭手前の窓。
気泡の入っているガラス窓です。明治のままのガラスで、歴史、ロマンを感じます。
写真は芝居小屋の康楽館。明治時代の芝居小屋としては日本で唯一の建物で重要文化財に指定されています。
私が行った日も芝居の興行が行われていました。
「夢の丞主演公演」です。
初めて大衆芝居を見ましたが、なかなか面白いです。
特に夢の丞が観客をひきつける間合い、独特ですね〜。流し目なんて、もうキューン!となってしまう、、。
追っかけの中年女性も来ていて、おひねりを胸元に入れる、その慣れた仕草に目を見張りました。
明治時代の鉱山の労働者たちもこんな大衆芝居を見ていたんですね〜。
さて、私が泊まったのは街に一軒の町営のホテルです。
夕方戻って、食堂で食事ができるかどうか聞くと、「今日は営業していません」ということでした。
えっ!土曜日の夕方なのに、、
実はこの日、このホテルに泊まっていた観光客は私一人だったのです!
ということで、町にレンタサイクルで出て、イオンでお弁当を買い、部屋で「やきとり弁当」を食べる!
という夕食になりました。
小坂町は明治30年代後半、人口が2万人を超えたそうです。
ところが今は鉄道も廃線になり、人口は5千人です。
土日でも本当に人が少ない、、、
こんなに素敵な明治の近代遺産があるのに、足の便も悪く、観光客が少ないのはとても残念です。
どうにか、この遺産を使って町を活性化してほしいなあ、と思いました。
次の日は路線バスでおよそ1時間、小坂町から秋田県大館市に向かいました。
大館は秋田犬、渋谷にあるハチ公のふるさとです。
写真は大館駅の観光駅長「AKO=あこ」2歳です。秋田県に触れることができる小さなスポットが駅前にありました。
大館からは特急つがるに乗って、秋田市に行きました。
これは秋田市に着いた時に撮った、自分が写っているたった一枚の写真です。
一人旅は自分の写真を撮ることが滅多にないですからね〜。
親切なご夫婦が撮ってくださいました。
秋田市では重要文化財、明治35年に竣工した旧秋田銀行本店のみ、見学に行きました。またまた観光協会のレンタサイクルの利用です。
こちらも見事な赤レンガ造りの建造物です。
建物内部も豪華ですね。さすが本店です。
滞在時間およそ4時間で、午後3時の秋田新幹線に乗り、仙台に向かいました。
仙台では業務管理教育の卒業生の人が待っていてくださり、
なんと、今回初めて、食事らしい食事をとることができました。
会話が弾み、楽しい時間を過ごしました。
旅の最終日は梅雨も明け、晴天で気温が上がりました。
仙台から仙山線で山形に向かいました。
実は山形市は重要文化財の宝庫です。
レンタサイクルを借りて市内を回ったのですが、梅雨明け晴天で気温は35度を超え、ちょっとバテました。
お昼はソフトクリームあんみつで終えました。なにしろ暑すぎて、食欲も無くなります。
山形は先の戦争中、空襲を免れた歴史的建造物がいくつもあります。写真は旧山形県庁。
大正5年に建てられた英国近世復興様式のレンガ造りの建物です。
大正初期の洋風建築を代表する貴重な遺構として、昭和59年、国の重要文化財に指定されました。
「文翔館」という名前で山形の人たちに大切にされています。
次は旧山形師範学校。明治34年竣工のルネッサンス様式の建物です。非常によく保存されていて、当時の学校の様子がよくわかります。
山形市が明治時代から教育に力を入れていたことがわかります。
そして最後は山形市の「旧済生館本館」、明治時代の病院です。
中庭を囲んで病室を円形に配置し、正面の塔屋は三層構造の独特の形態になっています。
この建物は大工の棟梁を中心に宮大工300人が作ったもので明治を代表する擬洋風建築と言われています。
オーストリア人医師アルブレヒト・フォン・ローレツは明治13年にこの済生館に赴任してきました。
医師として活躍すると同時に、医学生の教育にも深く関わり、40名弱の医師を育て、山形の医療・教育に貢献したそうです。
オーストリアではあまり知られていないローレツ医師ですが、山形にはしっかりと足跡を残していきました。
さて、私の4日間の旅は山形で終了しました。
実はもう少し回ろうと思ったのですが、山形の暑さは半端ではなく、
体力の限界を感じ、早めの新幹線で東京に戻りました。
山形駅の駅員さんが、新幹線の時間変更をするときに、「暑いですよね、また涼しくなったら山形に来てくださいね」と
声をかけてくださいました。
4日間、おおよそ1510キロの旅でした。
旅は息抜きであり、自己研鑽だと思うのです。
いつもとは違う環境に身を置き、刺激を受け、考える、
時々ふらっと旅に出る、「ひとりクラブ活動」は大切だと、本当に思います。