1984年、初めて中国の上海、北京、広州を訪れました。
もう悠久の昔ぐらい、、のお話ですね。
それから仕事で300回ぐらいは中国に行ったと思いますが、、、、
中国では異文化体験というのか、すごい刺激のある時間を過ごせました。
もちろん、いい思い出も悪い思い出もありますが、、、、
ある時仕事で、中国側のスタッフと一緒に市場に行きました。
その頃、あまり中国語がわからなかったので、どこかに行く時は必ず、私担当の中国人が一緒に来てくれました。
市場は賑やかでした。
私がスタッフと日本語で話していると、ある中年の中国人が私を指差して、
何か叫びました。
それは、決してよい言葉ではない、とすぐにわかりました。
だって、その人の表情がそれはそれは恐い形相だったからです。
怒鳴り声を聞いて人が集まってきました。
スタッフは、とにかくそこから逃げようと必死でしたし、私は何がなんだか、ちっとも事情を把握できていませんでした。
その時、1人のおじいさんが、中国語で中年の男性に何か言い始めました。
おじいさんが道を開けてくれたので、私たちは小走りに市場の外に逃げ出しました。
あとで、中国人のスタッフが、その時の状況を説明してくれました。
市場で怒鳴っていた中年男性は、
「日本の鬼、出ていけ!お前は俺の家族を殺した」と私に叫んだのです。
日本鬼子、、これは日本人に対する蔑称です。
英語なら、昔、よく映画に出てきたジャップというニュアンスでしょうか、、
市場にいた人も戦争から40年近くが過ぎていたけれど、その言葉に刺激されていました。
「とても危なかった!」と中国人のスタッフは言いました。
仕事だから、仕方ないけれど、彼だって怖かったでしょう、、
あの時、逃げ道を作ってくれたおじいさんは何と言ったのでしょうか。
「この人が中国人を殺したのではない、そうだろう?戦争が原因なんだ、
戦争が悪いんだよ」
おじいさんの落ち着いた言葉は、その場をどうにか抑えました。
「すごい人ですよ!」
中国人のスタッフは、市場でのことを思い返して、言いました。
古い思い出ですが、鮮明に覚えています。
人の怖さ、歴史の重さ、偏見等を今でも考えさせられる出来事です。
(写真は新疆ウイグル自治区のホータン近くの村の市場)
さて、話は変わりますが、友人はニューヨークで働いています。
アジア人へのコロナウィルスがらみの偏見と差別、暴力などが増えているそうです。
ひとりでは出歩かない、万が一地下鉄に乗る場合は、車掌のいる車両へ、など
注意喚起のお知らせが来たそうです。
その一つの原因とされているのが「武漢ウィルス」という言葉です。
バイデン大統領はこの言葉の使用を禁止したそうですが、、、、
海外でのアジア人に対する偏見等のニュースを聞くと、
中国の市場で「鬼」と言われ、危ない目に遭ったことを思い出します。
私の周りでも、武漢ウィルスという言葉を数回、聴きました。
そんな時は勇気を出して、相手の人に率直に話をするようにしています。
(でもやっぱり、この年齢になっても勇気が必要です)
こんなことを書くと友だちを失うかもしれませんが、、、
差別を助長するような言葉を容認するのが難しいです。
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