クリスマスの季節ですね。
今年はコロナウイルス感染拡大でクリスマスパーティーも忘年会も中止、あるいは少人数短時間での会食がメインになっているようです。
帰省等の移動も、制限されていて、なかなか大変なシーズンになりました。
人が動かなければ、消費もなくなり、飲食店、旅行業界等は苦しい年の瀬になりそうです。
例年、友人が東京に遊びに来てくれて、期間中1回は一緒に食事をしていました。
それはクリスマスシーズンの楽しみ、クリスマスプレゼントみたいなものでしたが、、、今年は泣く泣く中止です。
さて、論語の中に
「有朋自遠方来、不亦楽〜朋(とも)遠方より来る、また楽しからずや」
と言う言葉があります。
『友が遠くから訪ねて来てくれるのは何と楽しいことか』
と一般的には訳されていますが、、、。
2200年以上前の「論語」の中の言葉ですから、現代と言葉のニュアンスが若干違うかもしれません。
実はたくさんの訳が有るのです。
「友」と言うのは、普通の友達ではなく「一緒に学んだ人」と解釈されることが多いです。
この論語の一節を前後の文を考慮して意味を考えると、興味深い訳になります。
『子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎』
訳文は以下です。
『孔子はこう言われた。
「師の教えてくれたことを学び、いつも繰り返して自分の身につける。なんと喜ばしいことだろう。
同じ志をもつ友達が遠くからでもやってきて一緒に学ぶ。
なんと楽しいことだろう。
たとえこうした生き方を他人がわかってくれなくても、気にかけたりはしない。
それこそ君子といえるのではあるまいか。』
私の「超訳(飛び越えている解釈)」は以下です。
かなりこじつけました!
人は一生学びながら、スキルや経験を身につけ、生きていく。結構楽しいしワクワクする。
同じことを一緒に学んだ人たちと会って、またいろいろ話す、それもすごく楽しい。
人はいろいろ言うかもしれないけれど、あまり気にしない。
だって、私はリーダーでもあるんだから。