瀝瀝(れきれき)散歩道

瀝瀝というのは「水が音をたてる様子/風が音をたてて吹く様子」つまり、「ありのままの風景」ということでしょうか。

豫科練の「豫」

2017-05-28 15:40:16 | 日記



爽やかなお天気が続きますね。
でも来月はもう梅雨の時期です、、、。季節は変わっていきますね。

茨城県土浦市に出張しました。
仕事が終わってから業務管理教育の卒業生の方たちが仕事をする「武器学校」の展示室と予科練記念館の「雄翔館」を見学しました。

これまで「武器学校」とはどんなところか、全く知りませんでした。
(武器を作る学校かと思っていました、、、)
資料によると
武器学校とは「陸上自衛隊の後方支援部隊などの指揮官、幕僚を養成する兵站・運用教育、陸上自衛隊の各種装備品の整備員を養成する
整備及び専門技術の教育や 不発弾処理などの教育を実施しており、全国から毎年約800名の隊員を受入れています」と書いてありました。

写真は武器学校の展示室です。



その後、「豫科練記念館」に行きました。
もう閉館の時間でしたから、さっとしか見られませんでしたが、係の方が大変わかりやすく説明してくださいました。
この時にいろいろ考えたこと、印象に残ったことなどはフェイスブックにも載せています。
是非お時間のある方はそちらもご覧ください。

https://www.facebook.com/keiko.yoshimoto.31

さて、武器学校での出来事、二つ。
「皇紀2677年」の「皇紀」ですが、生まれてから今までこの記念法を知りませんでした。
武器学校の展示の中にこの表記がありました。もう驚きです!

正式名称は「神武天皇即位紀元」で「皇暦(すめらこよみ)」とも呼ばれています。
明治5年制定で、元号と一緒に使われていましたが、戦後は一部の愛好者や神道関係者、全日本居合道連盟が用いているそうです。
2月11日が紀元節ということで、それが「建国記念日」につながったのですね。
本当に知りませんでした、、、、。

次に「豫科練記念館」の「豫」の字です。どうしてこの字を使うのか、不思議でしたが
調べてみると「豫」は「予」の旧字にあたります。
「あらかじめ」という意味です。
予科練は「海軍飛行予科練習生」という正式名称だと伺いましたが、
読んで字のごとく「あらかじめ飛行の技術を練習して身につけておく学生」ということになるのでしょうか。

「豫」の成り立ちは
予+象

象形(「伸びやか」の意味)と「(ゆっくり行動する動物)象」から
「伸びやかに・ゆっくりと楽しむ」、「あらかじめ」、
「ゆとりをもって備える」を意味する「豫」という漢字が成り立ったそうです。

小さいことに気になる性格です。
わからないことを早速調べて、自分なりに納得しました。




その後、業務管理教育の卒業生たちと楽しい時間を過ごしました。
全員が少年工科学校の卒業生で、ものすごい絆を感じました。
時々、こんな楽しい時間がないと、自分の生活だけにのめりこんでしまい、他が見えなくなってしまいます。
めちゃくちゃ盛り上がりました!
嬉しかったです。










放っておけない課題(1)

2017-05-21 17:51:05 | 日記



函館の旅を続けています。
写真は100万ドルの箱館の夜景です。
今日の日の入りは18時56分、写真を撮ったのは19時20分ぐらいです。
ミシュランの3つ星がついている夜景です。太平洋と日本海の二つの海に挟まれた箱館、
素敵な街です。

函館と言わず、全国的にそうですが、中国人観光客に展望台は独占されていました。
「ここはどこ?」というくらいの数でしたが、、、みな、函館の夜景の美しさには感心していたようです。
よかった!!


さて、夜景を見に行く前に
函館の老舗、ソーセージを作っているカール・レイモンのお店に行きました。
我が家でも度々食卓に登場する美味しいソーセージです。



レイモンは1894年3月28日、ドイツ・ボヘミア地方(現在のチェコスロバキア)のカルルスバ-トという町で、生まれました。
14歳の時に父親の紹介でハム・ソーセージのマイスターのところに修行に行き、18歳の時に独り立ちするまで、厳しい修行を重ねます。
故郷を離れベルリン、フランス、スペインで修行をし、帰国後マイスターの資格を取りました。

第一次大戦後にはレイモンはアメリカに渡り、3年間の期限付きで缶詰の技術を学ぶのですが、
アメリカからヨーロッパに戻る帰途の1919年、日本に立ち寄ります。
ひょんなことからレイモンは1920年から1年間、ハムソーセージの技術指導をするため函館に住むことになりました。
レイモンは勝田旅館に滞在しました。
予期せぬ出来事なのか、運命だったのか、、、
そこで生涯の伴侶となる勝田旅館の娘、勝田コウと大恋愛をします。
当時ですから当然のことかもしれませんが、ふたりの交際はコウの両親に大反対されてしまいます。

コウは思い詰めますが、レイモンの情熱とふたりの若さと強さゆえ、
大正11年(1922年)別々に日本を出国、コウは下関から釜山に渡り、天津でレイモンと再開します。
今の時代でも国際的な駆け落ちは相当勇気のいることだと思うのですが、大正時代にふたりはそれをやってのけてしまいます。
驚きです!

その後、苦労して上海でドイツ行きの旅券を発券してもらい、レイモンの故郷で結婚します。
しかし、その3年後、レイモンが函館に帰る、と言い始めます。
コウがドイツの生活で疲れているのを見て、コウに苦労をさせるなら自分が日本へ、と思ったのでしょう。
1925年、レイモン31歳、コウ26歳のときです。

それからずっとレイモンとコウは函館にとどまり、第2時世界大戦も乗り越え、ハムとソーセージを作りました。
自宅横の工場の入口には

「北海道創始者仕事場(HOKKAIDO PIONEER'S WORKSHOP)礼門」

の看板を立て、ドイツ伝統の製法によるハム・ソーセージづくりを守り続けました。
すでに日本に来てから50年の月日が経っていました。



大正、昭和と激動の時代を生きてきたレイモンは、自分の技術を持って
日本の国民の食生活に変化を持たせ、健康を維持できるような改善をしたいと願っていました。
日本人は昔は小さくて痩せていて、レイモンはそれをどうにかしたいと考えるようになったのですね。

その後、北海道畜産開発プランを北海道庁に何度も提出します。

彼にとって「ほおっておけない課題」は日本人の食生活だったのです。
信念を貫き通す強い意志を持った人なのです。

さて、みなさんにとって「放っておけない課題」とは何でしょうか?
生活の中でどうにか改善したり解決したい、と思っている課題がありますか?
私たちはまだまだ長く働いていきます。
自分の中にあるこの「課題」を見つけると、働き方の選択に一つの指針を与えるかもしれません。




ソーセージを作り続け、日本人の食生活改善を促したレイモンの手です。

『私がずーっと心がけてきたことは、ただまじめに働くことですよ。
そして私の作ったハムやソーセージを喜んで食べてくれる人が一人でもふえるのですからね。
これはお金では買えないものね。
だから私は、胃袋の宣教師だと思っているんですよ』

『花を見ればわかるでしょう。花の色は中から出てきます。
人の健康も体の中から出てくるものなのです』

レイモンは
1974年、西ドイツのハイネマン大統領から、日本とドイツの友好に関する彼の長年の努力を称えられ
「功労勲章十字章」が贈られました。
1979年は、財団法人サントリー文化財団が設けた第1回地域文化賞の優秀賞に選ばれ
1985年11月、「北海道新聞産業経済賞」を受賞。さらに横路北海道知事から「産業貢献賞」の授与を受けました。
そして1986年5月、長年の日本の畜産業への貢献により、「勲五等双光旭日章」を受賞したのです。


参考文献
カールレイモン歴史展示館 パンフレット
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/reimon.htm
http://www.raymon.co.jp







女性自衛官のための銀ぶら会のお知らせ(男性も参加可能です)

2017-05-20 19:12:28 | 日記



みなさん、いいお天気の日が続いていますね。
いかがお過ごしでしょうか?

さて、私は今、函館にいます。
ちょっとした小さなお仕事にかこつけて、金曜日の夜に函館に入り、
仕事までの土日、自分の好きな場所を回っています。
最近、少しだけ忙しい日々を送っていました・
だから、その忙しさに負けないようリフレッシュしなくちゃ、と思うったのです。
旅をするとかなりの刺激になり、働くことへのモチベーションが回復してきます。



今回は古い建物を求めて、旧函館居留地のあちこちを見ています。テーマのある旅です。
下の写真は明治43年に建てられた国の重要文化財、遺愛女子高校の本館です。
とても綺麗な建物です。



美味しいケーキも食べました!かなり気分が良くなりました。




ところで、ところで、お話は変わりますが、
7月に女性自衛官のための再就職の情報交換会を企画しました。

50代で定年する女性自衛官の再就職は依然として厳しい状況にあると思います。
政府は女性の活躍推進を熱心に進めていますが、まだまだ現在進行形であって、
徹底されているとは言えません。
再就職について小さな悩みがある、どうやって希望の就職先をみつけていいかわからない、
いろいろ質問したいことがある、など
日頃、口には出せず考えていることはありませんか?

今回の企画は女性自衛官が自衛隊で身につけてきたスキルをどのように社会で活かして
働いていくか、今後65歳まで生き生きと働いていくための意見交換をし、
キャリアパスを描くきっかけにしようという試みです。

以下が日程です。
できれば、多くの女性自衛官にシェアしていただければ、と思います。
(とはいうものの、会場とレストランの関係で25名で締め切りです)

日時:7月9日(日曜日)午前10時半〜午後2時
場所:銀座マイスペース並木通り店会議室
ゲスト:株式会社イエノナカカンパニー 小木曽大志社長
(小木曽社長は女性の雇用を積極的に進めています)
プログラム:小木曽社長のお話 スモールグループに分かれての情報交換、意見交換 
ランチ:銀座のレストラン(会議室近く、そこまで銀ぶらします)
会費:レストランのランチ代(実費)3500円 資料代500円ぐらい  合計 4000円
当日は国家資格を持ったキャリアコンサルタントが5名参加します。
連絡先:info@careersg.co.jp にお名前と携帯番号をお知らせください。こちらから詳細をメールいたします。

人は一人ひとりにこれまで生きてきた様々なストーリーがあります。
山あり谷あり、苦しくて悲しこと、飛び上がるほど嬉しかったことなど
私たちはずっとその主人公でした。

そして、定年退職後も「自分のお話」は続いてきます。

目標を持って、生き生きと働くため、これからも努力していきましょう!
それから、時々自分にささやかなご褒美を与えることも忘れないでくださいね。









初対面の人との話題は?〜銀座のホステスさんに学ぶ

2017-05-08 15:19:50 | 日記



ゴールデンウィークが終わってしまいます、、、!
あっという間の連休でしたが、、、皆さんはお休みをどのように過ごされたのでしょうか?

先日、迎賓館に行った帰りに「親子丼」を食べました(写真)これは絶品でしたね〜。
とろとろの卵に柔らかい軍鶏、真ん中にもう一つおまけの生卵です。
ゴールデンウィーク唯一のご馳走でした!

さて、今日は初対面の人と会った時にどんな話題を出したらいいか、というさりげないことですが、
とっても大切な極意についてクラブのホステスさんたちに学んでみたいと思います。

もう15、6年前のことですが、私が教えた学生の中に一人の女子留学生がいました。
成績は日本人の中にいてもトップクラス、明るくて元気で美人、気さくな彼女はクラスでも人気者でした。

ある日、私は友人と一緒に銀座のとっても美味しい料理を出す中華料理店に行きました。
たらふく食べて、幸せな気分になってお店を出ました。
すると10メートルぐらい先になんだか見たことのあるホステスさんが立っていました。
すぐに私のクラスの留学生だとわかりました。
銀座のクラブのホステス、彼女のアルバイト先でした。
学費を稼ぐために彼女は昼は大学で勉強し、夜はクラブでアルバイトをしていたのです。
私たちは何も話さなかったし、次の日に大学で会っても、銀座で出会った話題には触れませんでした。
その頃の留学生は、皆生きることに必死でしたし、日本に留学して、どうにか成功したいと思っていたのです。
彼女はホステスのアルバイトで見事なホスピタリティーと日本語会話を身につけました。
卒業後はちょっと名前の通った企業で貿易の仕事をしています。


「木戸に立ちかけし衣食住」
     ↑
これが究極のホステスさんが教えるコミュニケーションの秘訣です。
相手と良いコミュニケーションをとりたいなら、さりげなく、下記のトピックスを出して質問してみましょう。

き=気候、季節の話題
  「今日は暑いですね〜、埼玉では30度を超えたみたいですね」
ど=道楽(趣味、スポーツ、テレビ、映画など)
 「私は走るのが趣味で、この前5回目にして東京マラソンの抽選に当たったんですよ!」なんて感じ。
  多くの人がコメントしやすいトピックスを出します。
に=ニュース
 「東工大の大隅教授がノーベル賞を受賞したそうですね、大隅教授をご存知ですか?」
た=旅
 「京都の新緑が今、見頃みたいですけど、軽井沢のような高原の新緑もきれいです。どこかご推薦の場所がありますか」
ち=知人
 「そういえば、同期の鈴木さん、最近お見かけしないのですが、お元気でしょうか」
か=家族
 「息子さん、大学受験でしたよね。ご本人だけでなくご家族も大変じゃありませんか」
け=健康
 「最近の体調はいかがでしょうか? 風邪は治られたのですか」
し=仕事
 「相変わらずお忙しそうですね。最近はどちらに出張されたのですか」

衣=着るもの ファッションなど
食=食べ物 レストランなど
住=住まい、家具、雑貨など

本当にうまくいくかどうか、ぜひ実験してみてください。
それから授業でも勉強しましたが、「PIN話法」
相手をほめて、共感して、最後に質問、という方法も合わせて試してみてください。

私も今日からやってみます。またご報告しますね。
  







100年後の大逆転!

2017-05-04 23:34:18 | 日記



今日は主人の父が改修の設計に携わった赤坂の迎賓館を見学に行きました。
赤坂迎賓館は明治42年竣工、明治以降の建築物では初めて国宝に指定された建物です。



父は2年前に亡くなりましたが、いいお仕事をしたものだなぁと、改めて思いました。



ところで、この建物を設計したのは長州藩出身の片山東熊という建築家で、東大建築学科の前身、工部大学校の一期生でした。
同期生には東京駅や日銀を設計した辰野金吾、丸の内の三菱オフィス街を設計した曽禰達蔵がいます。
明治の工部大学校の教員はすべて外国人で片山東熊たちはイギリス人建築家、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルの教え子でした。

さて、工部大学校を首席で卒業すると、その後ヨーロッパへ留学、帰国するとそのまま母校の教授になり、
また当時の建築界のリーダーとなる道が約束されていました。

残念ながら、片山東熊は5人中3番で卒業、首席は同郷の辰野金吾でした。
聞くところによると辰野金吾は野心にあふれる積極的な性格、片山東熊は人の良い穏やかな性格だったと言うことです。
恩師のジョサイアコンドルは、今後の日本の建築界をリードすると言う視点から、辰野金吾を首席にしたのかもしれませんね。

その後の辰野金吾は飛ぶ鳥を落とす勢いで明治を代表する建物を作り続けます。

一方、片山は東京国立博物館、京都国立博物館、そして明治42年の旧東宮御所(赤坂迎賓館)を地道に設計していきます。


京都国立博物館

次の天皇の住居である東宮御所の建築には相当な気合を入れた片山東熊ですが、明治天皇からは「ちょっと贅沢過ぎる」と軽くお叱りを受けたようです。
彼はかなり落ち込み、その後は病気がちになってしまったということです。
なんだか気の毒ですね。

ところが、平成21年(2009年)、ちょうど明治42年(1909)の竣工から100年目、迎賓館は国宝に指定されました。
工部大学校を3番で卒業し、穏やかでちょっと控えめな片山の作品は1番の辰野金吾を抜いて、
明治以降の建物で最初の国宝となったのです。


人生何が起こるかわからないですが、100年たってからの大逆転というのもあり得るのだなぁと、感じました。




http://www.careersg.co.jp



お知らせ ホームページ更新!

2017-05-03 19:21:07 | 特別職国家公務員



みなさん こんにちは。
とうとうゴールデンウィークですね。
どのようにお過ごしでしょうか?

さて、もうご存知の方がいらっしゃるかもしれませんが、昨年11月、この年齢になって起業いたしました。
まさか、教員の自分が会社を作る、なんて思ってもみなかったのですが、
私の苦手な会計などを担当するスタッフ、ホームページなど会社の情報を発信する助っ人
落ち込んだ時に励ましてくれる友人、また優秀な講師陣に応援されて
どうにかこうにか会社は生きながらえています。

ぼちぼちと仕事の引き合い(主にキャリア教育や社員定着化研修など)がくるようになりました。
私たちの会社は物を売る会社ではなく、スキル(教える技術を用いて教育)を売る会社です。
元手は自分の能力だけ、という安上がりな会社です。

さて、さまざまな人たちのご協力でやっとホームページを更新いたしました。
まだまだ至らない点が多いですが、もしよかったらご覧ください。

この後、みなさんの講義を担当するに値するような仕事をしていきたいと思っています。
末長く、応援の程、よろしくお願い申し上げます。

株式会社キャリア・ストラテジー(キャスト)
代表
吉本 惠子

http://www.careersg.co.jp