瀝瀝(れきれき)散歩道

人の働き方をサポートする株式会社キャリア・ストラテジー代表、𠮷本惠子のブログです。

どうして笑顔が下手になったのだろう?

2017-09-28 11:30:50 | 株式会社キャリア・ストラテジー


子どもたちの笑顔は見ていて、とっても嬉しくなります。

笑顔と挨拶はコミュニケーション能力の基本という話を、授業でいつもしています。
考えてみれば、私たちは子どもの頃、今よりもっともっと笑顔が上手でした。
年をとればとるほど、私たちは「笑うこと」が少なくなり、下手になってきました。
なぜでしょうか?



写真はカンボジアのアンコールワット近くの英語学校です。
この学校はカンボジア人のブンソーンBunthounさんが作った無料の学校です。
先生たちもボランティアで、交通費(バイクのガソリン代)も出ていないそうです。

ブンソーン校長はとても貧しい家庭の出身で、働いて働いて、お金を貯めてから大学に進学しました。
彼はとても流暢に英語を話します。
英語を話せること、それがこの国では仕事につながります。
小さな子どもでも、家族のために働くことができるのです。
ブンソーン校長は、それを知っています。

以前、授業料を日本円で月額5円にしたら、子どもが来なくなったと言います。
今は無料に戻し、子どもは2歳から18歳ぐらいまで250名を超え、さらに増えそうな勢いです。



我が家のシャンシャンブラザース(最近、この名前が有名になりました!)の兄のマジシャンも今回はカンボジアに行きました。
マジックをしたら、子どもたちの嬉しそうな笑顔と歓声!
マジシャンの方が励まされます。

明治から大正にかけて活躍した「武士道」の著者、新渡戸稲造博士は札幌農学校(「少年を大志を抱け」のクラーク博士で有名)の卒業生で
その後、札幌に *「遠友夜学校」という無料の学校を開きました。

貧しくて勉強するチャンスのない子どもたちに無料で学ぶ場所を与えたのです。
彼は奥さんのアメリカ人メリーさんの実家から寄付を集めました。
いくら情熱があっても、資金繰りがきちんとしていなければ、学校は続きません。

ブンソーン校長の話を聞いた時、私はこの新戸部博士の作った札幌の「遠友夜学校」を思い出しました。


さて、ブンソーンさんの学校は月4万円あると先生のお給料も含めて学校を続けることができるそうです。
月4万円、このお金の半分でも毎月日本から送ってあげられるといいのですが、、、。
ブンソーンさんの学校のホームページは下記です。
https://www.facebook.com/eccs.angkorcambodia?fref=ufi&pnref=story

どなたか、このあたりにアイデアのある方がいらっしゃれば、資金繰りのお知恵を拝借できると嬉しいのですが、、、
よろしくお願い申し上げます。



ブンソーン校長、午前に届けた日本からの寄付金ですぐに文房具(筆箱、鉛筆2本、消しゴム、鉛筆削、ノート2冊)を購入、
夕方、私たちが訪問した時に子どもたちに配りました。
勉強にはとにかく、ノートや鉛筆が必要で、それを持っていない子が多かったのです。
さすが校長ですね。


さて、本題に戻ります。
私たちはなぜ笑顔が下手になっちゃったんでしょう?
失敗や成功が入り混じった人生、私たちはもう何十年も生きてきて、結構疲れちゃったのかもしれません。
また仕事の関係、人間関係で喜怒哀楽が出しにくくなったのも事実です。

笑顔と挨拶はコミュニケーションの基本です。
言葉が通じなくても笑顔と挨拶ができれば、再就職をしてもどうにか社会の荒波を乗り越えていける、、
そんな可能性が大です。


カンボジアの子どもたちを応援しに行って、なぜかいろいろ刺激を受け、励まされて日本に戻ってきました。
時々の海外旅行、いいものですね。




(最初の写真の中に私もいます、、、わかりますか?)

*遠友夜学校
札幌農学校(現在の北海道大学農学部)の卒業生である新渡戸稲造は、明治24年(1891年)に母校の教授として札幌に戻りました。
その2年後、萬里子夫人(メリー・P・エルキントン)に、アメリカの実家から1,000ドルの遺産が届きました。
この遺産を用いて札幌市中央区南4条東4丁目(札幌市中央若者活動センター跡地)に開設されたのが、稲造の夢であった遠友夜学校です。
校名は、遠い国から届いた遺産を役立てたことと、論語の「朋(友)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」にちなんで、
「遠友」と名づけられました。

遠友夜学校は、明治27年(1894年)の開校から昭和19年(1944年)の閉校まで50年にわたって、
家庭の事情などで勉強がしたくても学校に行けなかった青少年たちに、男女の別なく無料で開かれていました。
新渡戸稲造の崇高な精神に共鳴し、無給で先生をかって出た友人や温かな援助を惜しまなかった市民の人たちなどに支えられ、
希望の灯をともし続けた遠友夜学校は、札幌のボランティア活動の原点でもありました。






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自分磨きの海外旅行のススメ

2017-09-26 06:31:21 | 株式会社キャリア・ストラテジー



遅い夏休みで、ベトナムのダナンにやってきました。
息子のシャンシャンブラザーズ(兄がマジシャン、弟がミュージシャン、合わせてシャンシャンブラザーズ)の兄の方と一緒に来ています。




昨日は世界遺産、8世紀から始まったというミーソンの遺跡を見学しました。ここは聖なる寺院の遺跡です。




明日はカンボジアのアンコールワットに行きますが、雰囲気がとても似ています。ただ、まだまだ来る人の数は少ないようです。





世界遺産である遺跡の側にベトナム戦争の時のアメリカ軍が落とした爆弾の跡がいくつも深い穴になって残っていました。きっと破壊されてしまった寺院もあるでしょう。タクシーの運転手さんは「あれも、これもアメリカの爆弾の跡」と帰り道、指をさして教えてくれました。

遺跡を見学してから、近くのホイアンという街に行きました。ここは街全体が歴史的街並みと指定されています。街の中心には17世紀に日越貿易に従事していた日本人が作った「日本橋」と赤い鳥居が残されていました。




17世紀にベトナムに来ていた日本人がいたのですね。


今朝は5時36分、ダナンで日の出を見ました。




圧倒的な自然の前で、私は何と小さな人間でしょうか。まさに、日々の忙しさや悩みが吹き飛ぶ光景でした。

異文化に触れ、新しい発見をすること、そして他国から日本を改めて眺めてみることは自分磨きにつながります。時々の海外旅行、おすすめです。


















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お隣さんと違う世界

2017-09-23 08:33:49 | 株式会社キャリア・ストラテジー

新学期が始まり怒濤の一週間でした。
なぜこんなに忙しいのかわからなくなってしまいましたが、、とにかくとにかく週末までやっと漕ぎ着けました!よかった〜❣️



さて、新しいこと、知らなかったことを発見をした時の驚きって信じられないくらい刺激的ですよね。いくつか思い出してみました。

話は高校時代に遡ります。私が初めて外国人と話したのは高校二年生のときでした。キリスト教会の宣教師の人が英会話教室のビラ配りをしていたアメリカ人でした。高校のクラスではみんながめちゃくちゃ盛り上がっていました。
友だち3人と「ガイジン見に行こう!」と誘い合って、お試しのクラスに参加しました。
外人の家に招かれ、ケーキと紅茶をいただきました。
夢のような空間でした。これが、アメリカのホームというものか、、憧れる、、



大学の時、私はグアム島に行きました。
ホームステイしたアメリカ人の家族が
「誰もいないビーチに行ってバーベキューをしよう!」と私を連れてジャングルの中に入って行きました。
小さな崖を下りると、そこに戦車の残骸がありました。


たくさんのヤシガニが戦車のそばにいました。人がそばに行っても逃げたりしませんでした。
戦車は日本軍のものでした。

戦車を通り越して、ジャングルを抜けると、そこには青く澄んだ海がどこまでも広がっていました。

戦争を最初に身近に感じ「見た」日でした。




大学を卒業してアメリカに行きました。
アメリカ人の友だちが空港に車で迎えに来てくれました。ところが走っているうちに車は貧民街に入ってしまったようです。
「ここは見せたくなかった」と友人は言いましたが、私にはその意味がよくわかりませんでした。
実際、私は驚いていました。
貧しい人たちは私の家より大きな家に住み、車を持っていました。


仕事で以前、「神々の嶺 エベレスト」の麓、チベットに行きました。
そこは本当に美しいところです。写真通りです。
感動しました。
仏教を信じているチベット人の目は穏やかで静か、そしてはにかみ屋の人が多かったです。

しかし、30年も前、チベットを歩くと山々は美しすぎるのに街の中は私にとっての異臭でいっぱいでした。
チベットの人たちは一生でお風呂に3回しか入らないのです。
生まれた時、結婚する時、死んだ時です。
チベットの人を差別するわけではありませんが、
彼らの発する臭いには、本当に苦しめられました。
ただ、彼らにとっては、それは文化だと言えるでしょう。そこは日本のスタンダードで比べても意味がないのです。

山々の写真はチベットの臭いまで伝えることができなかったのです。



シルクロードの遺跡は素晴らしいものです。
シルクロードは絹の来た道とも呼ばれてますが、実は「仏の来た道」でもあります。
たくさんの仏教の遺跡が砂漠の中に埋もれています。



19世紀になり、ヨーロッパから探検隊がやってきて、シルクロードの遺跡を自分の国に持ち帰りました。
持ち帰れないものは破壊して帰りました。
なぜなら、持って帰ったものに希少価値が生まれるからです。
ある遺跡の説明には、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、日本の探検隊がやってきて
遺跡を「略奪」していった、と書いてありました。

しかし、京都の博物館で見たシルクロードの「玉(宝石)」や「壁画」にはシルクロードから◯◯探検隊が「招来」した、と書かれていました。

略奪か招来か、、、

物の見方は色々あります。
いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、二者択一ではとても語れませんよね。
社会は私たちが考えるより、ずっとずっと多面的です。
違うからと言って拒否してしまうのではなく、柔軟な心で、それぞれの違いを楽しんでいきたいものですね。









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先生の大きな大きな錯覚

2017-09-21 09:13:42 | 株式会社キャリア・ストラテジー


愛すべき学生さんたちが昨日、1ヶ月の研修を終えて各自の仕事場に戻って行きました。
素晴らしいスキルと熱いこころを持った人たちでした。
授業最終日の宴会に呼んでいただき、大いに楽しみました。




ところで話は変わりますが、、、、

友だちは都内有数の私立の進学校で英語の先生をしています。
「大変でしょう〜」と話すと、あっけんカランとして
「大丈夫、誰でもこの学校では教えられるよ。だって、生徒がいいんだから。
どんなに未熟な先生でも、生徒が勝手にどんどん学んでいくからね」

以前、首都圏のAという公立高校に行って授業をしたことがあります。
45分の授業でしたが、授業が終わったら声が枯れていました。
何故かというと、、、

授業のチャイムが鳴って担任の先生に紹介されました。
ニコニコして
「みなさん、おはようございます。今日、この授業を担当する HuiziHuizi です,短い時間だけどよろしくお願いします」
とあいさつした瞬間、
「 Huiziちゃ〜ん」
とこのいい歳したおばさんを「ちゃん」付けで呼ぶ、、、頭ボサボサの男子生徒。
このクラスのオピニオンリーダーです。
「は〜い、ありがとう!」
と、間髪入れずに応えると、教室は大爆笑となりました、、、、

ひとしきりの笑いが収まると、
ある生徒は机に突っ伏し無関心を装い、ある女子生徒はお化粧を始める、、、。
そして次には上履きが教室の端めがけて弧を描いて飛んでいく、、、

「は〜い、じゃ、はじめますよ〜、みんな座って〜!」
、、、つまりこの時点で、みんなほとんど座っていないってことです。

授業開始10分で私は最初のスケジュールを投げ出しました、、、
45分中、30分ぐらいは授業を聞いてもらうという目標を変更、10分間だけでいいから「聞いて」作戦を実行することにしました。
でも、やっぱり大苦戦でした。
教室は「戦場だな〜、、これじゃ、辞める先生も出てくるでしょう」

ところが、このクラス(生徒20名に担任1名、副担任2名)の男性の担任教師、
まだ30代そこそこだったでしょう、、、
おしゃべりでやる気なし、落ち着きなしのクラス全員をあっという間に10分以上集中させてしまう、すごい先生です。
さすが担任!
この先生「ダメだ、だめだ」と言われ続けてきた生徒たちに
「大丈夫、やればできる、やってみな!まずはやってみること」と言い続けているのです。
力あるなあ〜!
相手を認めるところから入っていくなんて、、、。

よく観察すると、クラスの生徒は机にバタンと突っ伏しながらも
話を聴いている子もいるのです。
お化粧しながら、隣の子と喋りながら、ちょっとだけ先生のお話を聞こうとしている。
きっと担任の先生は、そんな子どもたちのことをよくわかっているのでしょうね。

一見さんの私には見えないところです。


🍀🍀🍀

話は戻って、昨日、授業が終わったクラスの人たちです。
50代、1ヶ月間の集中研修です。
教員が教室に入っていくと、日直さんが「起立」といって全員がさっと立ち上がります。
「よろしくお願いいたします」と号令をかけると、皆さんは70度までお辞儀をして、先生に挨拶します。
授業中は私語なし。目は教員の方を向いています。

私はこんなクラスは日本中見てもどこにもないと思います。
「やりやすい〜!
「教えやすい」「誰も寝ていない、、、」
もしかして、私の授業の方法が良かったのかな?

でもね、これって大きな大きな先生の「錯覚」だということに気づきました。
先生がよく教えられたのではないのです。もちろん上手な先生もいますけれど、
実は「学生」が良かったからなのです。
時々そのことに気づかず、自分本位の教え方で暴走気味になる私です。
やはり「授業の内容」にこだわるべきです。しっかり準備すれば、さらに授業は教える方も教えられる方も
win win,の関係になるはずなのです。


❤️❤️❤️


何か非常にことがうまく運んでいく時、実は自分がよくできているからだ、と錯覚してしまうことがあります。
周りを見れば、もしかしたら自分がうまくできるように支えてくれる人がいるかもしれません。
時々、人と自分の関係を俯瞰的(ふかんてき=空を飛んでいる鳥の目線)になって
考えることが必要だな〜と思いました。
























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世界一、さらにその上を目指すおもてなし

2017-09-18 10:02:23 | 株式会社キャリア・ストラテジー


昨日はケルティック・ヴィオールのサヴァールトリオのコンサートに行ってきました。
アイルランドの伝統的な音楽、ケルティッシュ。
ヴィオラ・ダ・ガンバの奏者ジョルディ・サヴァールは中世ルネサンスの音楽、バロック音楽の巨匠で、ケルディッシュのアルバムも
数多くリリースしています。

サヴァールの音楽は森の中にいるような、森に引き込まれてしまうような錯覚?を感じる
そんな不思議で懐かしい音で溢れています。日本人が大好きな哀愁に満ちたメロディーです。
サヴァール、まさに巨匠。飾らなくても素敵な服を着なくても、オーバーなアクションで楽器を弾かなくても
実力と風格と威厳を感じさせます。







CDにサインをいただきました。
威厳の前でミーハーですが、とっても嬉しかったです。


https://www.amazon.co.jp/ケルティック・ヴィオール-Celtic-Savall-Hybrid-日本語解説書付/dp/B005V3ANWQ


さてさて、今日のお話しは友人との食事の時に出てきた話題からです。
友人は慶応大学のあるキャンパスで最も若い専任講師です。
前回は3年前に会ったのですが、幾つかの大学で非常勤の掛け持ちをしており、生活が安定しない、
だから「焼き鳥屋」になるんだ、と話していました。
3年の間にすごい転機が訪れたのですね、、友人に。

友人の専門は中国の少数民族の言葉や習慣の研究です。
よく中国の東北地方に研究のため出張します。

「最近、中国のお客に対する接遇が格段に良くなりましたよ
田舎の方でさえ、お客に対して『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』って笑顔でいうんだから」
「え〜、そうなんだー!昔と違う〜!」
「今は接遇をよくしないと、政府から注意を受けたり、ひどい時は罰金を取られるって話ですよ」
『え〜!そこまで、、、信じられない」

私が初めて中国に行った1980年代はお店のスタッフも全て国家公務員でしたから、
にっこりお客に笑っても、気分悪そうな顔で物を売っても「どうせ同じ給料なんだから」と
どちらかというと冷たいサービスでした。

ある時、北京の王府井という銀座通りみたいな場所でテーブルクロスや刺繍品の専門店に入り、
気に入ったテーブルクロスを指差して

「すみません、あのテーブルクロス、見せてください」と言いました。
お店のおばさんは、牛のようにゆっくり動いて、そのテーブルクロスをつかみ
私、目掛けて直球で投げました。

ピュ〜ン!
シャカ!(受け取った音)

ナイスキャッチだったからよかったけど、もし落としていたら、私はめちゃくちゃ文句言われたと思います。

そんな中国がサービス、ホスピタリティーなどの接遇を急速に見直しているのです。

それでは接遇世界一を誇る日本はどうなっているでしょうか?
先日、パソコンの調子が悪く、メーカーの対面で修理をしてくれるコーナーにパソコンを持って行きました。
3年前に行った時には全く気付かなかったのですが、
対応してくださるスタッフの言葉遣いが格段にアップしていました。
スタッフは全員技術者です。
それが、ホテルや高級ブディックで使われているグレードが一番高い日本語の敬語を駆使していました。
上品な日本語です。
これは大したものです。その上、外国人のために他言語で対応できる能力を持っています。

どのような教育システムになっているのでしょうか?
この辺りの事情に詳しい友人に早速質問のメールを送っていみました。

すると、
「推測だけど、ある時から最高級のホテルのマネージャーのような接遇のプロをその部署の責任者につけたのじゃないか、、、」
っていうお返事がきました。

修理の部署のマネージャーは技術者ではなく、接遇のプロ!

世界一のおもてなしのできる国、日本。
他国が接遇の改善を行ってきても、さらにその上をいくおもてなしのサービスを展開し始めているのです。
もちろん、近づいてきた東京オリンピックの関係もあるでしょう、、、

再就職の売りの一つに「接遇、マナー、言葉遣い」が入っていること、ここを押さえると
さらに50代の再就職者の強みになるかもしれませんね。







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落ち込む時もある〜楽し苦し「ハードファン(hard fun)」

2017-09-15 21:53:24 | 株式会社キャリア・ストラテジー




滅多に落ち込むことのないポジティブな人間ですが、昨日は仕事でアクシデントに見舞われ、かなり元気がなくなりました。
ちょっと涙が出たりして、、、。
それでも周りのスタッフに励まされ、信頼できる人から来たメールに慰められ、どうにかどうにか、今日は復活です!

人は人に疲れ、人にはげまされる、とは本当ですね。

それから写真のように美味しいものにも!



さて、
ハードファン(hard fun)」という言葉を聞いたことがありますか?
困難を乗り越えるときに感じる楽しさのことを「ハードファン(hard fun)」と呼ぶそうです。
「ハードファン」ということばには

人が成長するためのポイント


1 ストレッチ(挑戦的な課題をこなす)

2 フィードバック(問題点を振り返る)

3 エンジョイメント(楽しむ)

が詰まっています。

最初はめちゃくちゃ混乱してよくわからなかった困難は
時間が経つごとにチャレンジングな課題になってきます。
私たちは、ちょっと冷静になると、なぜこんな問題が起こったのか振り返ることができるようになります。
人は一つ困難を乗り越えると、次に同じような問題が来た時、前より楽にそれをやり過ごすことができます。
学習するのですね。つまり2回目は1回目を振り返っての復習です。

3回目は多分
ハードファン(hard fun)」!
もう解決方法は知っている、もっと早く効果的に、こんなこともできるんだ、と楽しみながら課題解決ができる、、、

そうやって私たちの毎日は続いてきたし、これからも続いていくのですね。











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ノミの実験のお話から

2017-09-11 16:57:15 | 株式会社キャリア・ストラテジー


今日、業務管理教育の授業がひとつ、終わりました。
最後に「ありがとうございます😊」と言って挨拶しようと思ったら、学生長さんが、ちょっと待った〜!と後ろの方から小走りで教室の前の方にやってきました。「先生、授業ありがとうございました。クラス全員からの気持ちです」と言って素敵なプレゼントを下さいました。
かなり感動しました。ちょっと涙もちびりました。すごく嬉しかったです。感謝です。




さて、話はかわりますが、

「ノミの実験」のお話を聞いたことがありますか?
ノミはふつう50センチほどジャンプできるのだそうです。
考えてみると、ノミって1ミリ~3ミリぐらいですから、体長の50倍ぐらいは跳ぶ、すごいジャンプ力ですよね。

でも、そのノミを高さ30センチくらいの箱に入れると、ノミはジャンプする度に30センチ上の天井に思いっきりぶつかることになります。
ジャンプを何回も繰り返していると、ノミはどうなると思いますか?

そう、30センチも跳ばなくなるのです。

これはノミをひとつの例にとったものですが、人間で言い換えれば「ここまでしかできない」という現実が続いてしまうと、その後、枠の外に飛び出せなくなる、そんな心理状態に陥いるのではないでしょうか。
さらに人間の場合は「現在」だけでなく「将来」のことも考えてしまうので、ノミ以上にストレスは強くなるはずです。


「この年齢では新しい仕事は無理だ」「生活を維持するだけ働ければいい」なんて考えていませんか?


新たな仕事の魅力に気づく人たちに共通しているのは「変わることを受け入れる」という姿勢です。
もちろんすぐには難しいかもしれません。しかし、「変わること」を恐れない、あるいは「慣れていく」ということを意識することによって
いつしか変化を受け入れられるようになると思うのです。


就職、再就職は本人の意識がどこにあるかによって、大きく異なってきます。
雇われ続ける能力を私たちは少しずつ身につけていかなければなりません。
それをポジティブな意識で進めるのか、下を向いて控え目にやっていくのか、によって、
私たちの将来はずいぶんと変わってくるのではないか、と思うのです。




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15 30 の数字が意味するもの

2017-09-08 09:45:58 | 株式会社キャリア・ストラテジー


10年ぶりにパスポートを更新しました。若かりし頃の写真はおしまいにして、それなりの今の写真を貼る、ちょっと寂しい感じですが、それが現実です、、(笑)



ところで、昨日は1年前のキャリア教育研修クラスの学生さんたちが集まって同窓会を開きました。学生さんといっても私とほぼ同年齢の50代の方達です。朝霞で1ヵ月間、定年退職後のキャリアプラン、マネープラン等の集中研修を受けました。
ほとんどの人が残すところ、あと2年弱で定年退職を迎えます。

さて今日は、就職にまつわる40 15 30 と言う数字が表す意味について考えてみたいと思います。

40は新卒で仕事に就いた人が3年以内に辞めてしまうパーセンテージです。つまり100人就職したとして40人近くが3年で辞めてしまうということです。特にサービス業や製造業、医療、福祉関係の離職率が目立ちます。新卒ですから高校生や大学生ということになりますよね。

続いて15ですが、54歳から退職する特別職国家公務員の人たちの、1年離職率です。100人のうちの15人が1年で仕事を離れます。

そして、30は3年離職率です。3年以内に、なんと30人が再就職した仕事を辞めてしまうのです。
民間に比べて非常に高い割合です。

これはなぜでしょうか?

例えば離職の追跡調査が、できているか、気になります。離職する原因を確かめ、それをもとに現在のカリキュラムに新しい要素を加え、キャリア教育を体系的に構築する、等、検討に値するとおもいます。

また、社会の早い流れに適応できる個々人の情報収集力の強化、ネットワークの用い方などを知れば知るほど、再就職準備は進むでしょう。

仕事が忙しくて、再就職準備に失敗、
人に強く勧められ、自分であまり関わらず失敗、
地方は仕事がないから、妥協、など
私から見ると「言い訳、、?」と思えることもあります。
今まで厳しくご自身を律してきた方たち。
最後の定年再就職は第一ステージのシメでしかありません。次のステージに向け、15 30 の壁をどう破ればいいか、もう一度、自己分析してみてください。
よろしくお願いいたします。









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