子どもたちの笑顔は見ていて、とっても嬉しくなります。
笑顔と挨拶はコミュニケーション能力の基本という話を、授業でいつもしています。
考えてみれば、私たちは子どもの頃、今よりもっともっと笑顔が上手でした。
年をとればとるほど、私たちは「笑うこと」が少なくなり、下手になってきました。
なぜでしょうか?
写真はカンボジアのアンコールワット近くの英語学校です。
この学校はカンボジア人のブンソーンBunthounさんが作った無料の学校です。
先生たちもボランティアで、交通費(バイクのガソリン代)も出ていないそうです。
ブンソーン校長はとても貧しい家庭の出身で、働いて働いて、お金を貯めてから大学に進学しました。
彼はとても流暢に英語を話します。
英語を話せること、それがこの国では仕事につながります。
小さな子どもでも、家族のために働くことができるのです。
ブンソーン校長は、それを知っています。
以前、授業料を日本円で月額5円にしたら、子どもが来なくなったと言います。
今は無料に戻し、子どもは2歳から18歳ぐらいまで250名を超え、さらに増えそうな勢いです。
我が家のシャンシャンブラザース(最近、この名前が有名になりました!)の兄のマジシャンも今回はカンボジアに行きました。
マジックをしたら、子どもたちの嬉しそうな笑顔と歓声!
マジシャンの方が励まされます。
明治から大正にかけて活躍した「武士道」の著者、新渡戸稲造博士は札幌農学校(「少年を大志を抱け」のクラーク博士で有名)の卒業生で
その後、札幌に *「遠友夜学校」という無料の学校を開きました。
貧しくて勉強するチャンスのない子どもたちに無料で学ぶ場所を与えたのです。
彼は奥さんのアメリカ人メリーさんの実家から寄付を集めました。
いくら情熱があっても、資金繰りがきちんとしていなければ、学校は続きません。
ブンソーン校長の話を聞いた時、私はこの新戸部博士の作った札幌の「遠友夜学校」を思い出しました。
さて、ブンソーンさんの学校は月4万円あると先生のお給料も含めて学校を続けることができるそうです。
月4万円、このお金の半分でも毎月日本から送ってあげられるといいのですが、、、。
ブンソーンさんの学校のホームページは下記です。
https://www.facebook.com/eccs.angkorcambodia?fref=ufi&pnref=story
どなたか、このあたりにアイデアのある方がいらっしゃれば、資金繰りのお知恵を拝借できると嬉しいのですが、、、
よろしくお願い申し上げます。
ブンソーン校長、午前に届けた日本からの寄付金ですぐに文房具(筆箱、鉛筆2本、消しゴム、鉛筆削、ノート2冊)を購入、
夕方、私たちが訪問した時に子どもたちに配りました。
勉強にはとにかく、ノートや鉛筆が必要で、それを持っていない子が多かったのです。
さすが校長ですね。
さて、本題に戻ります。
私たちはなぜ笑顔が下手になっちゃったんでしょう?
失敗や成功が入り混じった人生、私たちはもう何十年も生きてきて、結構疲れちゃったのかもしれません。
また仕事の関係、人間関係で喜怒哀楽が出しにくくなったのも事実です。
笑顔と挨拶はコミュニケーションの基本です。
言葉が通じなくても笑顔と挨拶ができれば、再就職をしてもどうにか社会の荒波を乗り越えていける、、
そんな可能性が大です。
カンボジアの子どもたちを応援しに行って、なぜかいろいろ刺激を受け、励まされて日本に戻ってきました。
時々の海外旅行、いいものですね。
(最初の写真の中に私もいます、、、わかりますか?)
*遠友夜学校
札幌農学校(現在の北海道大学農学部)の卒業生である新渡戸稲造は、明治24年(1891年)に母校の教授として札幌に戻りました。
その2年後、萬里子夫人(メリー・P・エルキントン)に、アメリカの実家から1,000ドルの遺産が届きました。
この遺産を用いて札幌市中央区南4条東4丁目(札幌市中央若者活動センター跡地)に開設されたのが、稲造の夢であった遠友夜学校です。
校名は、遠い国から届いた遺産を役立てたことと、論語の「朋(友)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」にちなんで、
「遠友」と名づけられました。
遠友夜学校は、明治27年(1894年)の開校から昭和19年(1944年)の閉校まで50年にわたって、
家庭の事情などで勉強がしたくても学校に行けなかった青少年たちに、男女の別なく無料で開かれていました。
新渡戸稲造の崇高な精神に共鳴し、無給で先生をかって出た友人や温かな援助を惜しまなかった市民の人たちなどに支えられ、
希望の灯をともし続けた遠友夜学校は、札幌のボランティア活動の原点でもありました。